全体会議2「グローバリゼーションと社会安全網」

熊岡路矢(日本国際ボランティアセンター 代表)

 まず本題に入る前に、9月11日の大量無差別殺人事件についてお話したいと思います。この事件は、我々にも大変大きな影響をもたらしました。最初のアフガニスタンへの空爆が予想される段階で、暴力による報復の悪循環を止めるべきだという声明を出すなど、意思表示という点で頑張りました。そして10月7日、米英による空爆、日本の政府も支援しているわけですが、それが始まってからは、空爆を止めるべきだという主張を続けながら、現地での人道支援・緊急支援を行っています。アフガニスタンの現状は、9月11日の直接の結果だと言えるのではないでしょうか。

 それから9月11日の背景になると思いますが、パレスチナでは皆さんご存知のような状況になっています。これまでは、子供たちの心が癒されるような図書館での平和活動をしていましたが、昨日、医師1名、看護婦2名、コーディネーター1名を現地に送ったところです。現地の状況は、外国人も機会があれば医療行為を行いますが、外国人が病人と一緒に救急車に同乗することで、軍の検問所の通過を可能にするという役割を果たしています。それからアフガンに関して、空爆以降、政府主導で自衛隊の派遣を決めました。私たちは自衛隊の派遣にも原則反対していますが、防衛庁の人が、難民救援や対人地雷除去について何もわからないので、ノウハウを教えて欲しいとJVCにやってきました。そこで、人道支援や難民救援は、対人地雷除去を含めて、軍隊型のトップダウンの組織では非常にやりにくい、できないことだと。また、武器を持った人が動くことで、難民もNGO、国連のワーカーも、逆にすべて危険になる恐れがあるということを伝えました。それから地雷に関しては、アフガンのNGOの人たちが非常に十分に除去の経験が十数年あるので、むしろそこを支援したほうがいいという提案を政府にしました。最終的に、自衛隊は、難民救援も地雷の直接除去も断念したようですが、政府とは必ずしも敵対視するだけでなく、直接意見を言ってコミュニケーションをする中で、変えられることもあるということを実感しました。

 それから2番目に、95年8月私も須田さんに誘われて、こちらに来て、その後、アジア太平洋市民社会フォーラムとして大きな展開はなかったのかもしれませんが、95年8月の会議をきっかけに韓国と日本のNGOが、例えば北朝鮮人道支援、それから対人地雷廃絶運動などで、ソウル、東京などで会議を共同で開いて、他の国連機関、国際社会のメンバーを呼んだりして、随分協力活動が進んでいます。その中で両国とも随分、若い人たちの参加するきっかけとなります。ここで改めて、95年の主催者、今回の主催者ともダブりますが、心から感謝したいと思います。

 それで本題のグローバリゼーションと社会安全網ということで、我々、NGOと言っても、国際協力型のNGO。現場を持ち、現場で実働するというところに特徴があるんですけれども、そういうところから見たある現実の一部をお伝えしたいと思います。

 日本、韓国、北米、ヨーロッパに関しては、ここに僕よりはるかに詳しい人たちがそろっておりますので、エマージング・カントリーと言うのでしょうか。十年ぐらい前に、やっと国際社会あるいは世界経済に、よくも悪くも一番底辺で組み込まれたカンボジア、あるいはその周辺のベトナム、ラオスもありますけれども、その結果からグローバリゼーションとその結果の一部をご報告したいと思います。

 カンボジアの歴史をたどっている暇はないので簡単にまとめてしまいますと、ご存知のポルポト時代の4年間、70年代後半、中国の文化大革命を20倍ほど厳しくした独裁体制があったんですけれども、やっと生き延びたカンボジアの人たちは、次、12年間、西側国際社会から孤立して生き延びなければならなかった。ということで、やむを得ず、その時点でベトナム、ソ連型の社会主義の仕組みを、緩やかですけれども取り入れたと。その中で和平がなり復興ということになるのですけれども、それ自体は全体としては肯定できるカンボジアの人にとってはステップだと思うのですけれども、ここで多くの人が気がついていない、逆説というか悲劇が起きています。私、カンボジアに3年半、ベトナムに3年半住んでいたので、居住者としてその流れを見てきたわけですけれども、80年代非常に貧しい、たぶん一世帯あたりの年収が50ドルとか100ドル満たない時期が約12年間続いたのですけれども、その中で、カンボジアの貧しさ苦しさはもちろんあったし大変だったんですけれども、むしろ全体で言えば、貧しさが99.9%の人に共有されていたという風に思います。したがって、かえって和平後、起きたような土地なし農民が出るということもありませんでした。少ない場所ですけれども、耕す、住む場所を確保しながら生きのびていけた。

 それから、もう一つ、土地の使用権、所有権が売買ができなかったという法律というか規制に守られていたと思いますが、もう一つ、現地の言葉でサマキという連帯、あるいは日本の農村の古い言葉で言うと結という言葉があるのですが、相互扶助の助け合いの仕組みがあって、男手とか牛がいない農家にも、村単位で15世帯、20世帯の単位があるんですけれども、作業支援があって、そのために一番貧しい小さな農家も生き延びることができた。その結果、子供を売るとか、娘を売るという現象はゼロではなかったんですけれども相当少なかったという風に覚えています。

 そして、むしろ和平正常化以降、特に最初に土地の使用権の売買が可能になりました。次に、所有権の売買が可能になりまして、大きなお金が動く中で数%の支配、富裕層といいますか、いくらかの中間層、と、約80%の農民との格差が急激に拡大しました。もちろん農民層の中の格差の拡大もありましたけれども、その結果、1999年から現在にいたるあたりで、NGOの調査で約13%、人口でいいますと100万人前後、農民層で土地無しということになって、農村にいられれば、賃金で働く人になるか、あるいは家族ばらばらになって生き延びるか、それから子供や娘を売るような現象、あるいはそういう風にしか生きていけない人たちになるか、都市の不法居住者になって、失業あるいは生産業で働くとか、結果的に麻薬とか犯罪に手を染めるというようなことが非常に大規模におきてしまいました。

 これはグローバリゼーションの問題ともいえますし、それから多くの場合、紛争地などで正常化が行われる場合、いわゆる端的に市場経済、自由経済が強調されるわけですけれども、それだけでは、むしろ社会貧困層、極端な貧富の差を防げないという一つの例だと思いますけれども、グローバリゼーションの問題と本来あるべき和平・復興のプロセスの問題であろうかと思いますけれども、目の当たりにしました。

 それから、結果的にこういうようなことは一般治安の非常な悪化を伴い、自由化というのは、括弧つきで使うと。結構、犯罪とか犯罪組織の自由化にもつながるわけなんですけれども、非常に大きなコストとなって、直接社会の底辺から蹴落とされた人だけではなくて、社会全体のマイナスコストとなって現れるということを実感いたしました。

 それから、後のほうでどういう風にその中で活動をしているかについてお話しますけれども、日本などについても簡単にグローバリゼーションといいますか、その中でも規制緩和することが効率を上げ、物価を下げ、新しい産業あるいは新規の企業の参入を促すというような、いい方の話が喧伝されて、70年代後半からアメリカで起きたような、なんというのでしょうかね。自由化、あるいは規制緩和というのが80年代後半あるいは90年代から日本でも進んでいるんですけれども、航空とか運輸とか、いくつかの分野のことを調べてみても、短期的には今、言ったようないい方の話がでるようなんですけれども、一つは、誰のための効率化かという問題が問われなければいけませんけれども、中期に入ると、こういったものが、自由化とか規制緩和が参入する企業を増やすという流れに一旦はなるんですけれども、その中で、新規、弱い立場の企業がいくつかのシステムの中から蹴落とされて、結局かえって寡占化が進んだり、その後、価格があがるというようなことが起きたり、労働者に関しては、人が減らされ、残った人に関しても賃金が下がるというような現実が進行しています。

 その中で、日本の中でも、雇用の大幅・急速な削減、失業の増大、ある種の家庭の崩壊、それから我々のオフィスが上野にあるんですけれども、上野の公園などでホームレスが増えていることを実感いたします。特にここ1、2年ぐらいの特徴は、1週間ぐらい前まで、背広で勤めていたような人が軒の下とか公園で夜を過ごすというようなところを目撃しています。これが一国の中で起き、世界全体で起きている中で、グローバリゼーションの定義を、ここでは経済の分野に一応限って、多国籍企業を頂点とする世界経済の統合化と捉えていますけれども、単純にこれにはまっていくのか。そうではなくて、後で申し上げるような事例、あるいは韓国側、日本側でもっていらっしゃるような事例を通して、もっと地域で循環型経済というか社会といいますか、あるいは助け合いの仕組みというものがなければ、生き延びられないのではないか。あるいはそういうものをオルタナティブとして提案したり、実行していかなければならないのではないかという状況に今来ていると思います。

 それから、グローバリゼーションとジェンダーについては、ここで十分に展開できていないので、また改めてこの会合を終わった後にでも原稿を送らせていただきたいと思います。これもカンボジア、ベトナムの事例などもありますので、有用な事例を発表できるとは思います。

 最後に、こういうような中で、JVCを含めても小さな例ではありますけれども、カンボジアなど東南アジア4カ国、それから南アフリカの農村地域、エチオピアの農村地域などで、広い意味で農村開発、地域開発の事例ということで、自然環境と共存していける有機農業とか複合経営農業というようなものを展開し、広めるということのお手伝いをしています。これに関して後で、お話があるかと思いますけれども、日本の農民の方、有機農家のグループの方からも、支援を受けたり、交流の輪に入っていただいています。

 それから、自然と共存して生きていけるという中に、多角的な農業の試みもあるのですけれども、同時に、日本の古い言葉で言えば、入会権ですね。近隣の共同体が、近隣の森林を、これは所有権はないのですけれども、手をかけることによって、そこから食べ物や薬とか色々なものを引き出しながら、でもそれが永続的に継続する形で付き合っていく方法を学ぶ中で、一つの国、地域の自然環境全体が良くなるというような、運動を起こそうということで、タイ、カンボジア、ラオス、ベトナムで、それぞれ違いますけれども、より森林のほうに入った試みと平野部の農村地帯での活動があります。徐々にですけれども、日本で言う県の次の郡の単位で続けています。これも、日本の農民からの関心を得たり、交流・協力の輪に入ってもらっています。それから、同時に多くの場合、土地無し農民とか、社会の底辺からさらに落ちてしまう構造の中に、よく言われる農業生産物、お米とか野菜とかが十分にとれない年に、旱魃とか洪水だったりしますけれども、そういう時に、高利貸しからお金を借りたり、仲買人からお金を借りる中で、土地・家を失ったり、家族がばらばらになってしまうというようなことが起こりがちな中で、自然災害その他で、食べていけなくなった時も何とか持ちこたえられるように、一つの村では、世帯間で、一番多いのは米銀行という形で、採れたときに5%でも10%でも貯えておいてない世帯にそれを貸して、低利か無利子で、翌年か翌々年返してもらうという仕組みを普及することで、今言った状態にもある程度持ちこたえられるような考え方や仕組みを普及しています。これは多くの場合、日本そのほか、外国からそういう考えをもっていくのではなくて、すでにベトナムならベトナム、カンボジアならカンボジアにある考え方であり仕組みを、それをある意味で一旦壊れているのなら、思い出してもらうというような作業とも関係しています。

 それからもう一つは、日本の農村社会とのリンクもあるんですけれども、まだ地域経済というほど、大きな所までいっていませんけれども、地場の経済という中で朝市の試みということで、これは日本の中でも試みられていますけれども、従来、お米とか野菜とか少ない種類に特化して作っているために、自分たちがつくっていないものを、街のマーケットまで買いに行って、それが実は何百キロ、何千キロ離れたところからの産物を買うという現実がある中で、これは大きければ、消費者と生産者をつなぐ試みともいくらか関係しますけれども、これは生産者同士が、農民同士が、近いところでつくったものを持ち寄って、食べ物を、遠距離に運ばず、お互いに買うことで地域の経済を活性化につなげるということで、日本でも山形の置賜郡の農民グループ、三里塚の実験村、佐賀県にミナトンリというのがあるのですが、農産物の直営所を経営している女の人たちの試みがあるのですけれども、このような試みを共有する中で、JVCはタイのコンケーンというところで、東北タイなんですけれども、同じような朝市の試みを、これはいわゆる既成の産物をいれたりしない、商人が入るというのではなくて、つくっている人たちが多い時で50以上、100ぐらいのユニットができるわけですけれども、つくったものを持ち寄って、売り買いするという試みをしています。これが将来、もう少し広がって、地場の経済、地場の農業というところまで幅広くいったらいいと思うのですけれども、そういう試みもしています。

 それからちなみに、タイで今現在全人口の65%が農村人口だと思いますが、その内、7%ぐらいが、今言った様な考えの中で、まだまだマイノリティですけれども有機農業とか複合的多角農業を実践してきています。同様にカンボジアでもまだ少ないですけれども、全人口の5%〜6%の人にこのような試みの輪にはいってきてもらっています。

 最後に、いわゆるグローバリゼーションの中に、規制緩和だけではないんですけれども、我々の活動の中で必要だと思うものが最低いくつかあると思います。一つは、食糧と農業の分野、これは各地域単位で成り立つということがかなり大事で、安ければどんなに遠くに運んでもそれが経済効率に単純につながるという話ではないのではないかと思います。

 今回、あるいは前回ソウルの街を歩いたときに、身土不二、体と土が二つに分けられないという標語を読みました。そういう形で、地元にねざした、特に食糧・農業に関しては、安全とか自然環境を守るという意味で、これは非常に必要な部分だと思います。それから広い意味で、安全が入ります。それから、働く人たちの立場、人権、賃金が守られるという面でも、単純に規制緩和、効率論から話を通してはいけないと思います。それから広く人権の問題があり、社会福祉、セーフティネットの

 それから何でも自由化すれば、効率が良くなって利益があがってという、これはある世界経済のトップにはいっているような部分から見れば、そういうことがいえるのかもしれませんけれども、我々はそういうのに入るのではなくて、簡単にはいきませんけれども、地域単位の経済を、これは単純には成立しませんけれども、実践し守るということで、たくさん中心のあるような社会をめざすことで、むしろ元気で健康で強い社会ができるのではないかというのが思うことと、それから、必要な分野では規制というものがなければ、我々自身も含めて追い詰められてしまうというこの現実を認め、訴え、今の主流の自由経済論みたいなものに対するオルタナティブを主張していくという段階に入っていると思います。

 つたない論でありましたけれども、長時間聞いていただいてありがとうございました。