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市民・政府・憲法

後藤 仁

 なん人かの個人がある共通の縁で集り、それらの人びとの集合が構成される。@この集合、A集合に属する人びと、そしてB集合の構成員である一人ひとりの個人を、私たちは市民と呼ぶ。市民は中国起源の言葉であり、私たちの解釈では「市井に生きる人」を意味する。

 市民は自分たちの集合の内外で、お互い同士さまざまな関係を取り結び、取り消す。関係性が織りこまれた集合が社会である。市民は、主人公として、社会を形成し、あるいは社会から離脱する。

 社会における多くの関係は、個人間の私的なものである。しかし、社会の構成員一人ひとり全員に共通に係わる関係もある。つまり、社会には公的な関係があり、公共圏が成立している。市民は、だれでもみな、公的な関係に主体として参画できなければならないし、また参画しなければならない。

 公的な営み、過程、制度のなかには、強制力に裏打ちされて市民全員を規律するものが含まれている。そのような規律のための政治組織が政府である。市民は主権者として政府を創設し、廃絶する。政府の所有者は市民であり、市民は税金を出資し、政府に信託し、運用を委託する。政府の使用者も市民であり、市民は資金の運用と業務の運営について、政府に対して責任ある説明を求め、説明を行わせる。政府の成果の享受者も市民であり、市民は政府の直接の顧客になるだけでなく、なんらかの形で公共価値の配分に与かる。政府の所有者、使用者、享受者としての市民には、現在の世代とともに、将来の世代も含まれる。

 近隣地区から地球規模にまで広がる生活圏域のなかで、いくつかの層に政府は創設される。どこに政府を創設し、どこに政府を創設しないか。そして、政府間関係をどう編みあげるか。補完性の原則などにもとづき、それを決定するのは、市民である。

 政府の仕事は、法を立て、法を行い、法を司ることである。法において権利義務関係が確定する。なんらかの権利が保障され、その権利を守る義務が明確にされる。市民の自由と利益を強制的に規律できるのは、法だけである。法によらない恣意的な強制は無効である。政府は、法の支配を確立し、自らも法の支配に服しつつ、市民から信託に応えていかなければならない。それができない政府は無用である。

 政府を縛る法、法を縛る法、基本法中の基本法が必要である。すなわち憲法が必要である。市民は憲法を制定し、憲法において自らが主権者であることを明らかにしたうえで、憲法を使いこなしていく。

 政府を組み立て、政府を制御する。あらゆる法が尊重しなければならず、いかなる法も侵すことができない人権を保障する。市民として擁護すべき、創造すべき価値―そのうちの最も重要なものの一つが平和である―を確認し、世界に向けて表明、発信する。さまざまな紛争が生じたときに、法に則り、どう法を司っていくのかを定める。さらに広く、紛争解決を勧める「歓解」の仕組みを構築する。

 これらの点について、憲法を使いこなす市民という立場から、わたしたちの提案を示す。


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