市民と議員の条例づくり交流会議
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◆全体会:第ニ部「変える、変わる、変えられる―自治法改正の評価と今後の議会改革」
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ディスカッション
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辻山: これまでの報告を受け、皆さんと討論を進めたいと思います。ただし、議会を扱うシンポジウム等でよく見られる、「多数派が動かないことにはしょうがない」と結論付けるような発言は控えていただきたい。慰め合って帰るような企画にはしたくありませんので、改革の先頭に立ち、大勢力を動かす戦略についての議論につなげていければと考えています。
2人の議員さんから改革提案を受けたところで、まずは先生方のコメントをいただければと思います。
大森: 小山さんが、議会をおもしろくする方法の中で、独立した専門機関をつくりたいとおっしゃいましたが、そんなものはたしてつくれるのだろうか。議員が条例案をつくる際には、さまざまな情報・知恵が必要であり、そのサポートは必要です。しかし外につくるのかどうか。
私は栗山町のようにやるのがまず第一歩だと思います。栗山町条例の第13条では、定員削減で議会事務職員を当面増やせないことを考慮した上で、「当分の間は、執行機関の法務機能の活用、職員の併任等を考慮するものとする」としています。市長も職員を企画立案に使っているではないですか。議会事務局の職員でない限り、議会は職員を立法機能に使えないと考えるのは固定観念であり、栗山町のような現実的なアイディアを実行するのが先決でしょう。外に独立機関をつくるというのは相当難しいことだが、それをどうお考えなのか。
それから、若林さんの資料に関してですが、都道府県議会や市町村議会が執行機関を「理事者」と呼ぶのはやめてもらいたい。どうして議会にとって首長が理事者なのか。国語として間違っている。この資料が古くて、いまではそうした言い方はされていないということなら納得できますが、いまでも「理事者」と呼ぶような議員がいらっしゃるのか。
小山: サポート機関が執行機関から独立して存在するほうが、市民が使いやすいだろうとの考えから、私たちはこの提案に至りました。小金井市でも、議員が条例案をつくりたいという時には、議会事務局に「条例をつくりたいので、一緒に調べたりする手伝いをしてほしい」との届けを予め出すことになっています。議会内に議事調査係も新たに設置されましたので、その中での調査も可能となりました。しかし、そこでどこまで条例づくりのサポートができるかと言えば、疑問がある。
実際、私たちも地下水保全条例案を作成する際には、(当時、議会の中にそうした機能がなかったということもありますが)東京ネットの内部につくられた議員提案研究会を通して、外部専門家の方々の話しを伺い、まとめてきたという経緯があります。こうした外部機関があることは理想であり、市民が気軽に相談できる機関があることで、何かが変わるのではないでしょうか。
行政の機関を実際どれだけ有効に活用できるかというと、活性化という点では大きな課題もあるように思います。栗山町のように、議会と執行部の文章課などが調整し、そうした機能を市の内部に置くことについて合意がとれれば、立法機能としての職員の活用は実現できるように思います。ただ、市民にとっては、そうした窓口で条例づくりを相談することへの敷居が高いように思える。ですから、政策ごとにスタッフを公募し、ボランタリーな市民の力を活用するような外部機能が別にあれば、と考えたのです。
大森: 飯田市議会は、自治基本条例を議会でつくりました。どうやってつくったかと言えば、議長が、特別委員会の委員と学識経験者と公募の市民と4人の課長相当職に委嘱状を出して、市民会合を立ち上げたのです。いまでも、条例を最も理解している職員が、条例のシェイプアップに協力している。こうしたやり方にはなんの不都合もないのだから、どんどん使えばいいのです。
青山: 日本ではまだどこでもやっていないことかも知れませんが、私は議会事務局の広域連合をつくることを提案します。以前、北海道庁を取材していてよく分かったのですが、議会対策を考えてか、道議会事務局の議事課にはしばしば財政課のエースが回されるんです。不適切な言い方かも分かりませんが、余計なことを言うと予算は回さないよ、という半ば「脅し」のようなものかと私は受け止めました。北海道は寒いため、議会と本庁舎とは地下トンネルでつながっていますが、まさに議会事務局の議事課と財政課とが地下茎でつながっている。では調査課は何をやっているかと言えば、ただの新聞の切り抜きをやっていることが多い。こんな議会に未来はありません。
議会人としてキャリアアップできるような職員の調査機能が必要です。三多摩であれば国立や小金井などで議会事務広域連合をつくる。議長同士が政治合意すれば可能ではないか。もう一つ、政党としての機能はまた別にあるように思います。
小山: 補足となりますが、私たち生活者ネットでも、そうした調査機能が必要だということで、情報の共有化や政策実現のための立法サポート機関として、市民調査会を立ち上げています。こうした機関を市民にも利用してもらいながら、市民・議員相互でいろんな条例づくりを考える場ができたらいいと考えています。
若林: 私は恥ずかしながら、当初「理事者」という言葉を知りませんでした。レジュメにもよく「当局」と書いていました。「理事者」という言葉は、県議会でもまだ生きていると聞いております。今日は県議も来ているので、一言ご説明をお願いします。
議会事務局が立法支援をするということに関しては、私自身痛い思いをした経験があります。市民立法で住民基本台帳の閲覧防止条例の制定作業を、自民・公明はじめ各政党と共に進めていたのですが、全会一致で常任委員会を通りそうだというところまで来たときに、議会事務局に見てもらいなさいと言われ、ついうっかり提出してしまった。すると副市長が飛んできて、「市長はやりたくないといっている」とねじこまれました。「紹介議員にもなったし、いまさら反対できません」と言うと、事務局が「こういう附帯意見をつけたらどうでしょう」とお世話をしてくれた。条例は結局通ったのですが、条例と同等の規制を検討するとの附帯意見が付き、要綱ができてしまった。大失敗だったと思っています。だから、大森先生がおっしゃるような議会事務局機能を活用せよ、ということであれば、事務局を首長の部局人事から独立させるような法改正が必要ではないかと思います。
会場参加者: ご指摘の資料1の「理事者」という文言ですが、97年の策定メンバーに私も入っておりました。当時、この言葉を使うことに対し、私たちもあまり議論をしておりませんでした。いまでも県議会常任委員と当局側の配置図のところには、「理事者席」というペーパーが配られております。今日の先生のご指摘で、私自身も、そうした疑問を持たずに来たことに気づかされた次第です。
会場参加者: 先生方に少々不満があります。「議員や市民の立法をサポートする独立した専門機関」は必要です。私たち議員も執行部や事務局を活用しますが、ぎりぎりのところでの判断について、やはりその道の専門家や活動している人に聞いてみたいと思う時はあります。執行部は使うが、それ以外にもそうした機関が必要であるとの提案に対し、こんなのは執行部にあるじゃないか、といった議論は乱暴です。現状を知らないと思います。
大森: だから飯田市議会のやり方を紹介したんです。
会場参加者: 飯田のような手法もあるとは思っています。私も修正動議を出した際、こちらの書いた文書を執行部の文書担当に懇切丁寧に見てもらい、一晩で書き直すなどした経験があります。今回の住民基本台帳の件でも、早速、一般通告を出したときに、すでにいろいろなところでやっているということが、執行部が調べた結果分かり、一般質問の前に取り下げることになりました。執行部に調査依頼をすればすぐ調べてくれますから、さまざまな機会に利用もするのですが、私が言いたいのは、やはり外部にあったほうがいいということです。市民が何かしようとしたときに、職員に頼めるわけがないでしょう。二重構造ということでは、私はネットの提案は良い試みだと思います。ぜひこうした組織を全国化して、議員や市民が利用できるようがんばってほしい。議員は実力に応じて執行部を利用しています。そうした現状は把握していただきたい。
辻山: いままでの話の中身はこういうことです。つまり、議員が立法支援を受けて立法をする際、どことどこの力を借りるのかと考えたとき、市民と一緒になって政策を考える組織をつくろうと言う前に、まずは現にある議会事務局を使おう、それがだめなら一部事務組合や広域連合を強化したらどうか、議会事務局の職員だけに限定する必要もなかろう、行政の職員だって使えばいいではないか、それにプラスして、市民との政策的な出会いの場をつくる、という組み立て方でいいのではないか、ということでしょう。大森先生も、まずある事務局を使えとおっしゃっています。
しかし小規模な町村議会ということになると、議会事務局の整備にはなかなか難しい問題があります。今村先生からも事例をご紹介いただけますか。
今村: 町村議会議長会におかれた第2次地方議会活性化研究会でも、一自治体でなく一部事務組合で議会事務局をつくってはどうかとのアイディアを出しています。そのほか、今度の自治法改正では、意外と効果があるかも知れないと思われる100条の2が入りました。「付属機関」といった言葉は使っていないものの、「普通地方公共団体の議会は、(略)専門的事項に係る調査を学識経験を有する者等にさせることができる」と書かれています。この5月末にあった全国の町村議会議長・副議長の研修会で、岩手県滝沢村の議長から、法務法令のプロがいないなら県立大学など近場の専門機関を使えばいいと教えられたのです。この方々に謝金を払おうとすると少々ややこしい問題もありますが、自治法改正では総務省が「付属機関」という言葉こそ嫌ったものの、そうした力を借りて脱皮する道筋はできた。公共政策大学院の出身者をどんどん活用していただくという手もあろうし、独立性を担保した上で知恵を出し合うしくみや機関を整えることはできるでしょう。
しかし、人口5万人を超える滝沢村でさえ、議員22名に対して議会事務局はたったの4人です。人口1万人の町村などは事務局長に職員一人、というのが現実でしょう。そうした小規模自治体では、やはり知恵を出し合うことが必要だろうと思います。
会場参加者: 議案というものをどう考えるべきか、皆さまのお知恵をいただきたい。いま議会に出てくる議案とは、事実上、可否を問うだけのものであり、まるで法律を公布されるときに天皇の裁可を求めるようなものだと感じています。これを、中身が議論できる議案、あるいは第一案、第二案といった選択肢を持たせた議案にできないのでしょうか。
たとえば行政側が議案を提出する際にも、提出に至る過程にはさまざまな議論やいろんな案があるはずです。しかし、全てそぎ落とされて一つの案になって出てくることになる。すると、議会での議論は、そぎ落とされた部分にどんな意見があったのかを小出しに聞くような質問が主体になってしまう。パブリックコメントなどを使って、議案が議会に出てくる前に、執行部局にとって都合が悪いことも含めて、全ての資料を出せというかたちにすれば、よいのではないか。なぜこれを落としたのかという議論から入ることもできるでしょうが、そもそもいまのようなやり方は会議規則で決まっているわけではなく、首長側の公文例のつくり方というような規定レベルで決まっているに過ぎないのです。会議規則の中で、議案をこのように出せと決めるのが、本来、審議を側の都合から言っても当たり前のことのように感じるのですが、そもそも議案のつくり方が悪いからまともな議論ができないのだということを追及されている方が少ないように感じます。
辻山: 議案ということではありませんが、たとえば栗山町議会基本条例第6条には、出される政策、計画等については、その発生源や検討した他の政策案についても説明せよ、と定めた項があります。これはいまの質問の趣旨とも比較的合っているように思います。議案の出し方についてそうしたルールをお持ちの自治体があれば、ご紹介いただきたい。
ちなみに、昔勉強したアメリカの国家環境法(NEPA)の施行規則には、提案する計画は複数でなければならないとの単純な一行が入っている。それがなければ比較検討ができないためだろうと思うのですが、やはり議案とはまさに提案者の側が出してきたルールで行っており、大抵のものは枝葉はそぎ落とされ、「これでどうだ」というものが一本になって出てくる。これではたしかに議論しにくいでしょう。
ちなみに横須賀市はパブリックコメント条例をお持ちですが、その際、パブコメと提出議案との接合はどのようにされているのでしょうか。
会場参加者: 議案そのもののつくり方は、一般的な国会に出てくる議案のつくり方と同じです。法制審査を受けて、もうこれ以上直しようのないものが出てくるのですが、案をつくっている状態から議会に報告がされて、議案として出される際には参考資料として、パブリックコメントをしている過程の情報、つまりA案とB案があったがB案にした、といったものが議案に添付されて出てきます。
青山: 法制度技術上はよく分からないですが、その辺のところは情報公開のイロハのイだと思います。議員が情報公開条例を使うというのもおかしな話しかも分かりませんが、これはその町、その市の自治の情報公開文化レベルに関わる問題です。どういう筋道を通ってこうなったのかをきちんと説明して議決を求めようとするのか、悪いようにはしないから僕のいうとおりにしなさいという道を選ぶのか。これは、人びとをどこまで信用しているのかという、その町の政治文化に関わることです。栗山町条例の第6条は、まさにそういうことを表している。前文にも「論点、争点を発見、公開することは討論の広場である議会の第一の使命である」と書いてありますが、首長と違って議会の一番の強みとは、そうした争点を明らかにする機能にある。つまり、人びとを信頼するということと、情報公開という2つの問題から議案を捉え、そこから町の政治文化がつくられるのだと考えてはどうでしょうか。
会場参加者: どの議会もだいたい同じでしょうが、当局から議会側へは通常1週間前に議案書が回されてきます。会派によっては、当局側へ説明を求めるところもありますが、あまり追及すると当局側は「それは事前審査になるのではないか」と逃げ抗弁をします。われわれも、本会議や常任委員会で審議する前段階で事前審査的なことをやるのはいかがなものかと、控えている場合が多い。こうした観点に立つと、いままでの流れに従わざるを得ないということで、いまの悪い傾向を打破せずに続けているとも言えます。
しかし県議会等では、議会提案前に総務委員会で、大体の議会の総意を事前に当局へ示唆し、議案として提案しているという場合もあります。
辻山: 要するに、議案が送付されてきてから、議会で審議するまでの過程をどうするのか、というご質問でしょうか?
参加者: もう一点の質問は、3月の決算委員会についてです。その中で、当局側へ執行状況の問題点や来年度の提案、施政方針への提言をしていますが、少ししか反映されません。皆さんのご見解があれば承りたい。
辻山: 私のところではこうしていますといった報告があればお願いしたい。
小山: 小金井市の場合、補正予算等に関する予算説明については、会派ごとに企画財政部長が行います。しかしあくまで内容説明であって、深く突っ込んだ事前審査になるような質問はしていません。予め、こういうことでこの議案が提案されますといった説明です。どこの議会でもそうではないでしょうか。
会場参加者: 先ほどの議案のつくり方について一言述べたい。これは条例制定のテクニックと内容の問題だと考えています。テクニックについては、熟練した職員がおりますので、私はいまのところ出てきた議案で良いのではないかと思っています。葉山町では議員の質問に対し、こういう案もあったという話しが出てくることもありますが、それについてどこまで追及できるかは議員の力量に関わってくる。
一つひとつの議案に対し、自らのバックボーンであるさまざまな町民の利害や考え、さらに広く歴史・文化・芸術・教育・福祉という観点、さらには日本という国の一地方の町としてどう判断すべきかといったところから審議していくことが、議員としての真骨頂であり使命ではないかと私は考えています。
辻山: 比較的表に出てこなかった、議案を審査するときの基本姿勢について教えていただいたような気がします。
会場参加者: 京丹後市では、予算編成過程はインターネットですべて公開されているため、議案として出た時点では、総務部長および市長査定が済んだ格好となっている。議会としても、市民にすべて公開した上で進めるという立場です。
このほど政治倫理条例を提案したが、議員の兼業の禁止を定めた92条との関係についてどう考えるべきか、大森先生にお尋ねしたい。いまのところ議員は兼業を禁止されていないが、そうした中、実際に議員の息子や親が公共工事の入札に関わるといった状況が、各地の議会で見受けられるように思います。これは変えていかねばならないと考えるが、条例で定めようとしても、現行では努力規定となり、義務規定にすると法令違反となってしまう。議会のあり方との絡みでどう考えるべきでしょうか。
大森: これは大事な話です。議員は生計を別途維持するような職業を持っていても構わないし、営利企業に従事することも妨げられない。しかし、議会での議論や行政で物事を決めていくときに、利害が関わっている、どうも胡散臭いのではないかということがどこかで分かるようなしかけが必要です。元来、倫理について法律や規定で定めなければならないのはおかしな話です。私はできるだけそうしたものは法律・条例でないほうがいいと思っています。国家公務員倫理法も廃止したいぐらいですが、もう少しきちっと自己コントロールが担保されなければやむを得ないのでしょう。
私どもも、議員活動とはどうあるべきで、どういう制約の中に置き、どこが報酬の対象となる公務なのかについて詰めていかねばならないと思っています。議員として行う仕事は、ある程度広めにとるべきだと思っていますので、その中にいまおっしゃられたようなことを、どういうかたちで処理できればいいのかということを、もう少し詰めていきたいと考えています。議員の仕事をあまり縛るべきではないとも思うし、ある程度限定的にきちっとやったほうがいいかとも考えあぐねています。胡散臭い、きな臭い話が出てこないようなやり方を、皆で考えていただくしかないし、そういう場合はその議員を外す等、それぞれの議会の中で対処してもらうほかないと思います。
会場参加者: 大森先生、今村先生にご質問したい。大森さんから先ほど、執行機関が自ら提案、自ら決定するのはおかしいという話がありましたが、その話と、実際に議会が企画立案するにあたり、どのような能力を持てるのかという話とが連続してくるように思います。私は個人的には、長の議案提案権を制限しないことには、議会の能力もなかなか高まらないのではないかと思っていますが、議会の能力向上のために、長と議会との関係をどうすればもう少しうまくいくとお考えでしょうか。
もう古い話ですが、以前、東京都の環境アセスメント直接請求運動を行い、その後、都議会で都の総務文書係に各専門家を呼び、独自条例案をつくりました。都議会という大きな団体でも、議事係にアセスの専門家はまったくおりませんでしたので、チームを一旦議会に派遣して、議会事務局の職員にも見せながら作業を進めたわけです。すると政治の世界は一体となり、野党の提案はすべて執行機関側に筒抜けになった。専門職である公務員が、議会・執行機関に対し、平等にサービスをするといった公正中立な原則があるなら良いのですが、実際はそうではない。国会などはめちゃくちゃにひどいが、自治体も相当ひどい。議会が企画立案能力を持つために必要なものは、経験でしょうか、制度でしょうか。
私自身は、市民の立法を支援するためのセンターを各地域につくり、それらが横につながるようなものが、行政機構に対する一番大きなアンチテーゼになると考えています。そうした組織が自治体議会ともうまく結びつき、自治体議会の中にも市民立法を支援する組織がリンケージしていくようなイメージを持っていますが、それに対しても意見をお願いします。
大森: おそらく私は、制度の問題よりも運用・経験の問題だろうと思います。栗山町でなぜ最初に議会基本条例化ができたかと言えば、議長が二期目だからです。そしていろんな意味で人柄、物言い、見識等が揃っていたからです。議長がころころ変わっていては、議会で新しいものを生み出すことなどできるはずがない。そういう条件を自ら作り出さねばだめなのだと思います。栗山の場合は経験をたくさん積み重ねてきたが、やはり二期8年はしない限り、議会から新しいものは生み出せないと思います。まずは1年や2年で議長をくるくると変えるのを止めることです。
二つめの質問についてですが、私も当初は、各議員に政策後援会が必要だと考えていました。さまざまな能力を持てる市民が、ひいきする議員の政策後援会をつくるべきだと言ったこともあります。しかし、外でものをつくり持ち込んだところで動かない。中から出さない限り取り合ってもらえないというのが現実なのです。とくに一定規模以上になると、意気揚々とした一人会派のような議員が市民と結びついてつくった案などは、みな拒否される。いかに内部化するかの努力が必要で、そのためには少々自堕落に見えても、使えるものはすべて使い、内から出していくようにすることです。
先ほどの議案のつくり方という点に関しては、首長がつくっても議会がつくっても議論は成り立ちますが、私は議会でつくるべきだと言っています。あるものごとを決める前にはオルタナティブ、もう一つの案がある。日本の場合、霞ヶ関も自治体も、原案をすべて一本化してきます。その間にあったさまざまな案が吸収されることで、最終案は一つに絞られ、そして必ず通ることになっている。もし首長が2つ3つの案を提案した場合、議会は「自信がないのか」「どれを優先するのか言え」と言うでしょうし、またそれを示せばそちらに決めるのではないでしょうか。だから、どちらかと言えば議会が企画立案することによって、議会が「討論の広場」としての議会になるはずです。紆余曲折はしても、当面、自分たちはこれでいこうという意思決定のプロセスを分かりやすくするほうがよくて、あれやこれやの案の中から、最終的に首長か議会が決めるというのはむしろ難しいことです。理論上はありえても、いままでのやり方を相当変えねばできないでしょう。
当面は青山さんがおっしゃるように、プロセスを明確にすることが大切で、いくつかの案の中でもこれが現実的であり、暫定的に取り得る案だとまとめていくほうが良いように思います。それをできるだけ内部化するほうが通っていきやすいと見ています。
今村: 私は、小さな自治体の議会事務局はどだいなにも成しえないとの印象を持っています。日本のいわゆる首長制をとる組織との比較で言うと、アメリカの連邦議会では、法律、予算、すべて議員提出が原則です。執行機関が提出することなどはあり得ないし、向こうから議員に頼み込みにくる。本来的なスタートということであれば、すべてを議員がやるべきであり、それをやらなければ議員の存在価値はないことになります。しかし、いまのままではそれもできませんし、議会事務局がいわゆる野党の助っ人などをすれば、その人は執行機関に戻れなくなります。
アメリカのポストドクターに教えられたのですが、アメリカには「婦人有権者同盟」という団体があり、そこに市民立法等の知恵が結集している。自分で秘書を雇えないような議員や、秘書に頼めないような場合には、そこに聞くしかないというかたちで、大変充実していた。いわゆるNPOではなく、伝統ある一種の政治運動団体のようなものですが、皆ただで働き、しかも喜んで立法のサポートをしていた。なかなか妙案は浮かばないのですが、日本でもそうした仕掛けを、議会や地域を越えたところにつくれないか。学者、研究者がうろつき、喜んでただ働きをするような場ができれば、大変力強いと思います。
大森: 私が知る限り、議会が自ら条例を提案したいとなった場合、首長がそれを止めさせたケースはあまりない。議会が乗り出すことを、首長は本来嫌がっています。三重県知事だって嫌がっているのです。しかし、議会が自ら汗をかこうとしている気持ちは分かるため、「ではどうぞ」と首長は言うのです。議会が、「このことは本当に大事なことなので、こういうやりかたでやってみたい、執行部にもぜひ協力をお願したい」と言えば、議員提案はそう難しくない。サポートなどいかようにでもなる。要は議会がやりたいと決心するか否かです。それに対して首長は反問権も使うが、互いに協議しながら妥当な線を決めていけばいいことです。須田さんのおっしゃることは、そう危惧すべきことではないというのが、現在の私の見方です。
今村: 議員提出の条例を考える場合、可決成立という幻想を抱くから難しくなる。議員提案はどこでも、圧倒的につぶれるものが多いのです。可決成立して条例が制定されるのは希有のことであり、そのくらいの覚悟がなければ議員提案などできない。いまも12分の1という制限がかかっていますが、要件のハードルを低くして廊下に提出案箱を放り込んだところで、廃案のリスクを負うのが議員提案です。代替案もたくさんあって当たり前でしょう。
会場参加者: 議員研修条例から生活安全条例、情報公開条例など議員提案は一人でどんどんやってきた。予算委員会では予算修正案も出した。今村先生がおっしゃったように、やはりどんどん出すべきであり、議論しないとだめだと思います。それを仲間内では、見栄っ張りだ、パフォーマンスだ、人気取りだと言われますが、それはおかしい。能力もやる気もないだけなのではないか。
少年リンチ裁判の地裁判決に対し、県が控訴したのですが、私は控訴取り下げの意見書を議員提案として出しました。しかしその出し方が悪いといって、中身に対する議論をしない。私は栗山町の自由討議を高く評価しています。飯田市議会も四日市市も岸和田市も議論する議会になっている。議会改革マニュアルはほぼ大体できているのです。それをどう実践させるかがこれからの課題だと考えています。
来年の地方統一選挙までに、1都6県の議会ランキングを行い、怠けている議会と活発な議会、そして良い議員と悪い議員の評価をしたいと考えています。
会場参加者: 来年の統一地方選挙は、市会議員クラスも含め、ローカルマニフェストを掲げた日本で初めての舞台になります。政治文化をどう変えるかということに帰着するのですが、その最大のメルクマールは選挙のあり方を変えるということでしょう。いまは市会議員クラスで公約や政策を挙げても、4年間ほとんど検証もされず、問いただされもしない。議員は全く縛りなく勝手に議会で発言し、次の選挙ではまた政策を掲げて闘うという構造です。少なくとも、パーティーマニフェストや小選挙区制導入におけるマニフェスト運動の中では、政党や候補者の側が政策によって規律化される文化と同時に、選ぶ有権者の側も選んだ責任、つまり主権者としての責任を行使し、政策が政策どおり実現されるかどうかを検証するのだというしくみをつくらない限り、現状は変わらないと思います。
市会議員クラスでローカルマニフェストをつくること自体、執行権がないので意味がないという議論は論理的には正しいが、しかし約束をきちんと守る、あるいは公約に対する説明責任を果たすという意味では、ローカルマニフェストを掲げるべきです。議員もできれば単独でなく、会派あるいはチームで掲げるべきなのですが、そのときの大きな課題は議会改革だと思います。執行権が無い中で政策を挙げることへの制約はあるでしょうが、議会のことは議会が変えられる。決意をすれば必ず改革はできるので、それを政策として担保し、どのようにして多数派形成を達成するのかの道筋を示すことです。ネットは、ネット内としてはおやりになっているのかもしれないが、党派を超えて統一政策を掲げる、あるいは会派を超えて、議会改革の課題で選挙の争点をつくっていくというようなことをお考えなのかどうか、お聞かせ願いたいと思います。
小山: 各議会の中では、いろいろな会派が意見の合うところで、ともに政策を実現するために提案等をしてきています。しかし選挙の中で、統一の選挙公約のようなものをともにつくり一緒に戦えるかというと、東京ネットの政策委員会としてそこまでは議論に及んでいない。自分たちが地域をどう活性化していこうかというところで、ネットとしての政策はつくるが、それを他の政党と共有できるかどうかは、また別ではないかと考えています。
若林: 今日は市民と議員の条例づくりということなので、議会の中での議員提案というところを突き抜けていきたいと思っています。私たちのローカルマニフェストは、もし議員になったらこういう条例提案をしますというところを見越しています。私ももう少し、議員が市民とつくる条例の実践について、現場サイドから話をすればよかったと思っていますが、明日の第四分科会では、市民の方から現場報告をしてもらうことになっていますので、それにゆずりたい。
辻山: そろそろ時間が残り少なくなってまいりましたので、どうしてもとおっしゃる方がいれば挙手をお願いします。
会場参加者: 投票に行かない、投票率が低いということと、議会の形骸化、議会は必要ないのではないかということが指摘されているが、私自身は、議員内閣制にすれば解決するのではないかと思っています。そもそも法改正が行われている中で議会改革が叫ばれるのは、議会が機能していないからではないか。
次に監査機能についてですが、監査委員の機能を高めたはずなのに、機能そのものが果たされていないように思えます。監査機能を充実すれば議会機能とバッティングするし、首長が委員を推薦すること自体がそもそもおかしい。監査委員の報酬も非常に低い。したがって、十分な監査機能を果たせないのではないでしょうか。監査機能を充実させないということは、住民と遠い行政機関であること、あるいは議会の議論が深まらず、すべてが官主導で行われていることを意味するのではないでしょうか。
大森: 理論上、人は選挙のとき、少なくともある条件が成り立たない限り一票を入れないのです。これは政治学の講義になりますが、世の中が変わる、変わる世の中に、政治が意味をもち、その政治に自分も何らかのかたちで影響を及ぼしうる、なかんずく自分の一票に意味がある、こうした「政治的有効性感覚」を持たない限り、人は一票を入れません。選挙を棄権する理由ははっきりしています。むしろ、投票日に、特定の人に一票を入れるのはなぜかという説明をするほうが難しいのです。したがって、よき市民論を説いても無理なのです。千葉大の最終年の試験で、「あなたの一票にはどういう価値があるのか」という問いを出したことがあります。国の選管が、一票に力があるとPRしたものだから出題したのですが、学生からは、「先生の答えが無いのに、どうして学生に質問するのか」と怒られました。
投票率がどのくらい上がればデモクラシーが機能していると言えるのかは、難しい問題です。8割方の人が意識に目覚めて投票所に行ったら、まさに革命前夜です。それほどまでに期待をかけなくとも政治がまわるしくみがあるなら、人々が目の色を変えて選挙にいかなくとも良い。要はバランスの問題です。
しかし、それがあまり低下すれば、システムそのものの正当性が危うくなる。たとえば首長も絶対得票率が3割を切れば、一体自分はどういうことを考えて意思決定をすべきか不安になるものです。一定程度までの投票率は必要です。しかしそれ以上に高くなることを、はたして都市部で期待すべきでしょうか。政治の機能はそこそこにして、人びとがそれ以外のことにさまざまな価値や意義を見出し活動するような社会を形成したほうが健全なのであって、あまり過熱しすぎる政治は良くないのではないかと思います。
私は、比較的そうした現実主義的なデモクラシー論理をとっていますので、ローカルマニフェスト運動にはほとんどコミットしていません。とくに首長にそれをやらせるのはたまらない。あれは何を前提にしているかと言えば、首長がみな事案を出すことを前提としているのです。そこのところを変えずに議員がローカルマニフェスト運動をやっても空しいだけです。議会が事案を出していく、そのためのローカルマニフェストであるなら大変意味がある。結局、首長のローカルマニフェストを応援している人たちは、首長が事案を出すと思い込んでいるのです。やればやるほど、首長の権限を強める運動になっている。だから私はあの運動に冷ややかであって、議会の充実強化が大事なときに、勘違いしておられる人が多いなという気持ちでおります。
保守的な意見ですので、聞き流していただいて結構ですが、私は、選挙とはゆるやかな政策と人を見ながら選ぶものであって、政策だけで選ぶものではないと思っています。
青山: 最後に追加的補足を。大森先生のお話は良く分かるのですが、来年4月の統一地方選をイメージした場合、東京のたとえば小金井市のような規模の自治体で、定数36人に対して立候補者38人という場合の市議選の候補者をどう選ぶのかと言われると、私ですら困ってしまいます。投票率が下がるのは当たり前です。きちっと政党で選挙をしてほしい、とりわけ一定以上の規模の選挙は政党で戦うべきであって、市のマニフェストを個人個人がつくるのではなく、そのまちの政党ごとにつくらねば意味がないように思います。
監査委員制度と議会の問題は、否定も何も、競い合えばいいという話ですし、監査委員に議員が入ってくること自体がそもそもおかしな話だと思います。あれはまさに名誉職であり、議長選に敗れた議員のために最後に残しておくポストになっている。だから機能しないのです。基本的に外部監査委員をしっかりすべきであり、なおかつOBを排除すべきです。夕張の場合はどちらも入っていたために、機能しなかったのです。
辻山: 時間がやってまいりました。長時間付き合う中で、私にもフラストレーションが残るディスカッションでした。あれほど議論してきたのに、結局何が問題なのかがまだ分からない。しかたがないので午前中の最後に提案された、議会とはそもそも住民の権力を預かる機関であるという原理原則を、ここできちっと確認しておくことが必要なのではないかと思います。
自治基本条例の策定は、首長の呼びかけで市民が集まるパターンが多いですが、そこに「市民の意思に基づき議会を置く」と書くと、議会は頭から湯気を出して怒る。議会とは市民によってつくられるものではなく、憲法93条でつくられているではないかというわけです。基本条例のつくりはじめのときから警戒心ばかりが先にたち、地域の公共空間の中で議会がどこに位置しているのかを、議会自らが考えてみようとしたケースは稀です。議会が議会基本条例をつくり、自らの位置を確認することが必要ではないか。同時に、まずは飯田市の例に倣いながら自治基本条例づくりをやろうと考える。議会がつくるときに会派の特別委員会でやるのではなく、もっと行政の専門家や市民も入れてより良きものができないか、そのとき、議会が地域社会でリーダーシップをとれるかどうかが問われているのだと思います。
ぜいたくをいえば、議会提案による住民投票条例を通し、住民投票で議会提案の議会基本条例を通す、そしてその条例に栗山町条例のような議会の基本ルールが書き込まれているというようなことを、私は願っています。もしうまくいけば今日の栗山町のように、そこにどっと情報収集に集まるような世の中です。できるところでまずやってみる、そのためには近隣の議会が応援するといった連携があってもよいのではないでしょうか。
このセッションが何のためのセッションだったのかを反芻しながら、この場を閉めたいと思います。ありがとうございました。
(了)
※記録作成・まとめ/会場参加者の発言などの文責:市民と議員の条例づくり交流会議実行委員会(事務局)
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