全体会議2 討論

司会:小塚尚男(市民セクター政策機構 理事長)

 ありがとうございました。それでは、今の二人のご報告に対し、三人の方よりコメントをいただきます。まず韓国の李さんからコメントをいただきます。李さんは仁川私立大学貿易学科教授で、新自由主義克服のための代案政策連帯会議政策団長を務めていらっしゃいます。

李贊根(仁川市立大学貿易学科 教授/新自由主義克服のための代案政策連帯会議 政策団長)

 今回、全体会議2にコメンテーターとして参加できることを嬉しく思います。お二人のお話は大変興味深くお聞きしました。熊岡路矢先生は、具体的にカンボジアの衝撃的な状況、新自由主意義に露出した移行経済すなわち資本主義の市場経済に移行する過程の中で起きている社会的破綻について、よく整理していただきました。金ジンス教授は、外為危機以後韓国がどれほど多くの社会的費用を支払っているかについて説明してくださいました。お二人とも、これからの課題について一部分言及してくださりましたが、私はお二人のお話を整理するのではなく、私が考えていることをいくつかの提起したいと思います。

 私たちはグローバリゼーションの進行によって、多くの問題が生じているという点を概ね認めています。特にグローバリゼーションが進行する中で、徐々に社会的弱者としてし押し寄せている人びとに対して、社会安全網の拡充が解決策になるのかについて私たちは考えてみなければならないでしょう。雇用保険や最近韓国で取り入れた最低生計費保障制などが問題解決になるのではなく、より根本的な問題の解決は雇用の創出にあると私は思います。何故ならば労動は神聖な行為であり、働くことができなければ、その人の人間としての尊厳性は破滅に至ります。ですから、グローバリゼーションの環境の中で、どのように雇用を創出するかが、より重要な課題だと思います。

 その方法論として国際的に多くの関心を集めてきたのは、外為金融危機のような惨事をなるべく阻むことができる資本の規制が必要だということでした。国際的に超国家的投機資本に対する規制が必要で、それのために国際的な金融蓄積型秩序を改編する必要があるという論議がなされました。この点について、より具体的な多くのアイディアが出されました。例えばヘッジファンドを規制しようという議論がありましたし、また国際市民社会で大きな注目を集めているのはトービン税でしょう。トービン税が、特にフランスの多くの市民社会団体を中心にして多くの注目を集めましたが、これ自体も実行させるにあたっては、技術的な問題があります。同時に、最近アルゼンチンに外為危機が発生しながら、IMFのような国際機構が介入せずに、債務者と債権者間で直接解決するのが望ましいからという理由で、国際破産手続きに関する議論もされていますが、これもやはり制度化することは難しいと思います。このように超国家的金融資本がしきりに地球村のあちこちで外為危機を発生させながら、雇用の破壊と社会的破綻を引き起こすことを食い止めなければならないという議論は続いていますが、これを乗り越えることのできる具体的な制度的装置を準備することは簡単ではないという点を指摘しておきたいと思います。

 それでは、こうした状況の中で、私たちが新しい代案模索の軸として考えることができるものが、熊岡さんが指摘した地域経済活性化運動ではないかと思われます。英語ではCommunity Revitalization運動と言いますが、この運動は現在、発展途上国で広く実践されているというより、むしろ新自由主義の中心国と言えるヨーロッパとアメリカで活発に展開されています。この運動の特徴は、この間、先進諸国でも新自由主義の流れに捕われておびただしい雇用の問題が発生したという事実を認識し、できるだけ小さなコミュニティ単位で、雇用を新しく創出するようにパラダイムの転換をはかるというものです。例えば、“私たちの地域で作って他の地域や外国に売ることができるものは何だろう”というのが、従来のグローバリゼーションの考え方です。すなわち、私たちが作って国際競争力を持つものが何かを考えるということですが、これに反してコミュニティ活性化運動の考え方は“私たちが持っている資源で私たち自ら私たちの必要を満たすことができる方法は何だろう”というものです。私たちの村で、卵が必要だと言う時に、それを外部から調逹するのではなく、私たち内部で調逹することができないか、地域内で小さな規模の電力供給が可能ではないか…など、こうした考え方を通じて、地域内で雇用を創っていく運動で、これはアイルランドやイギリス、オランダやスペインで20余年にわたって、かなりの発展をしています。私が見たところ、東アジアではあまり活発ではなく、特に韓国ではこのような考え方とアプローチは、あまり見受けられない状況です。だからこそ、今日のようなフォーラムを通じて、こうした議論が必要だと思うのです。

次に、熊岡さんのカンボジアに対する状況の説明を聞きながら、北朝鮮の問題を指摘しなければならないと思いました。カンボジアも、共産主義政権から多くの期待と希望を抱えて資本主義市場経済に移行したわけですが、これが結局は社会的な生の質の向上と経済力の収斂につながっていないという報告を熊岡さんから伺いました。これは北朝鮮問題も愼重に対処しなければいけないことを示唆します。先月の中頃だと思いますが、中国の北京に滞留していた北朝鮮難民25人がフィリピンを経由して、韓国へ亡命する事件が発生しました。マスコミは、これを‘企画脱出’と名付けたりしました。こんな 脱走事件を見ながら、韓国内には個人的な人権と自由を求めて勇気をもって脱出した北朝鮮難民に対して、私たちが拍手して暖かく迎え入れなければならないという社会的雰囲気が支配的です。果して、私たちはそのように単純な見方をしなければならないのでしょうか、もう少し愼重に考えるべきだという批判が可能です。去年の冬、私は東ドイツに行って来ました。東ドイツは皆さんもご存知のように、90年の東西統一後、約12年という歳月が経ったことにもかかわらず、東ドイツ経済は殆ど惨状に近いと報告することができます。いくつかの数値を申し上げます。

 現在、東ドイツの経済成長率は西ドイツの経済成長率に及びません。これは重要な意味を持っています。両ドイツの経済力が収斂されるどころか、むしろより格差が大きくなっているということを意味するからです。東ドイツの人口は全体ドイツ人口の17%位なのに、全体失業者の35%は東ドイツで発生しています。東ドイツが生産する製造業の産出額はドイツ全体の8%に過ぎず、東ドイツの輸出額はドイツ全体の6%という状況です。このように数値自体がとても低いだけでなく、その間、西ドイツは毎年720億ドルを東ドイツに財政援助して来たという事実も見逃してはいけないでしょう。 毎年720億ドルということは、12年間で約8000億ドルの資金が西ドイツから東ドイツへ財政投入されてきたということです。97年外為危機当時、IMFが韓国に投入した資金がわずか200億ドルだったということを思えばどれほど巨額な資金か想像することができると思います。にもかかわらず東ドイツ経済は、西ドイツとより一層格差が広がっているわけです。これが示唆することは、政治的統一は決して経済的収斂をもたらすものではなく、東ドイツ人びとの生の質の向上を意味するものではないと言う点です。

 以上で述べたように、カンボジアの事例と東ドイツの事例をよく見ながら、私たちが南北統一の問題を、あまりにもロマンチックに思っていたのではないかということを反省しなければならないのではないでしょうか。市民団体が西欧の価値観に立脚して個人の人権と個人の政治的自由に重点を置き、北朝鮮に市民社会を作ろうという願いは、むしろ南北朝鮮経済の破綻と東アジア経済の危機をもたらす可能性があるという点を指摘したいと思います。北朝鮮を開放するということは、新自由主義と金融資本の暴力性 に一瞬にして露出することですから、私たちはこうした点を警戒しなければならないでしょう。ありがとうございました。

司会:小塚尚男(市民セクター政策機構 理事長)

 ありがとうございました。続いて日本の又木京子さんです。現在、神奈川県の県会議員で、この二月まで神奈川ネットワーク運動の代表をされていました。東京・生活者ネットワークや神奈川のネットワーク運動は、日本の地方政治でもっとも元気のいい組織です。よろしくお願いいたします。

又木京子(神奈川ネットワーク運動 代表)

 今、グローバリゼーションと社会安全網というテーマについてのご報告があり、熊岡さんからアジアで活動するNGOの、金さんから韓国の社会保障問題のお話をいただきました。私は、そうしたテーマに関する日本国内の動きについて報告します。

 私は、神奈川ネットワーク運動という地域政党で活動しています。日本が戦後補償問題に決着をつけていないことや、多くの企業がアジアに進出し、グローバリゼーションを通じてアジアを翻弄していることに対し、日本の市民として何をするのかが問われていると思います。

 日本は、不況の只中にあり経済が大混乱していますが、そうした不況も戦後補償の問題も政治の失敗です。それが政治家の失敗であり、その政治家を生んだ市民の失敗であるとすれば、私たちはまず政治をつくり変えなければいけません。そのためには、政治家を生む構造、社会の構造、政治へ市民が参加する構造を変えようと、国会議員ではなく、地方議員として地域政党を結成し、20年ほど活動してきました。この活動を通じて、市民が責任を持って日本の構造と政治を変える、市民社会の形成を目指すことを目的としています。

 また、社会の構造を変える一つの手段として、日本の中で女性が力をつけて地域生活の中の政治をつくるのと同じく、アジアの女性のエンパワーメントを協力し、アジアの社会をつくり変えていこう、おろそかにしてしまった戦後補償問題に私たちなりの参加をしようと、「WE21ジャパン」というリサイクルショップを通じたNGO活動をしています。最初のリサイクルショップを開店してから、四年間でなんと四二店舗にも広がりました。現在の年間売上は約三億円ですが、自分の社会をリサイクル社会に変えることに参加しながら、その売上でアジアの女性のエンパワーメントに協力するという仕組みです。日本の社会をどうつくり変えるかに常に責任を持ちつつ、アジアの人々と協働をするという活動です。

 さて、日本はグローバリゼーションの波に洗われたことと、政治の失敗による経済不況で雇用不安が非常に広がり、中高年のみならず、若年層も就職難に直面しています。一方、老後の不安を自力で何とかしようとお金を貯めている高齢者がいるのに、そうした高齢者にサービスを提供するプログラムは大変不足しています。仕事にあぶれる人がいると同時に、あちこちで人手不足が生じているという歪んだ構造が見受けられると同時に、これまで家庭で育児に専念してきた多くの女性が外に出て働くようになったため、保育園も不足しています。

 現在、中高年や若者の失業は、主に物をつくる生産現場で発生しています。ここでは、男性が一人で稼いで家族四〜五人を養えるだけの報酬(年収400〜500万円)が得られます。ところが人手不足となっている高齢者福祉や子どもの保育の仕事は女性が中心で、年収200〜300万円という低い水準であるため、生産現場の失業者を福祉サービスへと簡単に移行できません。日本社会には、働く自由はあっても、報酬体系の違いがその自由を阻害しています。さらに、女性が多く働く福祉関係の職場はパートタイマーが多く、社会保障が大変不足しています。こうした問題を整理しない限り、日本の失業問題、不況問題は解決できないと思っています。

福祉を強くすれば、日本経済がよくなるという単純な話ではありませんが、人びとが安心して暮らせる社会保障、安全保障は、福祉サービスの公的な税金によるサービスを向上させるのではなく、個人が持っているお金をもう少し使って、豊かに暮らしていけるようなプラスアルファのサービスを加えることが必要だと思います。お年寄りがいつでも出そうと思っているお金を出せて、そして働く場所が増えていけば、少しは日本も変わるのではないかと思っています。
 また、従来のパートタイマー、フルタイマーという二者択一の働き方ではない労働政策もつくらなければなりません。これはヨーロッパなどから学ぶところが大いにあります。

 韓国と日本の問題、アジアの問題で最も大きな問題はジェンダーだと思っております。私たちローカルパーティーは、働き方から社会をつくり変えるために努力しています。

司会:小塚尚男(市民セクター政策機構 理事長)

 ありがとうございました。次は、今まであまり議論に出てこなかった農業の観点からのコメントを、先崎さんよりいただきます。

先崎千尋(有機農業推進協会)

 私は、グローバリゼーションの弊害とは、すべてをカネやモノで仕切る点にあると思います。モノやカネが多ければいい、安ければいいという価値観で世界が構築されつつあるように思われますが、果たして私たちはそれだけで生きているのでしょうか。生活のレベルはカネだけで測れるものではありません。そうでない社会をどうつくるのか、どう仲間を増やすのかが、一番ベーシックな問題だと思います。

 日本の場合、地方では、さまざまな特徴ある取り組みが行なわれています。須田さんが事務局を担っている環境自治体会議でも多様な試みがなされています。例えば農業という視点からは、自分たちの住む地域をどうしていくかを考えるプロジェクト(「農を活かしたまちづくりプロジェクト」)が昨年度にスタートしましたが、このように、国に頼らずに自分たちの地域でできることをまずやってみよう、よそのいい所はどんどん真似してみようという動きが出てきたことが、環境自治体会議がスタートしてからの10年間で芽生えた大きな特徴であると感じています。

 日本では、農業や中小産業が縮小、劣悪化したために、地域経済が成り立たなくなった市町村が全国に多数存在します。しかし、過疎地と呼ばれる、生活するのが困難である中山間地における成功事例もいくつか生まれてきています。成功している事例を見ると、その要因の一つに、カネやモノだけではなく、心の豊かさを含めて暮らしをどう豊かにしていくのかという発想があります。そうした成功事例から学び、普遍化していくという作業が、地方自治体なかんずく環境自治体の役割だと考え、私たちはいろいろと模索してきました。

 失業やそれに伴う様々な問題がある中で、自分たちが最低限生きていくためにどのような社会安全網が必要か、そのために地域で何をすればいいのか。日本の食糧自給率は40%前後にまで落ち込んでいます。しかし、日本には遊休農地がたくさんあるわけですから、単に中国の農産物と価格で競うのではなく、安全性やそれに伴う豊かさという観点から、そのような土地を有効利用していくべきだと考えます。こうした考えは全国に一気に広がるわけではないので、どうすればいいかが分かる人たちが自分の地域で、自分たちのやり方で少しずつ広めていくという努力していけばいいと思います。

 最後に、韓国の「セマウル運動」は、私は十分に理解できていませんが、標題の社会安全網と関わりがあると感じています。この運動が韓国でどう展開してきたのか、社会の様々な問題とどう絡んでいるのかについても、ぜひ議論していきたいと思います。

司会:小塚尚男(市民セクター政策機構 理事長)

 ありがとうございました。では、ディスカッションの後に、熊岡さんと金さんにまとめていただくという形で進めていきたいと思います。

柴田武男( 聖学院大学法学部 助教授)

 私の専門が金融市場論ですので、 金振洙教授に、IMFのコンディショナリティの評価についてお尋ねしたいと思います。

 ご指摘のように、IMFの構造調整は、失業率や自殺者、離婚の増加といった大変大きな痛みを韓国社会にもたらしました。ところが、これを引き起こした事態は案外知らない人が多い。九七年一一月に日本に緊急融資を申し込み、それが断られたのがIMFコンディショナリティに続いたわけです。そのとき申し込まれた融資額は五五〇億ドル、たったの七兆円あまりです。日本は九八年に約二〇兆円もの大金を使って一つの銀行を整理したわけですから、七兆円くらいの金額には当然対応できたはずです。それを拒否したことで韓国経済はIMFの管理下に入った。そういう意味では日本にも大変大きな責任があるというか、日本の決定がこういうことを引きこしたというのは事実だと思います。

 ところがその後の推移の中で、一部からは、日本もむしろ一緒にIMFの管理下に入った方がいいんだという意見が出始めています。小泉改革の金融再編が遅々として進まず、日本では慢性的なデフレが続いているわけですが、かたや韓国経済はバブルの絶好調。四〜五千万の高級マンションが売れ、家賃も大変上がっている。ブームに沸く韓国経済は厳しいIMFの管理化の企業再編、金融再編が行なわれたおかげだと。痛みを伴う改革といいながら、ずるずると慢性的なデフレに陥るよりは、日本もIMFの管理下に入った方がいいのではないかという意見に対し、キム教授からのコメントをいただければと思います。

李康鉉(ボランティア21 事務総長)

 私は李贊根教授と、 金振洙教授、そして又木京子さんに質問したいと思います。発表と討論を通じてグローバリゼーションが失業の根本的な原因であるという点を指摘されたと思います。しかし、私は失業の根本原因は技術革新だと思います。そして、グローバリゼーションを阻むよりは、むしろ積極的に対処しなければならないという国連事務総長の発言があったことを覚えています。95年度にジェレミーレプキンが労動の終末を話した時、これからの大量失業を阻むことはできないので、労動時間の短縮と雇用の提供と短縮された時間をボランティアのような無報酬雇用への参加が代案にならないだろうかという議論がありました。無報酬雇用に対する社会通念的な価値認定が、今まであまり高くなかったが、これからはそれらを私たちが変えなければいけないと思います。又木京子さんが、日本でも福祉部門の雇用はあるが給料が低いから人手不足だと言われましたが、それは韓国でも同じです。そのためには、例えばSocial Creditを与えるとか、あるいはイギリスで行われているVolunteer CreditというCredit制度を利用すれば問題が解決するのではないかと考えます。

安藤博(東海大学平和戦略研究所 教授)

 先崎さんへの質問です。「カネやモノではない、心の豊かさ」と言われましたが、それを測る手段と具体的な内容を教えて下さい。

 自分のこころの持ち方とか個々の主観についてではなく、例えばこういう場で論じるような、あるいは運動の対象とするようなものとして「豊かさ」を言う場合に、「カネとモノ」を別として、どんなことがあり得るのでしょうか。

 この質問の前提になっているわたしの感覚を申し上げれば、市民が清く貧しくみじめったらしいというのは嫌だと言う事であります。自分自身にはお金がないから特に思うのですが、脂ぎって、憎ったらしい面をして、お金をいっぱい持っている市民もいていいのではないか。つまり、市民が自立した活動を継続させていくには、経済界と連携するとともに、自らの活動も経済的に間尺の合うあるものにし、カネもモノも持った市民がいっぱいいていいんじゃないかということです。

司会:小塚尚男(市民セクター政策機構 理事長)

 ありがとうございました。安藤さんらしい質問でした。

大江正章(コモンズ 代表)

 李贊根さんにご質問いたします。李さんは、根本的な解決の道は地域内の職場創出であり、地域産業の活性化であるとコメントなさいました。基本的に私も同感ですが、どんな形で地域経済を活性化するかが非常に重要なことだと考えております。実際に李さんがおやりになっている代案創出の中で、具体的に暮らしの質を豊かにするような、あるいは自然や環境と調和したような形での雇用創出の事例をお聞かせいただけないでしょうか。さらにそうしたことを考えるのにあたり、参考とされている日本ないし欧米の動きというものがもしあれば、それもあわせて紹介いただければと思います。

司会:小塚尚男(市民セクター政策機構 理事長)

 ありがとうございました。それでは先崎さんからお願いします。

先崎千尋(有機農業推進協会 理事長)

 ありがとうございました。カネやモノだけではないということで、論点をむしろすっきりさせる意味で強調いたしました。全国の日本の村々を歩いてみて感じるのは、やはりカネやモノは必要だということです。ただ、その持ち方として、例えば先ほども例に挙げた熊本県水俣市の元気村条例のように、山間部で非常に面白い試みが始まっています。エコマネーを運用させ、雇用の創出もあり、全国からいろんな人が入り込んできている。そういった事例は全国にたくさんあります。

 さらにもう一つは直売所です。先ほどもどなたか触れていましたが、いま日本の農業、農村で唯一とまではいいませんが、元気なのは産直や直売所です。猛烈な勢いで直売所が増えています。まだ一兆円産業までは至ってはいませんが、地産地消、身土不二、自分のところで生産したものを隣近所でおすそ分けする、その中から加工製品が生まれ、いままであった地域の名産が復活するといった、人間関係も含め大変暖かいものが生まれてきています。むろんその中にはコマーシャルベースで売れればいいというものもあり、千差万別ですが、私はやはり農産物自給運動や直売所といったものの中に農村社会の明日を見たい、夢を託したいと考え、自分なりに動いています。

そういう意味で、具体的にということであれば事例をあげてお話ししますが、先ほどの私の発言では、グローバリゼーションの波に呑まれてジタバタするだけではなく、対応する仕方があるのではないかということを強調したかったわけです。

又木京子(神奈川ネットワ−ク運動 代表)

 私もグローバリゼーションがどれだけ経済に影響を与えるかについては、残念ながら勉強不足ですが、いま先崎さんがお話した心豊かに生きるということについて、少し話させていただきたいと思います。

 失業の問題とも関係があるのですが、日本の女性たちは子どもを産むときに二者択一を迫られます。子育てをし、保育園に子どもを預けながら仕事を続ける、いわゆるペイドワークを続けるか、それとも子育てを専念して楽しむために、ペイドワークから足を洗うか。一度足を洗ってしまうと、子どもがちょっと大きくなってから、何かペイドワークをしてみたいと思っても、自分の納得いく職場はほとんど用意されていない。したがってパートタイマーになってしまうという現状があります。もし心豊かに生きるならば、子育てを楽しみながらいつでも仕事復帰できる仕事のあり方が望ましい。子供を産んだらほんの少しペイドワークの仕事で働きながら、子どもが大きくなるにしたがって少しずつ仕事の時間を増やしていける――これは今の大勢の女性にとって、本当に大きな希望なんです。しかし、政治が用意しているのは、たくさん保育園をつくります、もしくは子育てにお金がかかるならお金を出しましょうか?という政策ばかり。豊かさというものの表現がまったく現実とずれています。これこそ政策の失敗だと私は思います。

 オランダには労働時間差別禁止法という、労働の時間差によってフルタイムとパートタイマーを区別してはいけない、社会保障政策を変えてはいけないという法律があります。女性がフルタイマーになり、男性も子育てをしながら働くことが可能になって、この10年間で男女の就業比率を同じにしようとしています。このように働いたり、子育てをしたり、介護をしたり、コミュニティ活動をできたりというのが心の豊かさの指標であり、どんなにお金やモノがあっても幸せや不幸は測れないのではないでしょうか。

 もう一つ、たとえば今の日本の高齢者を見ますと、お金持ちも、生活保護で暮らしている人も、特別養護老人ホームという施設に入所すればまったく同じ扱いを受けます。先ほど安藤さんが、お金をいっぱい持ってとおっしゃいましたが、日本の福祉は、介護が必要になったらすべて一律の生活をするよう制度化されています。お金があってもサービスを買えないのが高齢者の現状です。お金を使いながら豊かな暮らしをしたいというのが市民の生活要求であるならば、そうした福祉サービスをたくさんつくっていく、そしてそこで働く条件もつくっていくというのが、福祉の豊かさではないでしょうか。日本の場合、パートタイマーは社会保障もなく惨めに放置されていますから、それを政策的に切り替えていくことが必要です。

金振洙(江南大学社会福祉学科 教授)

グローバリゼーションが失業と直接関連があるのかという質問に対しては、このように考えていただきたいと思います。グローバリゼーションの基本が新自由主義だと言いましたが、現在、新自由主義に対する概念が二重に広がっています。1950年代、新自由主義の概念は、市場経済は放置すればうまく機能しないので国家が介入をして市場をうまく動くようにしなければならないというものでした。それが、市場では全てのものがありのまま状態でなければならず、国家は介入していはならないという意味に変わってきました。そして、さきほど言われたワーク・シェアリングや労働時間の短縮は、どんな形態であれ国家が介入をするという意味ですが、それをしないというのが新自由主義で、グローバリゼーションです。当然、おくれる人は失業者にならなければならないということがグローバリゼーションです。そうした問題が起こるから、私たち市民団体がどんな運動をするかという志向点にはなれるかも知れないけど、グローバリゼーションの追い求める方向ではないと申し上げたいと思います。

二番目は、日本がお金を貸してくれなかったので、韓国がIMF管理下に入ったというお話でしたが、98年、ソウルで一体IMFが何をしたのかついて社会科学部門の教授80名位が集まって討議した事がありました。そこで指摘されたのは、外為危機の状況はあるひとつ理由で起こるのではなく、その間、韓国の企業が生産性を向上できなかった部分とそれにかまけた金融機関が合理的な判断をできなかった点、そしてその背後の政府がそうした状況をより助長した点などが複合的にあわさって生じたものであって、これが日本がお金を貸してくれなかった影響で見ることは難しいようです。ただ、日本が、今同じ状況で、自らを改革するためにIMF管理下に入るという意見に対しては、私は日本の状況をよく知りませんが、このように思います。家が亡びて他人が入って来て、我が家の暮らしをああにしろこうしにろと言うようになってから、そのような大きな費用を支払ってから自らを改革することになるのが果して良いことかと問い返してみたいと思います。

最後にグローバリゼーションについて、だいたい二つの方向で意見があったようです。グローバリゼーションという巨大な波に対して、地域という小さな部分で対応して行く部分があり、政治的な参加が必要な部分がありますが、私もそうした意見に対してかなり共感を覚えますし、特に地域部分においては、私たちが解決すべき課題と思います。そして、少し前に社会福祉サービス部分で韓国と日本が本当に違うと言われましたが、私はこの頃、日本を注意深く見ています。高齢者に対する社会福祉専門公務員が、韓国の場合5500人にもがかわらず、韓国ではその人員が多そうに言いますが、日本の場合60000人です。それ位、両国には差があります。また高齢者が持っている財産や所得は多く、これに対するサービスを提供する人力はあるのに、給料が低いためにサービス供給ができないということは、新自由主義は社会福祉に対してはとても冷淡であるという一例でしょう

李贊根(仁川市立大学貿易学科 教授)

 一番目、IMF危機と関連して、1997年11月末12月頃に日本が200億ドルを韓国に貸してくれたら韓国がIMF管理下に入ることはなかったのではないかという質問に対して、私は個人的にそうだと思います。しかし、当時日本が韓国を支援することができなかったのは、二つの重要な理由があります。第一は、アメリカが日本による直接的支援を望んでいなかったということです。アメリカは日本にIMFを通じて韓国を支援することを、言わば強要したと見られます。二番目に、日本では90年代の初めバブル経済が崩壊して以降、日本内部の金融機関が多額の不良債権を持っていたし、そうした国内な問題によって外国を支援する能力がないという考えが支配的でした。それで、韓国からお金を引き上げる日本の金融機関を日本政府が阻むことのできなかったといういくつかの特殊な状況によって、日本は韓国を支援することができなかったのだと思います。

 そして、最近韓国経済がある程度回復する中で、株価指数が1000ポイントに向けて進んでおり、日本もIMF管理下に入る方がいいのではないかという逆説的な話をしてくださいました。しかし、この点はよく考えなければいけないと思います。韓国経済がどの程度、回復してていることと見えるが、その裏で脅迫な変化が韓国に起きました。それは韓国大型市銀の約3分の2が外国資本の手に入ってしまったという事実です。日本の方々はその点が分からなくて、IMF管理下に入ることを望まれるかもしれません。外国資本の所有した銀行は、韓国の消費者と一般家計を対象とした消費志向的貸し出しを果敢にたして出しているし、これが今、韓国経済を牽引していると見られます。韓国がこの30年にわたって発展してきた時、韓国の成長を牽引したのは投資でした。企業の投資が韓国経済を牽引してきたが今は一般家計の消費が牽引する形になっています。これは、このような形では、韓国は絶対に先進国に追い付くことができないということを意味すると私は思います。日本は、こうした点で最近の韓国の景気回復の裏面にある深刻な構造的な問題をよく見なければいけませんし、日本がもしIMFの影響を受けたら日本の多くの大型市銀はウォールストリートに移ってしまったはずです。日本は現在長期の景気低迷を経験していますが、金融産業の主権を守っているという点をよく見なければならないでしょう。

 そして、 李康鉉さんが、グローバリゼーションとは技術が 主導することで、失業問題とは無関係であり、価値中立的だと言われましたが、事実は、今日のグローバリゼーションは技術が主導するのではなく、金融が主導するのです。Financial Globalizationは果てしない超過利潤を追い求め、果てしない超過利潤は果てしない構造調整を要求し、果てしない構造調整は果てしない雇用の破壊につながっていると私は申し上げたい。私たち周辺の世界の超一流企業も職員を解雇しています。これが優良の逆説です。よく私たちは構造調整を通じてぜい肉を無くせば、新しい肉が芽生えるだろうと言って来ましたが、構造調整を通じてぜい肉を落とした超一流企業でも職員を解雇しているというこの逆説を私たちはどう理解していいでしょうか。これが金融グローバリゼーションの矛盾だと思います。

 最後に、地域経済活性化の具体的な事例に関しては、最近ヨーロッパで多くの事例をまとめた事例集が出ています。それらを参考にしていただきたいと思います。私が地域経済の問題を強調したのは、雇用創出は大企業ではできないからです。雇用は中小企業が新たにつくることで、大企業によっては絶対に創出されません。韓国が誇る三星半導体のような会社は一年に数兆ウォンの投資をしていますが、三星半導体の雇う人は、一万人にも及びません。雇用創出は中小企業がすることで、中小企業は地方で育たなければならないのです。そういう観点から、地域経済活性化を中小企業と一緒に考えなければならないわけで、市民団体もそうした部分に関心を持たなければならないでしょう。

丸山茂樹(エントロピー学会/韓国農漁村社会研究所)

 今日の基調講演はアジアの平和と市民社会の役割が主要なテーマとなっておりました。ところが現在のセッションにおいて、市民社会がグローバリゼーションの中でいかなる役割を果たすべきかがテーマになっていないのは、報告者に対しても課題設定者に対しても問題があると思います。報告者は地域自立の経済や地域自立の農業、人々が自発的につくる経済や地域社会を強調されましたが、それと市民社会とがどういう関係にあるのか。私は韓国の大学で市民社会団体学科の教師をしていた経験があります。そして多くの人がグローバリゼーションと市民社会との関係について関心をもっていたのです。ところがここでは、それを問題にしていない。その点が非常に気になります。

 韓国においてもグローバリゼーションの中で自主的な経済や地域社会を再建しようとしる主体――つまり協同組合や自営業、自治体といった主体と市民社会組織とは、分離されています。協同組合は市民社会団体に含まれておりません。これは、韓国だけでなく日本やアメリカにおいても、法律的にまた社会的に大きな問題だと思います。グローバリゼーションと市民社会を論じる場合には、市民社会組織とはどういう組織であるか、また現在の法律で十分なのか問題があるのかといったことをテーマにすべきではないでしょうか。

張萬淳(地球村わかちあう運動 理事)

 今、多くの方が、グローバリゼーションの概念と現象に対して発言されましたが、私は自分なりに整理して発言したいと思います。実はグローバリゼーションはすべての人に話題になっている事で、これは新しい事でもなく、千人に聞聞けば千の返事を得ことができることですから、もっと難しく、私たちに多くの緊張と難しさを与えるものです。これは一つの現象の過程ですから、私たちの好き嫌いに関わらず避けることはできませんし、後に退くこともできません。多くの学者は、これを諸刃の剣にたとえながら長所と短所を言っているのに、問題はグローバリゼーションの長所と費用を私たちがどう定義することができるかだと思います。企業家や政府はグローバリゼーションの長所を、市民団体や一般市民はグローバリゼーションの短所を見ているようです。政府や企業と市民団体の間の葛藤、緊張は、永遠に続くものだと思いますが、結局グローバリゼーションは一つの過程であり、これをどう管理するかの問題であって、グローバリゼーションの得ることと失うことを計算しながら時間を過ごすことはできないと思います。

 グローバリゼーションを促進させた貿易と資本の自由化が富を新たにつくったが,それに劣らず副作用をもたらしたし、一方では技術革新をもたらしました。99年シアトルWTO閣僚会議が、市民団体のデモで中止となりましたが、これほどWTOがすべての人びとから注目されるのは、WTOが世界貿易秩序を管理する過程で不本意ながら勝者と敗者、貧者と金持ちを生み、激しい両極の対立状態をもたらしたからです。しかし常に人間に害を与えたということは、絶対的なものではなく相対的であって、絶対的な富、絶対的な貿易からおびただしい恵沢を得たことも事実です。21世紀の最大の挑戦はグローバリゼーションをどう管理し、さきほど言われた社会安全網を通じて貧富の差を乗り越えることができるかということです。ヨーロッパでは、伝統的に最も重要なことは社会正義と国民の間の結束であり、長い歴史を通じて福祉制度を確立してきました。韓国では、最短期間で経済発展を追い求めたために、国民の福祉を疎かにした点があったのではないでしょうか。

全定根(地球村わかちあう運動 政策委員)

 グローバリゼーションと社会安全網を語る際に、欠かすことのできない部分が地域通貨だと思います。地域通貨 は、1999年度に日本と韓国で本格的に始まりました。 シルビアガゼルと言う人は、世界はこれから地域対話に向かうと言いましたが、韓国の場合、地域通話は始まったばかりで、実際に活用はできない状況です。日本の地域対話の状況について知りたいと思います。

江橋崇(平和フォ−ラム 代表/法政大学 教授)

 先ほどの基調報告でも申し上げましたが、私個人としてはこの一〇年間、地域国際化政策が大事だと思って活動してまいりました。九二年にベルリンで東西の冷戦が明けた後、世界から自治体やNGOが集まってベルリン会議を開き、地域の国際化、つまり国家間の国際関係よりも自治体と自治体、NGOとNGOの関係こそが大事だという結論を抱きました。したがって、先ほどの丸山さんの意見に私はまったく賛成です。地域の構成団体と、JVCのように一定の課題をもって全国横断的に活動している専門家集団としてのNGOと、政府、企業、自治体などの協力によってはじめて地域というものが栄えると思っておりましたので、地域を語る際には、こういったそれぞれの要素に目配りをしていきたい。

 そうした観点からキムさんと熊岡さんにお聞きしたいのですが、一口にグローバリゼーションといっても、今のグローバリゼーションは昔のように、同じ味のコーラを世界中にばらまくといったものではない。日本では地域限定商品が花盛りですが、つまりグローバリゼーションもそれなりに地域を考えた戦略をたてているわけであります。そうした「グローバリゼーションの中の地域」ではなく、本当に地域が発展していけるための鍵は何か。韓国のようにIMF体制の中で立ち直ってきた経済は、地域の発展につながっているのだろうか、それともソウルの一極支配、一極集中になっているんだろうか。そこのところをぜひともお聞きしたい。また熊岡さんには、市場経済システムに巻き込まれた東南アジアをつぶさに見てこられた経験から、アジアにおける市場経済や地域的経済の発展についてお聞かせいただければと思います。

 日本でも今、地域通貨や地域再投資法、つまり地域で集められたお金を中央に還元せず、その地域の開発のために使うという手法が話題になっています。リサイクル産業、リユース産業、あるいは生産と消費者の顔が見える農業のあり方といった、市民運動が絡まる形での地域発展政策が試行されています。福祉についていえば、市民同士が地域で支え合う社会をつくっていくという、いわゆる給付型福祉に変わる地域福祉の動きも始まっています。ぜひお二人から参考になる意見をお聞かせください。

杉田敦(法政大学法学部 教授)

 今日のお話は主に、それぞれの場所でどう経済を復活させるかという話ですが、そうしたアプローチでは救済できないような場所がこの地球上にはたくさん存在しており、労働力の移動、具体的には韓国や日本のような国に移民するという形でしか、経済の活性化が望めないような人々が多数存在しています。グローバリゼーションについて語る際に、どなたも労働力の移動について語られませんでしたが、はたしてそれだけで問題が解決するのかについて一言コメントをお願いいたします。

金鎭R(経済正義実践市民連合 共同事務処長)

 グローバリゼーションに関する両国間の立場についてお話いただきましたが、私は論点が外れていると思います。グローバリゼーションで世界20%の金持ち国と80%の貧しい国ができたし、一つの国の中でも貧富の格差が広がりましたが、韓国と日本はもしかしたら新自由主義経済体制の受恵国ではないかと思えるからです。受恵国の立場で新自由主義を眺めることは、絶対に新自由主義経済体制が持つ矛盾点を乗り越えることができない代案で、そうした側面は市民運動の課題にはならないと考えます。したがって私たちよりずっと貧しい国々の経済的な自立や代案に対して、私たち市民活動家は悩む必要があると思います。

金振洙(江南大学社会福祉学科 教授)

 超国家的資本の移動はできるのに、どうして労動力の移動はできないのかという点は、グローバリゼーションの限界であり、これが私たちが批判しなければならない部分ではないかと思います。アメリカは労動市場を開放するつもりではなく、その動力がグローバリゼーションだから、絶対に労動市場は流動的にならないでしょう。絶対的に自国に必要な状況ではないかぎり、労動市場は開放されないという点が人々の基本的な理解です。EUの労動力移動とグローバリゼーションでの労動力移動は、とても違う次元への接近と思います。

熊岡路矢(日本国際ボランティアセンタ− 代表)

 今回この会議を設定した方とのコミュニケーションが十分ではなかったことを含め、かなり難しい全体の論議について、私にまとめきる力はないと思います。ただ、その中でいくつかのご質問にできるだけお答えしたいと思います。

 まず労働力の移動ということに関してですが、確かにそういう地域もあるかもしれません。私たちとしては、これは思い込みかもしれませんけれども、人は地域で生きていけるはずだ、つまり自然資源なり社会的なものが地域でまだ十分に活用されていないのではないかという視点で活動しております。したがって、全世界を見たわけではありませんが、労働力の移動を表立って考えたり主張したりという時期、段階に至っておりません。

 グローバリゼーションとNGO、広くCSOの関係について言えば、例えば政治的な機関では身動きがとれないところにCSOというか国際協力NGOとして入っていったことで、実際の窮状を救うだけではなく、国境を越えた情報が現地の声として伝達され、新たな動きをつくることへとつなげてこられたかなと思っています。

 三点目に地域の自治体との関係ですが、例えば農業やコミュニティが入会権を持って活動しようとした時、そこの国の法律に準拠した言葉があったり、あってもそれが埋もれているような場合があります。そうした時にCSO、NGOが中央政府の農業省や林業省、各地域の共同体などに働きかけ、繋ぎ手となるといった役割があるのかなと。そこが地域でできてさえいれば、外国のNGOがわざわざ動かなくてもいいのでしょうが、NGOがいい意味で触媒になる形で、国の中のともすれば切れがちな、あるいは上下関係になりがちな中央政府と地域共同体、地域のミュニティ、地元のNGOの連携を図る。そこに一つの意味と価値があり、そこを動かしてこれたかなと思っています。