市民と議員の条例づくり交流会議

◆全体会:第一部 「小さな自治体の議会制度―その改革の方向性を探る」


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コーディネーター:辻山幸宣(地方自治総合研究所)
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 今回のテーマでは真正面から「議会」を取り上げています。本日の全体会には、学会でもめったに見られない顔ぶれがそろっており、さらに栗山町議会議長さんからは、議会基本条例制定にあたっての生の議論が聞けるのではないかと、いまから大変楽しみにしています。
 現在、議会改革の必要性がさまざまに議論されていますが、一体何が問題なのかということがよく分かっていない。議会の運営のまずさなのか、議会をめぐる自治制度そのものに問題があるのか、よく言われるように議員の質が問題なのか。こういったことが混沌とした状態にあるように思います。本日は、それらのどれを中心に議論するのかを絞りこまずに、午前午後を通じて、論点を徐々に煮詰めていきたいと考えているところです。
 はじめに、全国町村議会議長会で今年5月に発表された「分権時代に対応した新たな町村議会の活性化方策」最終報告書の取りまとめ委員を務め、また第28次地方制度調査会で自治の問題を取り上げてこられた今村先生から報告を受けたいと思います。

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基調報告「小さな自治体の議会制度―その改革の可能性を探る―」

今村都南雄(中央大学法学部教授)
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■議会あっての地方政府

 平成の大合併と三位一体改革の影響は思いのほか大きく、これからの地方自治のあり方、とりわけ小規模自治体の将来を考えると、さまざまな不安を禁じ得ません。今回の基調報告のテーマは、「小さな自治体の議会制度」ですが、「小さな」ということにはあまりこだわらず、分権改革のなかでの議会改革に対する持論を述べたいと思います。

 私たちが自治体を対象として、その捉え方、自治体像を述べるとき、どうしても行政サイド、行政執行部を中心とした捉え方となって、もっぱら各種問題への自治体行政の取り組み方を論じがちになってしまうということがあります。例えば、住民との関係といったときにも、行政と住民の協働関係、コラボレーションとかパートナーシップから話を始めてしまい、議会の問題は二次的、副次的な扱いにとどまりがちです。地方自治に関する霞ヶ関のスポークスマンとされる総務省の自治体観も、そうした執行部中心の捉え方をする典型であり、28次地制調においても、議会のあり方を扱う審議は副次的になってしまった感が濃厚にあります。

 地方自治の充実を願うはずの全国の地方自治研究者の中にも、地方議会無用論を堂々と唱える方がいます。そういう私自身、いわゆる革新自治体に勢いのあった1970年代頃までは、地方自治の問題を行政中心、執行部中心に捉えていました。わが国の自治体は自治法上、首長主義になっていることもあり、政治的には「長のポストをどちらがとるか」が決め手となって、「勝った、負けた」の考え方をしていたわけです。

 しかし80年以降、三鷹市議会をはじめとして、議会史の編纂に携わることを通じて、議会抜きの自治体というのはあり得ないのだということを認識するに至りました。行政史とは異なり、議会史は非常に特有の性格を持つものです。市史・行政史であれば、市長の施政方針演説やさまざまな行政計画を寄せ集め、切り貼り細工でイメージを描くこともできるのですが、議会史となるとそうはいかない。奥歯に力を入れながら、議会本会議や委員会の議事録を苦労しながら読み通し、どこで何が決まったのかの辻褄合わせをする作業を通じて、私は、「議会があるからこそ自治体は地方政府、ローカルガバメントなのだ」という確信をもつことができたわけです。

 より充実した地方政府をつくるためには、議会の自己改革がことのほか大事であること、そして分権改革の象徴は議会改革であり、議会改革がどこまで進んだかに応じて、分権改革の進捗も分かるのだと、いまでは認識するに至っています。


■二元代表制の呪縛――公選首長は必要か?

 98年春、全国町村議会議長会に設置された地方(町村)議会活性化研究会において、町村議会の活性化方策に関する第一次報告書がまとめられました。その後の分権改革の進展に伴い、議会の役割がますます重要になっているという点では、本年5月にまとめられた第二次報告書においても、何ら変わりはありません。しかし、重要な点で異なるのは、前回はいわゆる二元代表制の枠組みを前提とした上で、議会の活性化策を論じようとしたのに対し、第二次報告書では、この枠組みにとらわれることなく、それを相対化してあるべき議会像を求めた点にあります。

 委員長を務められた佐藤竺先生の言葉を借りるならば、われわれは二元代表制のもと、議会が首長に対して対等な権能を有するものとして、その権能を強化すること、いわゆる機関対立主義の妙味を生かすことができるかどうかに腐心してきた。要するに、二元代表制の呪縛にかかってきた。

 しかし、そもそも民主的な自治のしくみを構想する上で、長と議会のいずれがより本質な位置を占めるのかと考えてみるならば、それは議会の側ではないだろうか、民主的な自治にとっては、公選の長は必ずしもなくてもよい存在ではないか、こういうことになります。憲法が長の公選制を規定し、また自治法の147条が首長主義をとっていることを考えますと、この言い方は一見穏やかではなく感じられると思います。しかし、二元代表制の枠組みにとらわれず、議院内閣制やシティマネージャー制、あるいは委員会制など、世界の主要国で現に採用されているしくみを考え合わせるならば、それらにおいて公選の長はすべて不用となりますから、民主的自治にとって必ずしも公選の長は必要ないとの主張もさほど危険な思想にはあたらないと考えられます。

 ともかくも、われわれがあるべき議会像を求めるにあたっては、現行の二元代表制にがんじがらめにされることはないのではないか。住民自身が自治の姿を決めることが地方自治の本旨であるならば、やがて地方自治基本法を定める際には、少なくとも地域のガバメントの形態を住民自身が選べるように、複数のメニューを提示するように変えていかなければなりません。この点では、私は、自治体は住民がつくるのだという原理・原則を重視するファンダメンタリストです。とはいえ、現行制度は二元代表制を前提としておりますので、そのもとで、どこまでこうした発想に立てるかということを考え合わせた上で、この報告書をまとめたということです。

 加えて、私が先の地制調で一番こだわった点を申し上げますと、「普通地方公共団体は、条例で普通地方公共団体に関する事件(法定受託事務に係るものを除く。)につき議会の議決すべきものを定めることができる」とされる、地方自治法96条2項の問題です。議決事件から法定受託事務に係るものを除くとしたこの括弧書きを削除しない限り、議会にとっての第一次分権改革は終わらない。法定受託事務を自治体の事務としたのが分権改革だったはずです。しかし、96条2項の括弧書きで、法定受託事務は議会の議決権の対象の埒外に追いやられた。そのことに、なぜ議会人は怒らないのだろうか。そうしたことから、96条2項の括弧書きを取ることにこだわったのですが、地制調での合意は見たものの、残念ながら実際の法改正にまでは結びつきませんでした。


■「小回りがきく」のは町村議会

 ところで、28次地制調答申には、人口1万人以下を想定した小規模自治体における議会制度のあり方について、「民意の適切な反映、効率的な議会運営等の観点から、少なくとも小規模自治体においては、現行の会期制限を廃し、週1回夜間などに定期的な会議を開くようにするなど、その規模に適した新たな制度を選択できるようにすることを、今後検討すべきである」との記述があります。会期制限についてはすでに取り払われておりますが、どうして小規模自治体についてのみこのようなことを書いたのか、本意は必ずしも定かではありません。

「規模に適した新たな制度」というのであれば、それは小規模自治体だけに限られません。なぜすべての自治体について自由に任せないのかということになります。たとえば先の国会の地方自治法改正に関する国会総務委員会の審議において、前北海道ニセコ町長の逢坂衆議院議員も、地方議会に関する規定が細かすぎる点を指摘しつつ、市町村議会議員定数に上限を設けた現行地方自治法91条第2項について、「ボランティア的でたくさんの人が参加する議会があってもよいでしょうし、少数精鋭で報酬を高くして専門性を高める議会があってもいいと思う」との主張を行なっております。

 とはいえ、町村議会議長会の報告書にも「小回りがきく」という表現が使われているように、小規模自治体のほうが議会改革に取り組みやすい側面があるのもまた確かです。大規模自治体や都市化がすすんだ自治体では、長との関係において会派・党派の単位でいわゆる与野党体制が強固に組まれ、各勢力間の思惑や利害が錯綜するため、合意形成はなかなか困難です。先ほどの議会史の例でいえば、本会議の議事録や委員会の要点筆記を見ても合意形成の過程がよく分からない、役員の改選などはそのほとんどが議会の廊下で決まっているのではないか、などということがよくあります。

 地制調答申にも取り上げられた夜間・休日の議会開催について、実際にそうした試みを実施しているのは、大規模自治体より小規模町村のほうがはるかに多い。総務省の統計によると、休日会議を開催している市は16、夜間会議が7、計23市であるのに対し、町村では休日会議が142町村、夜間会議が50町村となっている。さらに、議長の任期を実際に4年としているのは、市議会より町村議会のほうが圧倒的に多い。市議会のほうは思惑が錯綜するためか、1年ごとに議長をころころ変えるのです。また、96条2項を使った議決権の拡大についても、総じて町村議会のほうが熱心に取り組んでいる。これを見ても、町村議会のほうが市議会に比べて活発に努力をされていることが分かる。小規模町村には「小回りがきく」ことの妙味を今後とも充分に生かしてもらいたいと思います。


■町村総会で民主制は体現できるか

 ご存じの通り自治法94条には、町村総会に関する条文が置かれています。「町村は議会を置かず、選挙権を有する者の総会を設けることができる」とするこの条文について、一部の研究者の間では、住民総会こそが「規模に適した新たな制度」であるというような主張がなされています。間接民主制をとる議会よりも、直接民主制的な住民総会の活用をはかるべきであるという、一見民主的な主張ではありますが、私はしかし、これは考えものだと思っています。なぜなら、その沿革に見られる通り、町民総会は民主的な制度とはほど遠いいきさつをもつ制度であるからです。

 町民総会とは、一定の財産資格を有する「公民」に選挙権が限定されていた時代に、公民の不足でいわゆる「村会」が設置できなかったがために、やむを得ず総会を開いたのがそもそもの発端です。アメリカのニューイングランドや、スイスの住民総会とは似て非なるものであることをわきまえるならば、議会に替えて住民総会を、などと無批判に主張することはできないはずです。さらに95条に見られる通り、住民総会の開催にあたっては議会の規定を準用すると定められている。あまりに事細かに決められている議会の規定に準拠して、どうして住民総会など運用できようか、現実的には難しいのではないかというのが私の考えです。


■栗山町議会基本条例の決意表明

 本日は、この5月半ばに議会基本条例を制定し、同日施行された栗山町の橋場議長がお見えになっていますが、この議会基本条例はまさしく快挙であると私は思います。先ほど逢坂議員の話しを紹介しましたが、北海道ニセコ町で5年前に制定された、自治基本条例の第一号である「まちづくり基本条例」と同様、本条例は画期的な意義を有しています。

 条文を読んだ時、前文と条文の言葉使いの見事さに、率直に「してやられた」と思いました。われわれ研究者が「二元代表制」などと簡単に片付けてしまう部分について、栗山町議会基本条例の前文は見事にかみ砕き、表現されている。「(長と議会は)町民の意思を町政に的確に反映させるために競い合い、協力し合いながら、栗山町としての最良の意思決定を導く共通の使命が課せられている」、あるいは、「地方分権の時代を迎えて、自治体の自主的な決定と責任の範囲が拡大した今目、議会は、その持てる権能を十分に駆使して、自治体事務の立案、決定、執行、評価における論点、争点を広く町民に明らかにする責務を有している。自由かっ達な討議をとおして、これら論点、争点を発見、公開することは討論の広場である議会の第一の使命である」などという言葉使いは、条文づくりに長けている玄人ではなかなかできるものではありません。堅苦しい表現を排した、分かりやすい具体的な表現が随所に見られ、とりわけ、議会が「討論の広場」でなければならないとする基本趣旨が全文に貫かれているのはまことに見事であり、条例とは本来こうでなければならない、と思わされます。

 私は議会史の仕事を通じて、議会があればこその地方政府、ローカルガバメントであるとの認識を持つに至ったわけですが、議会の実態がいわゆる「言論の府」になっていないことに対して、いらだちを覚えていました。80年代の半ばに、参議院議員であった中山千夏さんが、岩波新書『国会というところ』において、国会は「討論するところなどではなく、言論の府はまっかなウソ」と書かれていましたが、栗山町議会条例は、この点についての徹底した反省をベースに置かれているのではないでしょうか。私はこの条例は、「議会とはこうでなければならない」という大きな決意表明である、と考えています。


■改革の本丸は96条1項にあり

 地方議会は法律で議事機関であると規定されていますが、この規定は非常にあいまいで、むしろ議決機関と書くべきではないか、という意見もあります。「議事堂とは名ばかりで、実は表決堂である」とは尾崎行雄、「憲政の神様」とされる尾崎咢堂の言葉ですが、表決に至るまでの議事は極めて不十分です。栗山町条例のすごいところは、議事を大事にしていく、それも議会の中の討論にとどまらず、町民との討議も取り入れていこうというところにあります。江藤俊昭先生が『地方議会人』の7月号に「コペルニクス的転換である」と書いていらっしゃいますが、ぜひその真意を聞いてみたいと思っています。

 現行自治法では、議会は委員会主義を原則としています。今回の地方自治法改正も、常任委員会のあり方を部分的に改める内容となっていますが、小規模自治体の議会を考えた場合、私はむしろ戦前のような読会制、そして本会主義への切り替えも真剣に考えてしかるべきではないかと思っています。

 栗山町議会条例の第8条では、議決権の拡大について定められています。これは自治法96条第2項を使っての議決権の拡大ということになりますが、あえて注文めいたものを述べるならば、私は「本丸は第1項にあり」と考えています。そもそも議会の仕事について制限列挙的な解釈を生み出している96条1項、これこそが、「議会はこれ以上のことをやってはまかりならん」とする執行部中心の考え方に結びついている。それについて、「執行権の侵害だ」とおっしゃるような議員は、もう議員を辞めたほうがよいと思いますが、そうした解釈を生み出す第1項こそが改革の本丸とされなければなりません。こうした制限列挙主義の規定に迫るような運用をしてもらえれば、大変素晴らしいのではないかと思っているところです。

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