シンポジウム目次 > 2006年 > 第2部 稲正樹

日本の憲法をめぐる状況、
わたしたちはどう向き合ってゆくのか

稲正樹 (国際基督教大学 教授)

 わたしが普段考えていることについて思い切って報告してみたいと思います。おかしな点などあれば是非ご指摘ください。わたしに与えられたテーマは日本憲法をめぐる状況ということですが、東アジアとのかかわりの中で日本の憲法についてどのように考えればいいかということについて報告したいと思います。

  まず、米軍問題をどのように考えるかとの須田さんからのご指摘に触れたいと思います。日本国憲法の考えていたこと、目指していたことが、わたしたち日本人自身の努力によってようやく保たれてきたけれども、その根幹部分はまだ実現していません。これをどのように実現していくのかということがわたしたちの課題でもあると考えています。

  次に朱さんからは「日本はどこへ行こうとしているのか」という端的な発言がありました。よく言われているように明治のはじめが、第一の開国でした。どんな国をつくるかという方向として富国強兵を選び、やってきましたが1945年に破綻したわけです。そして第二の開国が1945年から始まり、それと同時に憲法ができました。いま21世紀を迎え、いわば第三の開国を、どのような方向に向けて、わたしたちの力でどう切り開くのかということが投げかけられていると思います。

  第一点目に、呉さんからも発言がありましたが、わたしたちは過去の問題を解決していません。それをどう総括するのかということです。

  第二点目の立場は、今の憲法は立憲民主平和主義であるということです。その根源にあるのは一人ひとりの尊厳を中心に国をかたちづくるということです。これこそが立憲主義の本質です。一人ひとりの尊厳を国家というものが尊重する、そういう国家でなければ、そういった国家に変えていくということです。それは間違っていませんでした。戦後60年ということでそのことをチャラにして、まったく別のものをつくろうという話にはなりません。わたしからすると、“まだ”60年です。この60年をどのように見据え、次の50年、100年につなげてゆくのかということを考えています。

  第三点目は、わたしたちがアジアにおいてビッグパワーであることは確かであるということです。中国から見ても、GNPなどから見てもそれは明らかです。そこでわたしは逆説的に、この地域においてミドルパワーの道を作れないだろうかと考えています。ミドルというのは象徴的に言っておりますが、念頭に考えているのはカナダや北欧の国々です。日本はその国以上に大きいわけです。東アジアの中でヨーロッパやアメリカの経験を踏まえ、この地域の中でどのように平和と人権の秩序が保たれていくシステムをつくっていくのか。環境や経済発展等のすべてを含めたものをどうつくれるのか。これは大変な話ではありますが、東アジアの中で生きていくという宿命の中で考えていかなければならないことだと思います。

  ここで坂本義和さんの問題提起を考えてみたいと思います。坂本さんは、アジアの民主化に対する日本という国の鈍感さについて述べています。普通の国になろうとしている日本が、かつての国家へ回帰してきている、あるいはステイト・ナショナリズムが現れていることに対し、アジアからの不信や抗議が出てきている。そうした状態の中で日本は戦争責任をどのように考え、歴史をどのように認識しているのかという問いかけがなをされています。冷戦後、アジア諸国で民主化が進んでいますが、朴正煕などの軍事独裁政権下で声を上げることができなかった人々や、かつて棄民化された人々によって、日本に無視され捨てられてきた人々に対する責任をどうするのかという問題が提起されている。、従軍慰安婦や強制連行の被害者の問題を考える際に、国家ではなく人間、つまり犠牲者個人に対しこの国がどのように向き合っていくのかが問われているのです。

  この問題について、わたしは常々、日本の政治家や特にメディアがひどい状況だと思っています。例えば従軍慰安婦にされた女性たちが何年にもわたってソウルで抗議デモを繰り返したり、日本で戦後補償裁判を起こしたりしています。これに対して「人間個人の内心には、国家を超えて拘束する規範やルールや法がある。こういった文化が近代日本にあったのだろうか」と、坂本さんは非常に重い問いかけをされています。

  西洋の自然法にあたるような普遍的な規範の意識が、日本の伝統の中にあるのか、ないのか。日本の伝統的な政治意識の中にある核心は、天皇や主君や家長に対する忠誠や責任であって、日本国家が棄民化した他者としての個人に対する国家を超えた責任を負う文化が欠けているのではないか。ドイツとの比較をするまでもなく、人間としての問題である。このアジアの民主化と連動して起こってきた日本に対する問いかけが、中国や韓国、その他の国からなされてきたことに対して、わたしたちが非常に鈍いのはなぜなのか、ということを坂本さんは問いかけているのです。

  民主化運動を担い現在政権についている韓国政府と、日本政府は、歴史認識をめぐり非常に厳しい対立関係にある。これを単なる韓国のナショナリズムや反日教育のせいだとみなすのは正しくない。現在の韓国は、民主化徹底の行動の一環として、自国の歴史を洗い直そうとする中で、親日、反民族行為を究明してきた。そして、自らの国の独裁政権や軍事政権がどのような悪や誤りをしてきたのかを、自らの手で明らかにしようとする中から、日本への批判が出てきた。戦後日本は、自己究明をしてこなかったために、韓国がやっていることがわからない。だからナショナリズムだ、竹島だ、という話に持っていき、韓国が行ってきた身を切るような民主化に共感するという感覚が鈍い、坂本さんはそう指摘しています。

  朱さんはお帰りになられましたが、中国の反日デモについても、坂本さんは官製デモではなかったと言っています。1949年に中国が建国されて以来おそらくはじめてであろう非官製デモがあれほど広範に各地で起こったのは、中国における将来の民主化の予兆であり、その暴力化の責任を取れと日本が抗議し、中国政府がデモを抑え込んだおかげで、日本の企業は安心して事業や商売ができるようになった。つまりわたしたちは、中国政府によるデモの抑圧による受益者になっている。

  89年の天安門のときにはそのデモに共感し、学生を鎮圧するのは不当であるとした日本も、いまはデモを抑えろという側に回っている。とりわけ、日頃は中国の一党独裁制に批判的な人々が、中国の民主化の動きが反日の様相を呈した途端にそれを押さえる側にまわってしまう。わたしたちがアジアの民主化についてどのように徹底して考えてゆくのかという坂本さんの問題提起です。

  また、アジアでも日本でもグローバル化が問題となっていますが、新自由主義改革や「官から民へ」といった、わたしたちが憲法の中で克服したはずのものが大問題になっています。しかし現在起こっていることは明らかに、ソーシャル・ダーウィニズムです。その結果、棄民が世界中で発生し、貧困や飢餓に苦しむ何億もの人々が出てきています。差別の対象とされている難民や移民、不法滞在の労働者や、失業者や低賃金のパートタイマー、派遣社員やフリーターが溢れています。優勝劣敗、弱肉強食があたかも正義のように貫徹されている時代が現代ではないでしょうか。グローバル化に賛成する人々もいますが、先進国や発展途上国を問わず棄民が世界化している状況下で、人間が人間として自己決定の権利を確立するためには、どうすればよいのでしょうか。

  日本国憲法が普遍的なものの価値というものを高く掲げているわけですが、それはわたしたちが自己決定できる、人間として生きていく権利を確立するという憲法の基本だと思います。坂本さんは、個人、家族、地域社会、自治体、国、東アジア、国連組織など、どういったところがグローバル化への抵抗拠点として考えられるのかということを投げかけているのです。

  一方、小林直樹さんは論文の中で、我々は積極護憲という旗を立て、第9条に内在する理念とそれを普遍化する国家像、世界像の道筋を示す必要があるとした上で、まず一つ目に、広い視点に立った国家像、短見的な軍事リアリズムを排し、現実的な平和主義を貫徹する国家を目指すべきであるとしています。二つ目に、日本国と国民は、環境・人口・食糧・難民・核といった世界規模の問題に正面から取り組み、解決に力を尽くさなければならない、ここに平和憲法を持つ日本の出番があるとしています。自衛隊を軍に格上げするといった19世紀の発想をきっぱり捨て、その一部を国境部分の安全のための警察予備隊として残し、大部分は災害や難民救援に当たる難民救助隊や環境改善の仕事をする平和建設隊へと改変し、人類の難題の解消に尽くすシステムをつくるという構想がなぜ立てられないのか。現実主義者からは、夢みたいなことを言うなと言われるが、これを実行すれば日本は世界の大方の人民から信頼と尊敬を受け、軍備では望むことのできない支持と安全を得ることができるはずだ、としています。

  そして三つ目が、わたしが皆さんに一番お話したかったことですが、近隣諸国との融和外交を進め、アジア共同体の構築を目指そう、と小林さんは提言しています。EUのようなアジア全体の共同体が難しいのであれば、まずは東アジア、日中韓を主軸とする共同体の構築を考えていくべきではないかというのが小林さんの持論であり、たんなるリップサービスではない経済的共生を考えた上で、共同体構想へと向かうべきではないかとしています。

  時間が来てしまいましたが、本日用意した資料の説明をして終わります。わたしの友人でもある立命館の君島さんも全力を尽くしているGPPACの提言です。GPPACは、軍事紛争を避けるためにどのような世界秩序と地域をつくれるか、ということでアナン国連事務総長の音頭とりを受けてはじめられたものです。国や国家からは逃れられないが、人間の安全保障やヒューマンセキュリティ、つまり人間が人間として生きていけるようなセキュリティをつくっていこうということが基盤にあります。

  GPPACの提言では、テーマの1が平和共存となっていて、具体的には軍縮と非軍事化、地域間協力となっています。これだけをみるとスタティックな感じもしますが、これを紙の上だけのものにしないために何ができるのか。武器輸出三原則は大事なことだが、日本は地雷の問題については非常にいいことをやっている。わたしたちは、平和の文化を創ってきた。これを外に広げていくということが課題だと考えている。正義・人権・多様性を尊重する地域の秩序をつくっていくことを進めていかなければならない。その元になるのが、平和憲法にある平和に生きる権利である、としています。

  平和憲法は、「全世界の国民」が、恐怖と欠乏から免れて平和のうちに生存する権利を有する、としています。この権利を日本国民だけではなく、すべての人々が享受できるような地球をつくっていくことが、わたしたちに求められているのです。

  最後に、生命権という山内敏弘さんの非常にユニークな考え方もあります。これは日本国憲法の生命権は、近代の立憲主義を一歩乗り越えたところにあり、公共の福祉によっても制限されない人権の中の人権というものがある、というものです。こういう発想をどのように広めていけるのかということも考えてゆければ、と思っております。

【当日配布資料】
A:レジュメ
B:GPPAC東北アジア地域行動宣言
C:平和的生存権論を「生命権」を機軸に据えた形で再構成することの必要性を提唱する山内敏弘の見解
D:稲正樹「アジアにおける平和・安全保障体制の構築」
E:浦部法穂「憲法9条と『人間の安全保障』(法律時報76巻7号、2004年6月号)
F:靖国神社問題に対する司法判断、国立追悼施設の建設問題


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