中国における憲法と日本の憲法改正論議について
朱建栄 (東洋学園大学 教授)
ご紹介いただきました、朱建栄です。この市民立憲フォーラムに参加することができて、わたしにとっても勉強のチャンスだと思っております。これは決してお世辞ではありません。自分は日中関係の専門ではありますが、実は中国自体の憲法についてあまり詳しくありません。安藤さんに中国の憲法について話してくれと言われ、少し戸惑ったのですが、中国人としての憲法についての一般的な受け止め方、そして中国憲法の背後にある中国社会の変化を含めまして、いくらか話は出来るのではないかと思い引き受けることにいたしました。
1)市民立憲フォーラムでの議論の意義
まず、この市民立憲フォーラムがアジアの未来にとってどういう意義があるのかということについて、考えていることを述べたいと思います。今、江橋さんがお話になったように、日本国内でも中国国内でも憲法は自分の国のもので、外部からとやかく言うのは内政干渉だと言われています。しかし、時代はすでに国を超えて、今こそ互いに語り合って、今後の共通の方向が目指せるかという議論をする段階にきていると思います。
ヨーロッパの例を見ても、第二次大戦で互いに死活をかけた戦いをしました。戦後、まずは経済面で共同体をつくり、そのうえであらゆる共通のものをさぐっていきました。共通の教科書、理念、通貨などでありますが、現在ではEU共通の憲法をつくろうという段階に進んでおります。われわれ東アジアは、ヨーロッパにくらべて遅れているのは事実ではありますが、しかし第一歩、二歩は踏み出したのではないかと思います。経済面で東アジアの日本、中国、韓国などは切っても切れない運命共同体的な関係となっていると思います。
一方、教科書などの歴史認識の問題で喧嘩している状態ですが、すでに三カ国の学者が一堂に会して共通の教科書をつくろうという機運が高まり、ご存知のように去年一つの試みとして日中韓共通の教科書(日中韓3国共通歴史教材委員会『未来をひらく歴史―日本・中国・韓国=共同編集 東アジア3国の近現代史』(高文研、2005年))が作られました。これがすぐに採用されているわけではありませんが、実際に副読本としての教科書がつくられたことは重要な一歩を踏み出したと思います。
憲法の問題を共通に議論するのはまだ先で、国どうしの議論は10年後のことかもしれませんが、このフォーラムはそのさきがけとして、わたしたち民間で議論をし、まずは互いの誤解を解いて、相互理解を深めていくという趣旨はいい企画だと思います。
2)中国から見る日本の憲法と日本社会
わたしの話ですが、一つは中国から見る日本の憲法と日本社会、そして二つ目に中国の憲法、憲法の変化の背後にある中国の社会という、二つの側面から問題提起をしたいと思います。
戦後の日本の平和憲法について、中国での認識は、大きく二つの段階に分かれて変化していると思います。
まず、1972年の国交樹立以前、日本の憲法について肯定的な評価はほとんどなされていなかったと思います。当時の冷戦構造の中で、米中対立局面が20年以上続いた中で、アメリカは日本との軍事同盟を活用して中国に対する包囲網をつくり、また日本もその中で中国を孤立させる動きに加わっていた。日本の平和憲法が、日本の内政、外交に一体どのような影響があるかという細かい研究はありませんが、アメリカが、武装解除した後の日本を利用して、アジアにおけるアメリカの国際戦略を推進する一環だという認識がありました。
国交樹立後、およそ10年を経ても、依然として日本の平和憲法についてあまり触れられていませんでした。中国自身が文化大革命の最中で、憲法・法律があってないような時代なので、日本国憲法への議論は、中国国内の背景から考えてできませんでした。また対日関係は対ソ外交戦略という外交戦略の中で見られていたので、憲法に関するしっかりとした研究はありませんでした。
しかし、80年代以降に、多くの留学生が日本に来て、日中の交流が生まれ、日本の憲法についての議論・見解が、徐々に紹介されるようになり、中国では評価する方向にかわっていったと思います。胡耀邦総書記が訪日し、広島、長崎を訪れ、長崎の原爆記念博物館に大きな彫刻の像を寄贈しました。日本が戦争の教訓を銘記して不戦・平和路線を歩むことを評価する、今後もその路線を堅持してほしいというメッセージを送りました。
最近になって、日中関係が悪化し、色々な矛盾が表面化するなかで、日本の平和憲法についての評価はむしろ高まっています。日本が軍国主義の方向にいくことはないということを、多くの中国の指導者はわかっているのですが、すでに日本は事実上軍事大国であり、それが今後どういう方向に向かうのかということ。台湾と中国とで複雑な背景があります。わたしは近い将来において中台統一はないとは思いますが、それはあくまでも中国人自身の問題です。日本は日中国交正常化の中で「一つの中国」ということに理解を示しただけでなく、「カイロ宣言を受け入れる」というポツダム宣言第8条を厳格に遵守することを表明しました。カイロ宣言は、「台湾は中国に返還されるべきである」という内容なので、婉曲なかたちで、台湾が中国の一部であることを認めていたのです。
しかし近年、日米同盟の中で日本が台湾問題に口出し、ないしは牽制、軍事的に介入するのではないかという警戒感が中国にあります。日本の軍事大国化、日米同盟の一環として日米の枠組み以外のところに介入するのではないかという警戒感がある中で、日本の平和憲法については、むしろもっと期待をしている。それが、日本の戦後の平和路線の象徴であり、今後も守ってほしいというスタンスになってきました。1998年の江沢民主席の訪日は、歴史問題を批判したということで大変不評でしたが、そのときに交わした日中共同声明で、中国国家主席として日本の戦後の平和発展を評価するということを、中国政府の立場として初めて盛り込みました。
3)日本は憲法改正でどこに向かうのか
日本の国内の憲法改正をめぐる動きについては、憲法はそれぞれの国の事情にあわせて改正されているので、日本だけが改憲してはいけないというのは、内政干渉であり、戦後60年の変化のなかで修正、変更するのは当然なことです。それなのに、なぜ中国、韓国が日本の改憲の動きに懸念を抱いているかというと、日本は軍隊を持たないとしつつも、自衛隊を持つという形で現実的に調整をしているということ。しかし、日本の平和憲法によって平和路線を維持してきた。それが一つの道しるべであったわけです。ところが、改憲した後、日本がどこへ向かうのかがはっきり見えないということが、おそらく懸念の一つの要因だと思います。
またそういった中で、一部の政治家が改憲の動きを借りて、さらに軍備拡大、日米同盟強化をして、日米以外の様々なところに介入していこうというような発言をしているので、この問題が中国、韓国で改憲への懸念になったかと思います。
ただ現在の中国の首脳陣、エリート層、大半の学者は、日本が軍国主義化するとは思っていません。改憲は数年以内にあり得るけれども、日本が危険な方向にいくということは基本的にはないだろうというのが大半の意見です。なぜなら日本の方向を決めているのは、平和憲法とともに、シビリアンコントロール、これが徹底されているということ。日本国民が平和の道を大切に思ってきており、今後も日本国民の良心が国の方向を決めるという考え方があるからです。そして世界情勢を見て、グローバリゼーションの中で、日本、中国など一国だけが軍事大国になり、覇権を求め、軍事拡張することは国際環境が許さないという状況におかれていることも理解しています。
ここで、中国は近隣について批判しているではないかと、疑問に思うかもしれません。それについては、別けてみる必要があります。
10年前、中国のエリート層は、日本に対して内心警戒的でしたが、現在の経済発展で自信を得てきたことと、日本への理解が深まってきたこと、アメリカが唯一の超大国という警戒感から、日本に対して比較的冷静になってきた。しかし、10年前の中国の対日政策にほとんど影響はなかったファクターが台頭しています。それは民衆レベルのナショナリズムです。以前の中国は共産党の厳しい支配の下で、民意を表現する自由がなかったわけです。しかし現在の中国の開放政策の中で中間層が急速に拡大し、本当に中間層といえる生活水準を持つ人と、意識としての中間層であるという人とを合わせると、大きく見て約5億人に達しています。5億人が一定の余裕があると、よりいっそう知る権利、参加する権利を主張します。そこにナショナリズムが表れてきたわけです。
さらに情報化時代が到来し、インターネット、携帯電話の普及で当局がコントロールできなくなってきた。そんな中で、中国の教育では十分紹介していなかった日本の平和憲法、日本国民の考え方などに理解がない人たちが、インターネットを利用して無責任で感情的なナショナリズムをあおっている。そのような人たちが、昨年の反日デモに現れています。中国として今後成熟した社会に向かってゆくには、それを克服しなければならないことは間違いありません。
一方、日本はこれらのデモを中国当局が操ったとか、反日教育の結果だという見方をしていますが、それは正確ではないと思っています。その話の前提、中国共産党が徹底したコントロールができるという前提がすでに間違っています。90年代前半の江沢民時代に、愛国主義を強調したのは事実です。天安門事件、ソ連崩壊により共産主義のイデオロギーで国民をコントロールできなくなったので、歴史上の愛国主義を強調しました。特に、共産党が日中戦争の英雄として戦ったとしています。しかしそれは、反日教育、日本への恨みを煽る教育ではなかったとわたしは思います。仮に本当の反日教育であったのであれば、なぜ90年代から2002年の10年以上もの間で、一度も反日デモが起こらなかったのか。なぜその間の中国人の対日感情は悪化しなかったのか。この2、3年で急速に悪化したわけです。なぜ中国、韓国が一斉に日本の歴史認識について問題にし始めたのか。
中国、韓国それぞれ国内に原因があるかもしれませんが、すべて相手の国内に原因を求めるだけでは解釈できない。それを中国の対日感情の変化の中に求めるとすれば、中間層拡大によるナショナリズムの変化であろう。このことと、中国首脳部、エリート層はむしろ冷静になってきたことと、この両方で見る必要があるということを申し上げたい。
4)中国の憲法、憲法の変化の背後にある中国の社会
時間がかなり過ぎたので、後半は中国の憲法について簡単に説明したいと思います。
中国は憲法を、ヨーロッパや戦後の日本が憲法に置いたような重みで理解し、守ってきてはいません。どちらかといえば、これまでの中国憲法は、政治の反映です。中国の憲法には、各時期において、当時の政策が盛り込まれているかたちになっています。人民公社制度が二回目の憲法に盛り込まれていますが、80年代には人民公社が解体したことを受け、条文を変えました。国の基本的な構造を規定した人権、国のあり方を規定したものというよりも、当時の政治、政策の反映という一面が色濃くありました。中国で、憲法を法律の上の法律、根本大法であるという認識、位置づけとしていくには、まだ時間がかかると思います。ただそれとともに、中国社会が10年、20年の間に、法律、憲法が重要だという認識が徐々に増え、中国の中でこれから法治国家に向かわなければならないという認識が浸透してきたのも事実です。
中国は2001年にWTOに加盟し、経済法においてはWTOが規定する世界の約束を守るということを、中国は世界に示したわけです。またWTO加盟に合わせて、何百の経済関係の国内法が改正・廃止されました。これから法治国家を志向する中国は、経済発展の次なる優先課題という認識の下、政府は2010年までに、初歩的な法治国家の枠組みをつくり上げるといっています。
本当の法治国家とは、ただ法律があるということとは違います。日本の例を見ても、本当の法治国家というのは三つの部分から成り立ちます。第一に憲法を含めた完全な法律の整備。それは中国にもあります。問題は残り二つです。第二は、法律を執行する機関、公正に厳格に執行する機関です。裁判所、警察のように、本当に公正な権利の行使ができるかどうか。第三は、国民レベルの遵法意識です。皆が法律を守るという土台、意識です。残念ながら、中国では特に二番目と三番目がまだまだです。その意味で法治国家というのは今後の目標です。
2010年に、中国はまずこの3点について、初歩的な法治国家に向かい、2010年から2015年の間に、中国の中間層が人口の半分を超えた時点で、おそらく国政レベルでの総選挙、民主化も避けられないと思います。このように、発展的な視点で中国を見ていく必要があるということで、とりあえず終わりたいと思います。
【以上、分析:市民立憲フォーラム事務局】
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