全体会議3「韓国と日本 21世紀市民社会の座標と課題」
金聖壽(持続可能開発ネットワーク(KSDN)本部長)
20世紀 韓国と日本
韓国と日本の社会は過ぎ去った20世紀初め、共通の歴史的経験を土台で始まった。帝国主義と植民地統治がそれだ。ただお互いの位置が違った。一方は治者の立場、もう一方は植民地の立場だった。そういう関係は20世紀中頃まで続き、その後半世紀はその後遺症をどのようにして乗り越えるのかが両国、特に韓国社会の課題だった。
韓国がそれを乗り越えるには、周知のように、“山また山”だった。国土が分断される痛さを経験したからだ。お互いに違う理念を持った二つの体制が、やや小さな韓半島を引き離した。その分断体制はまた新たな悲劇を生んだ。南北朝鮮ともに軍部独裁体制を形成したのだ。日本帝国主義の清算と分断体制の克服、そして民主化……。
この三種類は過ぎ去った50年以上、我々の社会、特に社会運動圏において話の種だったし、課題だった。21世紀を迎えた韓国社会はある程度日本帝国主義を清算したし、民主化された。南北韓がお互いに交流しながら、統一社会の夢もある程度可能となった。しかし一方どちらも充分ではない。
独裁政権が消え、民主化された世の中だと言うが、今やっと初めて導入された党経選制で見えるように、体制内政党の民主化は、ようやくよちよち歩きの段階だ。政治の民主化はまだ遠かったという市民たちの声が高い。
親日派たちの名簿が、解放以後50余年が経った時点である今、市民団体によって公式言論を通じて発表され始めた。彼らの面々を見れば、我々の社会のあちこち存在し、世間を渡り歩き、今もしている人々だ。南と北がお互いに行き来し始めたと言うが極めて一部関係者に局限されているし、上滑りなだけだ。半ば満たされたコップの水のように、どう思えば充分で、どう思えばまだ不十分か、20世紀が私たちに与えた宿題たちを解いていく。いわゆる民主化過程での私たちの社会の水準だ。ここに情報通信器機の革命を契機にした急速な世界化(Globalization)が進行されている。そして地方化(Localization)が並行して進行している。特に長年の歳月独裁政権下で閉鎖的だった、また中央集中化にされていた我々の社会としては、今の変化には不慣れである。
私たちの民主化の過程と言うのは、すなわち市民社会の発展の過程だと見ても良いだろう。周知のように、1987年いわゆる“6月抗争”を分水嶺にした民主化過程で主導的役割を担ったグループは学生と宗教勢力だった。韓国社会の変動を導き出すことに学生勢力と宗教家が担った役割は見逃すことができないだろう。しかし、これらグループが独裁政権の強固な壁を壊す、電線の役割はしたのか分からないが、彼らが社会のビジョンとして掲げた運動論と彼らの方法論すなわち“プロレタリア階級”の主導による“プロレタリア独裁政権”の樹立という理想と方法論-は、私たちの社会を、自らのアイデンティティを持つ、元気な21世紀の市民社会として作って行くのにあって、あまり肯定的役割をしたように見えない。(*1)
21世紀、まさに文明史的転機に新しいパラダイムとして提示されている新しい社会のビジョンは、持続可能な発展、持続可能な社会づくりだ。
21世紀の新しい社会づくり
まだ20世紀に解決できなかった宿題を抱いている我々の社会で人権や正義、統一や解放などの関心事や概念は、市民社会、市民運動の領域でまだ主なテーマであり、解かなければならない課題である。しかし、これらを包括して、21世紀新しい文明史的なパラダイムの転換を担保・内包することができるためには、より包括的で普遍的な上位バージョンの概念が必要だといえる。
発表者はこのような社会ビジョンに‘環境的に健全で持続可能な社会の建設’という環境的視座の価値・象徴を一つの仮説として提案する。すなわち持続可能な発展(ESSD, Environmentally Sound and Sustainable Development)、または持続可能性(Sustainability)の概念は、地球と人類がこのまま行っては絶滅するという危機意識で、これを打開して行くための方案を模索するなかで、世界が頭を突き合わせて長年の討論を経って導き出した概念であり、物質万能主義の成長イデオロギーによって圧倒されて来た、今までの文明史的な巨大流れを変え出そうとする、包括的で(ある面では革命的な)概念という強みを持つ(*2)。同時に産業化、近代化過程で多くの問題点を路程している韓国社会で、そして同じ経路を私たちのより前に歩いてきた日本社会においても重要な市民社会のビジョンだと言えるはずだ。
持続可能な社会のための市民社会‘ネットワーク’戦略
このような新しい社会ビジョンの中で、その以前民主化過程で役割を果たした運動のグループ、すなわち学生と宗教勢力に付け加えて、新しい市民社会の新しい存在が必要だろう。持続可能な社会建設の課題を持っている、市民運動の新しい‘市民社会’の存在は、運動の課題別、運動勢力の階層別・部門別ネットワーク方式ではなければならないでしょう。
その階層別・部門別基本存在と言うのは、 92年ブラジルのリオで開催されたUN環境開発会議(UNCED)で、21世紀に向けた持続可能な社会の建設のために採択した汎地球的行動綱領であるアジェンダ21で提示している環境問題解決の実践単位・主体としての9個の主要グループ(major 9 group)に大別して見られるはずだ。すなわち、@女性グループ,、A児童と青少年(大学と青年包含)グループ、B土着院)住民と(院)住民共同体、C民間団体(N-GO) 、D地方政府、E労動者とレーバーユニオン、F実業界と産業界、G科学技術係、H農民、がそれだ。これを基本単位にして、運動の多様なイシュー・大気、水質、廃棄物、持続可能な農業、バイオテクノロジー、海洋、核果核廃棄物など自然資源の保存と管理の部門を中心にした環境問題と、発展途上国の開発問題、貧困退治、持続可能な消費(グリーンコンシューマー)、人口問題、保健問題、定住権問題などの社会経済環境部門のイシューなどを根幹にしたイシュー別・問題別ネットワークを形成し、相互関係して連帯する時、大きい效果をおさめることができるはずだと思う。
主要グループがアジェンダ21の実践で重要と見なされる理由は、どんな持続可能な開発政策やビジョンもこれらグループの参加なしには実際‘持続可能な開発’を成就するのに效果的ではないからである。その意味で持続可能な開発と言うのは、一方的な政府の政策や国家の間の交渉で終わるのではなく、実質的意味で市民社会のすべての構成員たちが環境問題に対して目覚め、各領域で解決方案を模索し、意思決定過程に参加して、多くの部門、領域間のネットワークを増進させることで問題解決のために総体的に参加する一連の過程(process)で可能なことと理解される。
したがって市民社会運動はこのような主要グループの持続可能な開発への参加能力を身に付けることに焦点を合わせて進行させることが效果的で、したがって加令‘SD’、‘小さなことが美しい’、‘幸福は自転車に乗って来る’、‘小さな実践、大きい喜び’、‘考えは汎世界的に,行動は地域的に’などのような共有可能な象徴・価値または運動の指標下でそれぞれの単位に相応しい課題とプログラムが開発・適用されなければならないでしょう。
特に‘一つがすべてのものと連結’になっているから、重層的で複雑な環境問題、それで学際的で学問的なアプローチが必要な環境問題の特性のため、一つが解ければ、その一つは違うことと繋がれていて、また次々関わりながら解けることができるし、その過程で関係の形成を要したり、また関係を形成するようにする点に着眼すれば、汎市民社会の構成員を単位化して領域化して、関係を形成させて圏を形成する領域論の立場でも主要グループを想定して、環境問題の多様なイシューにネットワーキングする戦略が理論の内容を満たすことができると考えられる。
最後に一つを付け加えたい。ネットワークは情報化時代のコンピューター用語ながら、現在、企業を中心に新しい組職方式で提示されて、社会に拡散している新概念だ。ネットワークはhostとしての核と、クライアント・サーバーとしての分散性、水平的双方向性及び他方向性を大きな特徴にする意思疎通構造、または網(連帯構造、韓国の金芝河によれば網構造)を意味する概念だ(*3)。
情報化の初期には一つの中心(core-核)、すなわち中央hostの大型コンピューターの優位下に幾多の端末機が繋がれる垂直的構造、中央集権的構造だった。しかし現在の傾向はクライアント・サーバーシステムに象徴されるところのように、性能が高度化された幾多のパーソナルコンピューターたちが主導するネットワークに転換されて行っている。水平的で分散したネットワークたちと利用者たちの参加して構成されるメッセージ、またはデータベースは拡散しなければならない。典型的にインターネットはクライアント・サーバーシステムに照応した‘ネットワークのネットワーク’に規定されることができる。(*3)このようなネットワーク戦略が市民社会、市民運動に導入しなければならない。
それに付け加えて多元的価値追求が市民運動の自分アイデンティティという点を明らかにしようとする今、市民運動は権力志向的利己よりは、言い換えればempowering戦略を通じる統治の代替勢力としてではなく、世界化・地方化時代、自治の中心勢力としての運動に位置づけして行かなければならないでしょう。これは市民運動の自分アイデンティティの強化、陣地戦績性格の強化を基盤にしたネットワーキング(networking)戦略として可能だと思う。
韓日間市民社会協力体制構築
環境問題解決や持続可能な開発という領域での部分的な努力で大変で、学際的で学問的接近が必要な程、これは一国の努力では足りない。持続可能な社会作りでの韓日共同協力が緊急に成り立たなければならないことは、議論するまでもない。
同じ地域共同体として一緒の船に乗っていることが日本と韓国だ(例・中国黄砂共同対処、持続可能なアジア、持続可能な北東アジアづくりなど)。どのような協力関係が可能であろうか。
(*1)言い換えれば変動のための‘民’出す社会勢力の存在においては‘プロレタリア、すなわち労動階級’を中心にして、残りの広範囲な社会勢力は統一戦線の対象または戦術の対象として心に刻んできた。宗教勢力までも‘良心的’宗教勢力としての戦術的結合が成り立ったし、宗教部門で先に申し立てられた‘民衆では’やはり‘プロレタリア階級では’に収拾され、むしろ自ら狭小化していったといえる。学生運動勢力は、やはり自分が持っている知識人、専門担当者としての自分らのアイデンティティに立脚して、自らを強化させるより、自分の根拠を不正で労動階級の範疇に自分を編入させようと試みながら、結局自分の根拠を否認して労動現場で続々と偽装投入される過程を経験しなければならなかった。したがって当時運動勢力にあって象徴・価値は、民主化=プロレタリア独裁政権または閔民政圏の樹立と等値であったといえるし、その点で領域論が規定する当時の‘民主化闘争’を見れば、路線上の小さな差をおいても、各運動政派たちは、党派性を議論しながら、各自のアジェンダを貫徹させようと思ったし、それでPAR、NLPDR、CDR論争など熾烈だった糸救体論争と、これを取り囲んだ、やはり熾烈な勢力争いを惹起させた。考えが少しでも違えば、お互いを少しも受け入れることができずに別れることで、自ら民主的ではない状況を露呈したのだった。そして集権勢力と同じく、社会の抵抗勢力も厳密な意味では、(‘労動階級’以外の)広範囲な‘民’を排除する結果を生んだし、“6月抗争”を繰り広げる中で、独裁支配政権は白旗を降ったが、運動勢力は成果を享受することができずに、むしろ形骸化の道を歩くようになったと見られている。
(*2) ESSDと言うのは、人類が面した地球生態系と経済性長竿の問題を扱うために1983年UN総会決意によって構成された‘環境と開発に関する世界委員会’(WCED; World Commission on Environment and Development)が1987年4月に作成・提出した報告書‘Our Common Future’で初めに定立した概念で、‘未来世代の需要(欲求)を満たす能力と与件を阻害(損傷)しないように、現世代の需要も満足(充足)させる開発、または発展’と定義される。最初に’持続可能‘と言う言葉が論議され始めたのは、漁業資源濫獲ででてきた’最大持続可能漁獲量(Maximum Sustainable Yield)‘という理論から、’持続可能‘という論議が台頭した。物理的、生物学的論理で出発したESSDは、社会経済体制としての成長と発展、社会的福祉、公平性の問題、人類社会全体の持続可能性にまで拡がって、環境と経済(発展)の両立可能性を提示するのに至るまでその概念が発展し、したがって定義も変化した。
(*3)このようなネットワークの概念は、‘メディアはメッセージだ’というマーシャル・マクルーハンの有名な命題を、‘メディアはメッセージではなくメッセージの具現’というネクロホンティの命題に移すようにしている。多重的双方向的意思疎通構造が、メッセージの伝逹ではなく、メッセージをどんな方式で具現するかに焦点を置くようにしているのだ。パク・ヒョンズン “韓国の情報化と電子空間のコミュニケーション:ハバーマスの公共領域では適用、”「情報化社会と市民社会:ハバーマスとの対話」、ソウル:韓国社会学会、1996。