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コメント

司会:安藤博(東海大学 平和戦略研究所 教授)

 第2部に入ります。このセッションでは、平和や安全保障の問題について議論したいと思います。まず、李鐘国さんからご発言をお願いします。李さんは、前のセッションでもたいへん有意義な指摘をしてくださいました。政治学がご専門で、現在は東アジアにおける緊張緩和について研究されています。

李鐘国(東京大学 法学部 客員研究員)

 李鐘国です。私は政治学が専門ですので、今日は、できるだけ法律的なロジックにならないように、憲法第九条を中心として、まず、東アジアの20世紀の歴史について、次に日本の現実政治においての憲法改正問題について、3つめにそれに対して韓国では、どのような受け止め方があるかということについてお話したいと思っております。

 20世紀のアジアは、国民国家の形成から始まります。20世紀を大きく3つにわけるとすれば、20世紀前半、日本以外のアジアの国々は、植民地状態、半植民地状態にありました。国民国家やナショナリズム、国家形成から独立国家としてのあり方などについて、完全な独立国家になりたいという意思が働いた時期でした。

 そして、20世紀の半ば、特に1945年以降、韓国、台湾などが解放され、一つの国家としてのかたちをつくりはじめました。その際、リーダーはまず経済発展を考え、そのシナリオをつくり、それをもとに国家建設を図りました。

 韓国では、初代大統領の李承晩が、自由主義経済体制を取り入れながらの国家形成をめざし、北朝鮮の金日成は、抗日闘争を闘ったということを打ち出し、それが主体思想として現在の金正日まで続いています。こうしたある特定のイデオロギーをもって国家建設が進められたことで、国家に関するイメージについては、日本とその他の東アジア諸国とのギャップがあります。結果として、韓国では権威主義体制が成立し、北朝鮮では共産主義体制が確立されることになっていきました。ここで各々の政治体制を維持させるために、国内体制を安定化させる、国内体制を安定化させるために、各種の経済政策や政治政策を展開することになります。体制安定化のために、さまざまなスローガンや政策が動員されることになります。これが、70年代の東アジアの実態です。

 20世紀後半、日本の戦後民主主義の影響で、韓国や台湾がある種の民主的国家となっていったことは大きな意味をもちます。それと同時に、自由主義的価値観を共有し、他方で、人権問題や環境問題で異なる考え方を持つようになりました。特に中国や北朝鮮などの経済発展途上にある国々からみると、自身の経済体制や政治体制を維持するためには、人権や環境はとても重要なファクターだと考え、違う価値観のベクトルへと向かうといった傾向もありました。こうした、同じ傾向のものと異なる傾向のものが共存しているのが、20世紀東アジアの歴史であり、現在の姿でもあります。

 このような東アジアの歴史を前提に、今回の市民立憲を考えてみると、90年代の日本の国家改革といった側面から考えられるのではないでしょうか。また、憲法改正問題、憲法改正の機能や役割、意義もそのような前提から考えれば良いと思います。

 もう一つは、戦後日本の国家意識の問題で、それが市民の国家意識なのか、国民の国家意識なのかということです。国家意識に対する考え方にはさまざまな意見がありますが、1970年代の韓国を考えると戦後日本のように多元化された状態ではなかった。

 第二次大戦後の日本の人びとの国家意識は、三つに分けられると考えます。一つめは、マルクス主義的国家観によって、実際に社会で運動を展開している人びと。二つめは、多元的な国家観によって、国家のイメージを行政命令的組織と捉えて運動を展開し、国家と社会を分けて考える人びと。三つめは、平和国家、文化国家というイメージを持ちながら生活してきた人びとです。

 憲法第九条や第二五条をもとに、戦後の国家意識の制度化ということを考えると、日本の戦後民主主義において、これら三つの国家意識が、積極的に活動してきたのではないでしょうか。そして、これが、国内政治に現れると、一つめは、自由主義。二つめは、真の保守勢力。三つめが、社民党と共産党ということになります。この三つの国家意識から、三つの国内政治の流れが展開されてきたと思います。

 90年代に入って、西欧諸国も政治改革を行ってきましたが、日本の政治改革でも、三つの考え方が出てきました。これはある面で、60・70年代の日本の社会から、成熟した民主主義が定着していったとも言えます。そういう意味で、90年代の日本の政治改革は、戦後日本の民主主義の理念を制度化するためのものと考えられます。そのなかで、自由主義的な国家改革、新保守的な考え方つまり普通の国家という考え方、模範的普遍的な安全保障・世界平和を達成しようとする考え方などがでてきたわけです。

 憲法第九条を考える際に、第一部でも議論になっていましたが、国家間関係において戦争をどのように根絶するか、人類の普遍的な価値をどのように発展させていけるかということが鍵になります。もう一つは、軍事国家化するのをどのように防ぐかということ。国家目的、戦後の日本の国家目的がいったい如何なるものであったかということについて、憲法改正論議のなかで問題提起されているようです。憲法前文と第九条について、憲法調査会の報告なども出されていますが、市民の間での議論が重要になるかと思う。

 国際環境も国内環境も大きく変わっています。日本と同様、世界的にも、そういった変化の中での政治改革が行われています。国家における法の制度化といった議論をするときに、市民か国民かという議論も重要ですが、それぞれの歴史間の差異や世代間の違いも、しっかりと議論されることが重要です。

 韓国の大統領選挙では、ITによって激しい選挙戦が繰り広げられました。これは情報技術によって、韓国民主主義にどのような影響を与えていたのかことで、いい面もあれば悪い面もありますが、結果的に韓国の国内政治において極めて大きなインパクトを与え、特に若者の行動によって大きく変わるようになりました。

 日本は、現在憲法を改正したいという非常に重要な時期にあるわけで、戦後民主主義の成熟性を保った状態の下、すべての合意は得られないとしても、広範な議論がなされながら、先に進んでいけばいいように思います。

 韓国のほとんどの人が、日本の憲法改正に反対しています。それは、植民地時代の被害意識の影響が大きいからです。中国や韓国についての日本のマスコミ報道などをみると、愛国主義教育がそういった世論を作っているとされていますが、それだけではありません。現在では、世界の情報が入ってくるので、普遍的な価値観をもっている人も増えています。昔のように国家が決めた通りに、国民が考えるという時代ではありません。もちろん80年代半ばまで権威主義的な考え方が主流でしたから、その後文民政権となっても、権威主義体制の影響は残りました。民主化運動を展開した人が大統領になったとしても、政治がすべて民主的に制度化され、うまくいくというわけでもありませんでした。ある面では、権威主義的なところが強く残ったとも言えます。韓国は、こうした政治文化の中で、第九条をどう考えるかということになります。

 韓国では、日本が憲法を改正するというと、軍事国家化すると言います。また、マスコミの影響もあって、日本は70〜80年代にすでに軍事国家・軍事大国化したと考えている人びとも多くいます。実際に、憲法第九条を持っていても、東アジアにおける軍事的なバランスの中ではとりわけ大きな軍備を備えています。そういった意味でも、日本の憲法論議は、東アジアの隣国にとって大きな意味があるわけです。

 また、国連の問題も同じ考えの延長線で捉えられるでしょう。日本が戦後、国是に掲げた「国連中心主義」は、湾岸戦争後には「国際協調主義」という言葉になりました。この変化は一体何を意味するのか。もちろん日本の中でも、日本はアメリカの植民地・アメリカの従属国家であるといった厳しい意見もある。日本は、こういったアブノーマルな国家から正常な国家になりたいという考え方も出てきます。中曽根首相以降、特にそうした傾向が強く現れているようです。

 こうした情勢の中では、市民の活動がますます重要になってきます。韓国では、大学を卒業して地域に入っていく女性たちがどんどん増え、社会資本としての女性の役割がどんどん大きくなっています。日本においてもそうだと思いますが、日本の女性にも、もっと頑張っていただきたいと思います。ありがとうございました。


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