全体会議3「日本の市民社会を「つくり・かえる」ために」
横田克巳(参加型システム研究所 所長)
日本の市民社会は、明治維新以来「脱亜入欧」戦略にもとづく、重化学工業による産業化・都市化とともに、形成され成熟してきました。この発展過程は、第2次大戦以前、財閥・軍閥・官僚の歴史ブロックによって操作されました。第2次大戦後も、財閥・軍閥が解体されたとはいえ、高度経済成長のもとで産業資本と税金資本のよりどころである政府・自民党・官僚群が代表するふたつのセクターによって操作・支配されてきたという政治的特徴を持っています。平和憲法のもとでも、そのコンセプトを要約すれば、「国主権・平等・生産力主義」の流れが「個人主権・自由・民主主義」を抑圧してきた歴史過程だといえます。
その政治傾向は、二度のオイルショックを経験して、冷戦構造が崩壊し、財政赤字が継続する今日でも、国家が「軍事力」を優先し、「生活力」を従え、市民主権をしりぞけるという政策体系のままです。産業構造の転換を拒み、長時間労働と性別役割分業の強化を基盤に、80年代に日本製品は一人勝ちしそれに酔いしれました。その結果、土地神話によるバブル経済に突入し、破綻したのです。日本経済・社会の全体が直面している「依存症」の原因は、「政治の行政化」「行政の政治化」によって問題解決の当事者能力を失っていることであり、バブル経済をつくり崩壊させた責任を誰も負わない体質が継続していることです。
この間、日本の中心にあった自由民主党政治は、市民社会・構造が成熟して来ているにもかかわらず、19世紀末に日本に民法が公布されて以来、官の利益を守る公益法人の利益を重視し、「市民の自由」を裏付ける結社の自由を実質的に抑圧してきたところにあります。その市民の阻害された関係が克服されるかに見えた’98年12月に施行された特定非営利活動法人法(NPO法)も、その条文から「市民」という言語とともに主体概念が取り除かれ、「認承」という公権力による規制と行政指導に従わなければならないという不幸な出発を強いられています。
にもかかわらず市民活動は、各地に多様なテーマをもって立ち上がっており、その勢いは止まりません。その発生の契機や原因は、
@市民社会構造の内面から発する社会的ストレスの増大とともにあり、
Aグローバリゼーション下での新たな生存生活上の危機、抑圧、被害に対する反抗であり、
B国・政府による政策・政治の立ち遅れに対する異議申し立てであります。
その社会的諸現象は、リストラ、失業、多重債務者、路上生活者、精神疾患、D・V、自殺者、犯罪等々の増大に見ることができ、社会と個人の危機管理能力が危ぶまれているのが現状です。
この克服に向け、「市民力」を強化しなければなりません。その基盤は、市民自身が所有する個人資源です。@いくばくかのお金、A智恵、B労力、C時間の4つの要素を活用し自在性が増大することが大切です。この動きは、すでに一つの大きな潮流になりはじめています。自己実現をめざす市民のアイデンティティが確立されはじめ、市民事業と運動の多様で多元的な発展を促し、歪みを増した経済的秩序を揺るがしています。
その力関係の変化は、例えば
@地方分権一括法により国の機関委任事務が廃止され、自治事務が大幅に増えたこと。
A知事を含む首長選等において国・中央からの自律をかかげた候補の当選が続いていること。
B反面で各種の伝統的中間組織の機能不全が続いて、政治・行政との癒着の犯罪が多発している等
に現れています。
これらに対して当然ながら市民のイニシアティブが拡大して、変革への可能性が高まっています。至近には、3月31日に行われた350万都市横浜の市長選において、建設省官僚出身の現職に無所属市民派の新人が小差で勝利しました。この原因は、四半世紀に及ぶ政治不信から生まれた政党支持なし層(50%を超える)の積極的選択にあります。この横浜での転換は国政政党に見られる大衆迎合的ポピュリズムに対する理性ある市民の反乱を意味しています。
しかし、より有効に市民社会の成熟・強化をとげていくためには、
@構造に根ざした「市民力」が多様な「社会的力」を形成する必要があり、市民事業のパワーアップと伝統的秩序を改革する市民運動をすすめる。
A経済的・地域的民主主義の内実を市民の参加によって豊かにすること。
B「市民資本セクター」として市民の対抗力を強めること、などが不可欠です。
その市民システムを有効に機能させるためには、「市民資本セクター」に属する、NPO、NGO、協同組合、労働組合、個人企業者、農業者、人格なき社団等が地域経済における自立性を高めること。そこから発する要求や課題の解決プログラムとしての「市民政策」を実現する手段として、自らの政治組織(より有効には地域政党)を形成し、ネットワークすることが肝要です。なぜならば、地域政党こそが「市民資本セクター」に内在する人々の生活要求やその課題をもとに既成の社会契約関係を組み替え、公権力(税金資本セクター)に対し、市民政策をもって対抗し、牽制力を発揮することができるからです。
伝統的なふたつのセクターの支配に対して、「市民資本セクター」の内実である「生活者・市民」や「勤労者・市民」が主体となるローカルな政治勢力がネットワークすることによって対抗軸がうまれます。そのことによってはじめて国・政府を牽制して、21世紀に必要な市民社会の理想的セクターバランスを追求することが可能になるのです。
私たちの目指す市民社会は、
@「参加・分権・自治・公開」型の民主主義を自明とする。
A政府に対してNPO、NGOが主体的に中間組織を形成して双務契約をはかる。
B市民自身がパブリックづくりを担いセーフティネットをつくり出す、正義と合理性を発議する。
C更にはジェンダーフリーに必要な諸条件の社会モデルを整備する。
Dアンペイドワークの社会的評価、コミュニティワークの振興により、社会の共同領域の拡大などによって、市民のアイデンティティを獲得する。
こうして生まれる新たな変化は、市民社会におけるアソシエーション改革を加速することになり、日本の市民社会と欧米偏重の政治体質を変革し、アジア社会の平和・共生・安定の持続可能性を拓くことに貢献します。
また、市民政策を推進できる「市民の政府」の多様な台頭により、アジア諸地域の市民との国際関係を変革することができます。アジア地域の安全保障は、国家間の条約のみに偏ることなく、国境を越えて市民と市民、地域と地域、CoopとCoopといった「人間の人間による安全保障」、それをつくり出す民際外交により多様かつ太いきずなができるのです。
そのコアともなるべき日本と韓国の市民的連携はいま、「アジア市民宣言」(仮称)を契機にして、市民相互が多様にネットワークされ、近未来アジア社会の健全な発展を促し、将来期待される「アジア連合」(仮称)に向けて、不可欠な市民主権の確立と強化に途を拓くことが期待されます。