開会挨拶

Kang Moon-kyu(アジア市民社会運動研究院 院長)

 フォーラムの主催者として、本日この会議にご出席してくださったみなさんを歓迎いたします。はじめに、韓国の立場でそして日本の立場でフォーラムを開催することとなった背景と性格について述べさせていただきます。.私は、三つの理由でこのフォーラムを主催することに賛成しました。

 第一の理由は、1995年のアジア太平洋地域の市民団体たちの会議がソウルで開催されました。当時は、今回よりもやや規模が大きく、アジア20カ国の市民団体の代表者や、私たちが道徳的リーダーと名づけた方々を含む約90名が、4泊5日の議論を通じて、アジア太平洋地域の市民運動の現況と経験を共有いたしました。そこに参加した全ての人々は純粋なCSOすなわちCivil Society Organizationからいらっしゃった方々でした。私は、個人的にNGOという曖昧な用語を用いるよりは市民社会団体、CSOがより適切だと思っているので、これからもこの言葉を使います。私は、あの時アジア太平洋地域で活躍する市民社会団体の活動家たちとの国際的な交流の大切さを痛感し、これをきっかけとして、このフォーラムを続けていくことを約束しました。その後、第2回フォーラムが、1997年にバングラデシュで開催されました。そして、その活動を継続させるために、ソウルに事務局を置き、今、現在その事務局はアジア市民社会運動研究院の事務所に置かれていますが、実質的な活動はできておりません。今日の韓日市民社会フォーラムには第1回フォーラムに参加された須田春海さんの外、数名の方が参加していらっしゃって、これらをきっかけとして、韓日市民社会フォーラムを開催するようになったわけです。

 第二の理由は、アジア太平洋市民社会フォーラムが、その後のプログラムをどのようにするかについて、多くの議論を重ねてきましたが、アジア太平洋地域全体を対象にした会議は表面的なものに終わる可能性が高く、Sub regionalな集まりを発展させて行くということが望ましいだろうということに、私たちが意見を一緒にしました。ところで、この地域別会議も、東アジアの場合には何の成果もないまま、5年以上が経ちました。しかし、これ以上私たちが黙つて見過ごすことのできない一連の事態が、北東アジアで立て続けに起きており、どうしても私たちがこの集まりを急がなければならない状況にいたりました。いくつかの例をあげると、韓日間の懸案問題でありながらわざと伏せて置いたとも思われる歴史清算の問題があげられます。

 去年、私たちが 経験した日本の歴史教科書問題、小泉首相の靖国神社参拝事件等が、戦後からこれまでのなかで最も友好的だった韓日関係を一遍に悪化させてしまいました。そうした問題が発生した後、再び韓日関係修復のための首脳会談という形でこの問題が縫合されてしまった事実を私たちは見ました。しかし、これらの方法が、果して二つの国の国民と市民社会団体の信頼回復のためにどれ程、効果を持っているのかについては多分韓日二つの国とも挫折感が大きかったことと思います。少し通俗的な例を出せば、日本の国民の間では‘一体韓国は政権が変わる度にすぎ去った事に対する謝りを要求するか’という声があることを日本の新聞を通じて知りました。一方、韓国の国民は‘どうして日本政府はすぎ去った事に対するお詫びをする度に俳句を詠ずるような抽象的な単語の羅列を繰り返すだけなのか’という不満を表示しています。

 このように、政治的な取り繕いでは両国の市民レベルでの関係修復には役立たないということを経験して来ました。それで、去年の秋に、この集まりについて意見交換をするために、ソウルへいらっしゃった須田春海さんは、韓日市民社会がいつまで両国政府の政治的な取り繕いに対して黙っているのか。本質を真摯に糾明して、21世紀に向けた未来志向の仲直りと協力を私たちが開拓して行かなければならないだろうという提案をしていただきました。これが、フォーラム開催の二番目の理由になりました.

 三番目の理由は、このような韓日市民社会間の対話の雰囲気が進行する中で、ひとつのショッキングな事件が発生しました。9.11テロ事態です。この事件が私たちに与えた心理的衝撃と、その後、アメリカがとった一連の対応措置、そしてそういうアメリカの反テロ措置が世界に及ぶ影響と世界各国の反応などを私たちは見ました。私たちはまた東西冷戦以後の朧気な平和秩序に大きな衝撃と変化があったことを感じることができました。そして、私たちはこのような変化が東アジアの平和に及ぶ影響に対して心配するようになりました。

 例えばブッシュ美大統領が、北朝鮮を悪の軸と規定するショッキングな発言をしました。私は当時、偶然にも平壌におりましたが、雰囲気がまるで準戦時のようでした。その後、日本では有事立法制定をめぐり、自衛隊の海外派兵を法制化しようとする動きがあったし、韓国ではワールドカップ対策という理由はありましたが、テロ規制立法の動きがありました。そして、中国の軍事大国化の流れなどが、 具体的に東北アジアの平和問題とテロ事態の係わり合いとして私たちに及ぼす影響です。いぞう例にあげましたが、するとこのような事態の中で私たちはいくつもの懸案事項にぶつかるようになります。私はこれを二つにと要約したいと思います。

 第一の懸案は、今日のような米国覇権下の世界平和秩序の中で平和とテロリズムの問題を北東アジアの現実の中でどう消化するべきなのか、この問いの中には9.11テロ事態のような弱小国の強大国に対するテロがあり、反対に強大国の弱小国に対するテロは正義の戦争だと言うような事も含まれています。これを私たちはどうこなすべきなのかが、私たちに当面与えられた課題だと思います。

 二番目の懸案は、最初の懸案を両国の市民社会がどう受け止めて対応していかなければならないかと言うことです。今日、世界はGlobal Democracy時代に移行しつつありますし、同時にGlobal Governanceの時代に立ち入っています。私たちは懸案の韓日問題に近付いて生じる時韓日市民社会フォーラムの基盤を、主権国家システム以後のデモクラシーという枠組みを参考しなければならないし、またGlobal Governanceの文脈の中で解いていくことができる長所があると思います。ところで、ここに座っている私たちは果して誰であり、韓日両国の参加者を支えてくれる共通基盤は何かという問題を抱きながらここにいます。もちろん、私たちは二つの国の国家代表ではありませんし、二つの国の市民団体の代表でもありません。また、所属団体の代表資格をもってこの席へ来たのでもありません。我われは、皆、所属団体の背景はあっても、個人資格でこの席へ来ているはずです。

 ところで私たちの時代は、幸いにも代表性から自由な個人の資格というのが過去のどの時よりも脚光を浴びる時代です。特に、各国の議会民主主義制の代表制が徐徐に衰退する中でそれに代わって登場する新しいガバナンス体制を作り上げて行くべき責任が私たち個人に与えられています。これらの視点で、私たちは私たちの存立根拠を捜すことができるはずです。最近政府による国家管理能力の低下を私たちは見ています。ところで一つ切ないことは市場経済の世界化は私たちが毎日リアルに感じていますが、市民社会の世界化はあまり意味付けをしていないという点です。このような前提の中で両国の市民社会団体たちの‘知的共同体形成’が可能ではないでしょうか。適切な表現がなくて‘知的’という表現を暫定的に使いますが、ここでいう‘知的共同体’は、学位を持った専門家たちだけの知的共同体ではなく、むしろ専門家たちが隠蔽してしまった文化的衝突の問題を、私たちが打ち明けて、お互いに反省しながら未来を開拓して行くことに意味を付与しなければならないでしょう。その点で市民社会団体の知的共同体は、民族や文化の代弁者となることと異なる。個人の資格で対話と討論に参加して、対話過程を固定的ではない流動的な形態で維持していって、限定された時間ではありますが、可能なかぎり多くの問題をお互いに提示しながらそして国境によって遮られたフレームを飛び越える新しい考えのフレームを作らなければならない責任が私たちにあると思います。

 私はこの間、偶然、韓国の朝鮮日報に前UN韓国大使が“韓日関係は市民社会が解こう”という時事評論を載せたのを見ました。そこでその方は“爆発性の濃い懸案問題は、常に政治家が地下に埋めてしまう。したがって成熟した市民社会が、率先して、それを解きほぐさなければならない”と、おっしゃっていました。

 私は以上の理由を述べながら、私なりのフォーラム開催理由を申し上げました。フォーラムの期待と成果はまだ未知数です。昨日、須田春海さんもソウルに来ることまでは最善をつくしたが、その後は分からないとおっしゃってくださいました。私たちは、先規定のない個人の資格で、この席へ来たという点には同意します。それにもかかわらず私たちは両国の市民社会が持っている責任を果たしながらこの集まりの成果を作って行かなければなりません。このフォーラムを、準備する際に、事務局側は第1回としましたが、第2回が行われるかもわかりません。全ては、私たちの全員の討論と成果にかかっているということで、私の開会あいさつを終えたいと思います。