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資料 増補型改憲論の趣旨
市民立憲フォーラム報告資料(2005年3月16日)
増補型改憲論の趣旨
江橋 崇(法政大学法学部教授)
1 増補型の憲法改正
(1) 増補型改憲論は、アメリカのアメンドメント方式の考え方である。だが、アメリカ
憲法には、この方式を明示した改正手続きの規定はない。憲法の発展の中で実際的にできあがってきた慣習である。日本国憲法が憲法改正(アメンドメンツ)条項を定めた際のモデルはアメリカ憲法ではない。
なお、アメリカ憲法のアメンドメンツ(修正条項)としては、各種の人権保障条項が有名であり、それゆえに、Bill of
Rights と呼ばれることもあるが、それは第9修正までであって、その後は、連邦司法権の制限(第11修正)、大統領選挙方法の修正(第12修正)、下院議員の数(第14修正)、禁酒(第18修正)、大統領、連邦議会議員の任期(第20修正)などと多様であり、また、禁酒条項の廃止(第21修正)のような、修正条項を廃止する条項もある。アメンドメントであるから、第21修正が認められても、第18修正は消されることがない。
(2)日本国憲法の直接のモデルは、1935年フィリピン憲法の規定であろう。それはこうなっている。当時の日本語訳とともに紹介しておきたい。
ARTICLE XV Amendments
Section 1 The Congress in joint session assembled, by a vote
of three-fourths of all the Members of the Senate and of the
House of Representatives voting separately, may propose amendments
of this Constitution or call a convention for this purpose.
Such amendments shall be valid as part of this Constitution
when approved by a majority of the votes cast at an election
at which the amendments are submitted to the people for their
ratification.
第15条 憲法ノ改正
第1節 議会ハ、両院合同会議ニ於テ各院別ニ行ヘル投票ニ依リ、各議院総数四分ノ三ノ表決ヲ以テ、本憲法ニ対スル改正ヲ提議シ、又ハ、憲法改正会議ヲ招集スルコトヲ得。右改正ハ、選挙ノ機会ニ人民ニ対シ其ノ改正案ノ批准ヲ求ムル為ニ提出セラレ、其ノ人民ノ投票ノ過半数ニ依リ承認ヲ得タル場合ハ、本憲法ノ一部トシテ有効ニ成立ス。
*財団法人比律賓協会『「フイリピン」新憲法(1943年)
: 旧憲法(1935年)対照』(1943)(非売品)
(3) 日本国憲法の改正条項は、GHQから、次のような条文として提案された。
Article LXXXIX Amendments to this Constitution shall be initiated
by the Diet, through a concurring vote of two-thirds of all
its members, and shall thereupon be submitted to the people
for ratification, which shall require the affirmative vote
of a majority of all votes cast thereon at such election as
the Diet shall specify.
Amendments when so ratified shall immediately be proclaimed
by the Emperor, in the name of the People, as an integral
part of this Constitution.
それは、日米間の折衝及びその後の日本側の審議を経て、次のように定まった。(ゴチックは変更点)
Article LXXXIX Amendments to this Constitution shall be initiated
by the Diet, through a concurring vote of two-thirds or
more of all the members of
each House, and shall thereupon be submitted to the
people for ratification, which shall require the affirmative
vote of a majority of all votes cast thereon, at a
special referendum or at such election
as the Diet shall specify.
Amendments when so ratified shall immediately be proclaimed
by the Emperor, in the name of the people,
as an integral part of this Constitution.
第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
第96条第2項 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。
なお、ちなみに、当時日本国憲法の制定に用いられたのは、大日本帝国憲法の改正手続きを活用するという方法であった。もともとこの憲法は、主権者である天皇が下す欽定憲法であり、憲法改正は天皇の絶対的な権限である。ただ、その手続きの一環として、天皇が、憲法第73条において、「勅命ヲ以テ議案ヲ帝國議會ノ議ニ付シ」、「兩議院ハ各々其ノ總員三分ノニ以上出席」で「議事ヲ開」き、「出席議員三分ノ二以上ノ多數」の賛成で「改正ノ議決ヲ爲ス」ことと定めたので、議会の協賛の権限が生じたことになる。実際には、大日本帝国憲法の条項の改正が行われたことはなく、日本国憲法の制定が、最初にして最後の改正手続きであったのだが、帝国議会での審議、議決は、衆議院で可決、貴族院で衆議院提案を修正して可決、衆議院に戻って貴族院案をそのまま可決という手順で行われた。
(4)フィリピン憲法が as part of this Constitution としているのを、日本国憲法は、as
the integral part of this Constitution としている。the integralを加えたのはGHQの原案作成者の知恵であり、GHQ内部での検討の段階からこうなっている。
(5)このフィリピン憲法を知ってみると、なるほどと思われることがいくつかある。
@日本国憲法のGHQ案は一院制であったから、議会における一回の投票(a vote)で、総議員の三分の二の賛成投票(a
concurring vote of two-thirds of all its members)を必要とするという規定ですっきりしていた。それを途中で二院制に変えたのにともない、衆参両院が、各々独立して審議して議決するということにした。
ただし、英文の日本国憲法を見ると、二院制になったにもかかわらず、憲法改正の発議は、一回の投票(through a
vote of)で、衆参両院の総議員の三分の二以上の賛成投票(a concurring vote of two-thirds
or more of all the members of each House)で行うこととなっている。フィリピン憲法第15条が、二院制の議会であるにもかかわらず、一回の投票(by
a vote of)としているのと同じ表現である。
フィリピン憲法の場合は、上下両院の合同会議(joint session)が予定されており、その場における投票という意味で一回の投票(a
vote)なのである。日本国憲法の場合は、英文を素直に読めば、衆参両院合同会議における一回の投票(a vote of)における両院の総議員の三分の二以上の賛成ということになるが、日本文ではそのようには理解されていない。衆参両院合同会議という制度はない。
このために、憲法改正案を国会に提案する権限はどこにあるのか、衆参両院のどちらに先議権があるのか、衆参両院の議決が食い違った場合にはどちらの議決が優先されるのか、それとも両院協議会が開催されて調整されるのか、国民投票についての「国会の発議」は誰の名前でするのか、「日本国国会」という発議の法的な主体があるのか。あるとしたら、それを代表するのは誰か、など、手続き上の奇妙な問題が起きる。
なお、こうした混乱した手続きであるために、実際的にも、改正が困難な憲法になっている。すでに、国会が憲法問題を調査する段階でも、衆参両院で別個に、同時並行的に、類似の調査を行うという非能率な事態になっている。
A日本国憲法の国会が「発議」して国民に「提案」するという重複表現も、フィリピン憲法の真似のしそこないだと考えればよく分かる。フィリピン憲法では、議会は改憲案について国民に「提案」(propose)する機関であり、「批准」(ratification)のために「提出」(submit)しているのである。「提案」を「提出」するというのはすなおな表現で、「発議」を「提案」するという日本国憲法96条の二重表現の響きはない。
B憲法改正の国民投票が、重量級の「決定」ではなく、軽量級の「承認」という用語法である理由も分かる。もともと、「批准」は内容的な「決定」ではなく、決定権者による決定の「承認」である。日本国憲法の場合は、こういう趣旨で「承認」という言葉が使われたのに加えて、承認を「経なければならない」、承認を「経たときは」と、国民投票が憲法改正手続きの一通過点にすぎないという言葉を用いているので、その軽さが際立っている。
(6)「この憲法と一体を成すものとして」という表現については、憲法制定議会で二度問題になっている。
一度目は、1946年9月25日の貴族院の委員会での質疑で、委員であった佐々木惣一貴族院議員(京都帝国大学法学部教授)は、大日本帝国憲法では「此ノ憲法ノ条項ヲ改正スル」となっているので、「条項」(条文)の改正、つまり部分改正になるが、日本国憲法の場合は「この憲法の改正は」であるから、増補型の改正を認める余地が生まれており、「この憲法と一体を成すものとして」という表現は、むしろこの増補型改正を本則とするのではないか、と質問している。金森徳次郎憲法問題担当大臣は、日本国憲法の場合は、その辺がはっきり書いていないが、増補のような形をとっても改正になるのであって、「一体を成す」という言葉は、むしろそういう増補型改正のほうが「割合に明確に現れてくる」と応えている。
二度目は、同日の委員会での、澤田牛麿貴族院議員の質疑である。澤田議員は、「一体を成す」のは当たり前で、なぜこういう表現をするのか趣旨を説明せよと求めている。金森大臣は、当たり前のことを書いたといえばそうだが、と説明に冴えがない。
(7)成立した日本国憲法について、憲法学説は、改正の方式には(a)全面改正、(b)部分改正、(c)増補の三つがあり、「これらのどの方式によることも自由である」が、これらの区別は体裁の区別であるにとどまり、実質の区別ではないのであって、「それらを区別することは、そう重要ではない」(宮沢俊義・芦部信喜『全訂 コンメンタール日本国憲法』(日本評論社、1978年)としていた。
また、佐藤功教授は、増補型改憲の説明の中で、「わが国においては、従来、法令の部分的な改正は(2)の一部改正の方式によって行われているので、憲法の改正の方式としても、この増補の方式は恐らく取られることはないであろう」(佐藤功『ポケット注釈全書 憲法(下)〔新版〕』有斐閣、1984年)と指摘して、増補型改憲を軽視する姿勢を見せた。
その後の学説では、「『増補』を『全部改正』・『部分改正』と並列的に並べ得るような、独自の『改正の方式(形態)』というべきかどうかの疑問がある」(樋口陽一他『注釈日本国憲法』青林書院、1988年)と存在理由を否定したり、あるいは端的に増補型改憲を無視して、日本国憲法の改正方式は全文改正と部分改正の二つであると説明したりしている。アメンドメンツという複数形の言葉が使われた意味も説明されたことはない。フィリピン憲法第15条の規定についても、無視されている。
2 増補型改憲論の提案
(1)私は、1990年代に、こういう憲法学の認識は誤りであり、増補型改憲には独自の意義があると判断するようになった。私が代表に就任した平和フォーラムには、旧社会党時代からの絶対護憲論のメンバーがおり、他方、民主党系のメンバーは、論憲から創憲へと進んでいたし、民主党には改憲を主張するグループもある。この両者を一つにまとめて運動にする論理に苦慮する中で、こうした増補型改憲というものは、何か理想を追っただけのものではなくて、むしろ、実際の政治状況において民主主義的にことを運ぼうとするならば、この形しかないという、アメリカやイギリスの立憲主義の苦心の産物であったことに気付かされた。
立憲主義の先進国は、むしろ増補型改憲が本則なのである。イギリスでは、1215年のマグナカルタが後の増補型の規定ですべてとってかわられたのも20世紀に入ってからであり、1689年の権利章典(Bill
of Rights)は、王位継承権に関する部分は1701年に別の王位継承法の増補で失効したものの、権利保障に関する部分が裁判規範として最終的に失効したのは、1930年代であった。また、フランスにおいても、特に人権保障については、1789年の人権宣言がそのまま残されて活かされていることも、大きな論拠となった。
(2)私は、増補型改憲には、次のような趣旨がみてとれると思う。
@ 増補型改憲は、憲法の安定的な発展をもたらす。立憲主義の先進国では、多元的な利害を民主主義的に調整すれば、結局は、増補型の憲法改正に落ち着かざるを得ない。また、極端な国家改造を夢見る改憲論者や、憲法典を一言一句も改正させないとする護憲論者の主張については、時間をかけて実際に改憲を論じる中で説得し、増補型の改憲しか現実にはありえないことを理解させることができる。最近の自民党や社民党の議論ではこうした傾向が強まっていると思える。
A 増補型改憲は、広い合意のできた部分から改正することになるから、憲法典の漸進的な改正、改良に適している。また、条文の削除という、後ろ向きで、しかもそれを支持している市民グループの頑強な抵抗を引き起こす作業をしなくて済むことも大きい。
B アメリカでは、憲法の文章は歴史の産物であり、それを削除することは、自分たちの先祖が作ってきた歴史を削除することに他ならない、という認識がある。なるほどと思う。
C 増補型改憲では、増補された条文と、従来の条文の優劣関係が多少ファジーになる。しかしこれはデメリットではなく、将来、具体的な事件の解決に関連して裁判所や議会、あるいはNGO
などでゆっくりと議論され、落ち着いた雰囲気の中で決定されるであろうという意味では、むしろメリットと考えるべきものであり、瞬間的にすべてを見通して判断しなければならない部分改正よりも、合理的な判断に近づきやすい。
(3)私の増補型改憲論については、護憲派の憲法学からは批判されている。最近、『日本の憲法 国民主権の論点』に執筆した奥平康弘教授は、「『加憲』論は憲法改正の雰囲気作りに貢献するところ大きい」ので、「ぼくは、九条ターゲットをうやむやにし、憲法の発展力・想像力を殺してしまう効果を蔵する『加憲』論をまずつぶしてしまいたかった」とまで言っている。そして、こういう護憲派憲法学者に教えられている護憲派の人々からも、陰に、陽に批判を受けている。だが、増補型改憲という考え方は、日本国憲法の改正方式としてはむしろ本則なのである。かたくなな護憲派であっても、天に唾するように言うこともないだろうに、と思う。
(4)これと対照的に、増補型改憲の考え方は、日本国憲法の基本的な原理を活かした穏やかな憲法改正を目指す民主党の中の人びとや、論憲に踏み切って着地点を探している労働運動などにおいては、理解されていると思う。自民党の一部の人や、共産党系の一部の人もここに含まれる。
だが、それ以上に大きいのが、公明党が加憲論に立ったことである。私は、公明党の加憲論が憲法改正のまっとうな雰囲気作りに貢献するところ大きいと思っている。今の憲法の原理、原則をなるべく活かしながら、必要になった修正を、民主主義的な合意形成のなかで推し進めて行く。この正しい方向性への理解が増して、徐々に日本の憲法改正の基調になりつつあることにも、公明党の提唱する加憲論の揺るぎのなさが大きく影響している。その意味で私は、改憲論議を安定させてきたし、今後も安定させていくであろう、加憲論に敬意を表したい。
3 増補型改憲論の基本認識
(1)憲法はどのような法律であるのか。それは実にさまざまである。日本国憲法の場合も、いくつかの基本的な性格がある。
日本国憲法の制定時にも、そもそも第二次大戦を「国体護持」のために降伏して終結させた政府なのであるから、その延長線上で、日本国憲法は「君民共治」の憲法であると主張して、天皇の地位に関しては、「主権の存する日本国民の総意」ではなく、「国民至高の総意」によるものと説明していた。これを押し切って、国民主権という言葉を第一条などに入れさせたのは、議会内での批判、世論の盛り上がり、そしてGHQの露骨な介入によるものである。
(2)憲法の制定当時には、憲法典の条文作り、条文の解釈、憲法関連諸法の条文作りに関して、議会と内閣を舞台にして次の三つの綱引きが行われ、少し遅れて、裁判所という舞台もこれに加わった。
第一の綱引きは、保守対革新であった。超革新的な憲法に対する保守派の巻き返しは激しかったが、興味深いのは、当時は占領下であったので、憲法関連諸法についても、法案ごとにGHQの事前審査を受け、個別にOKを得て初めて国会への法案提出が行われたことである。この作業でGHQが革新を求めていたので、その後押しによって、やっと、革新に有利に動いた。また、日本国憲法の施行が始まった時期に、一応は革新派であった片山内閣、芦田内閣であったことも強く影響した。
(3)第二の綱引きは、中央集権対地方分権であった。これは本来、分権になるべきところ、内務省官僚の必死の抵抗により、中央集権的な構造が残された。地方自治法の制定にあたって、内務官僚はGHQに日参し、「機関委任事務」というまか不思議な概念を含めた集権的な法案を、手品のように承認させた。GHQのOKが出た日に、総司令部の建物の階段を下りながら、官僚たちが、「これで日本の地方制度は守られた」と万歳を唱えた。有名なエピソードである。
(4)第三の綱引きは、官僚対市民であった。日本国憲法には、いろいろな点で、日本側の意向が反映している。生存権規定のように、純日本製のものもある。したがって、これは、単純なアメリカの押し付けによる憲法ではなく、日米合作の憲法ということができる。しかし、当時の状況下では、日本側とは、戦争によっても破壊されなかった日本政府の官僚群を意味していた。日本国憲法は、アメリカ占領軍と日本の官僚の合作憲法である。
日本の官僚が、日本の憲法を自分たちに都合のよいものにするために行使してきた手法は多様である。
まず、アメリカ側から提示された憲法草案の翻訳をしたのは官僚であり、官に都合のいいように、さまざまな作為が含まれ、改訳、誤訳、曲訳がなされた。その後のアメリカ側との折衝で、市民には知らされないままに、何箇所か、官に都合のよい修正がなされた。
次に、憲法制定議会の当時から、法制局官僚による憲法の解釈、特に議会答弁が行われ、官に都合のよい憲法解釈が公表され、定着した。
また、憲法の制定に伴う関連付属法の制定、改正に際しても、条文の中に、官に都合のよい規定を滑り込ませた。国会法、内閣法、国家行政組織法、国家公務員法、裁判所法、地方自治法、財政法、その他多数の法律の中に、こうした作業の痕跡を見出すことができる。
さらに、官僚は、東京大学法学部などの大学教授、憲法学者を動員して、官に都合のよい憲法解釈、その背景をなす憲法理論を補強させた。市民向けの憲法の啓発事業で講演の講師を勤めた者には、東大法学部及びその系統の学者が多かった。各大学の憲法学の解釈テキストを通読すると、そこには、官僚支配に対する民の側からの危機意識が欠落していることが分かる。こうした親官僚派の憲法解釈は、司法試験、公務員試験の試験対策として、年々、約20万人の若者の頭の中に浸透していった。
もうひとつ重要なのは、裁判所の憲法解釈、憲法判例の活用である。
これらのテクニックを駆使して、官は自分たちに都合のいい日本国憲法を形作り、また、執行してきた。
(5)こうした綱引きは、憲法制定直後は、保守、中央集権、官僚主導に傾いていたが、1970年代には、これを批判する市民の声、地方の声が上った。その後、約三十年の経験を経て、日本国憲法には、新しい魂が宿ったと思う。市民主導、地方主導での新しい憲法内容の増補こそが、国民主権を標榜する日本国憲法の下で実際に生じた、主権者市民の意思の発動であったし、実質的な増補型改憲であった。この三十年間に、平和の運動も、人権の運動も、地域の自治の運動も、いずれも、日本国憲法の条文を否定することなく、実質的に、その内容を組み替え、増補してきた。こういう経緯を前提にするとき、現在の日本で実際に可能で適切な憲法の改正は、これまでに獲得されてきた日本社会の新しい基本的なルールを憲法典の中に定着させて強固なものにする、確認型、増補型の改正でしかないことが分かるであろう。
4 増補型改憲の原則
増補型の改憲は、闇雲に何でも加えればよいというものではない。そこにはおのずと、増補させる条文の課題、手法、順序がある。増補型改憲論では、この全体的な見通しをきちんと示す必要がある。
(1) すでに述べたように、増補条文は、政治の場で市民を中心に主張され、有効性が確認されてきたルールを憲法典中に取り込む作業ということになる。私は、1970年代からの市民運動が唱えてきたことを主柱にしたい。@市民主導と地域主導、Aアジアの平和、B実効性ある人権保障が、増補の主たるポイントになる。
(2) 改憲の手法は部分修正であり、繰り返し何度でも改憲を試みることになる。合意形
成が不十分なものはあせらず、急がず、である。憲法第9条の改正は特に後回しになるべきものであろう。
(3) 発案者の多元性も増補型改憲の特徴である。分権について、平和について、人権について、発言し、提言すべき者は、誰よりも、市民運動の当事者である。ここが沈黙していると、改憲論者が環境権などの新しい人権を主張し、護憲論者がこういう新型の改憲論者を、かつて新しい人権に敵対した連中であるのに、と非難する不毛な議論になる。そうした主張をする護憲論者の中に、実際には、市民運動とはかかわりがなく、その後になって、市民の運動が作ってきた成果を適当に取り入れてきた人びとがまぎれこんでいることが、事態を、当事者不在の環境権劇、情報公開劇、プライバシー劇という具合に喜劇的にしている。
たとえば、1980年代に、私は、外国人登録法の指紋押捺強制が人権侵害であるとする指紋押捺反対の闘いに加わっていた。各地で裁判が起き、その権利権侵害性を主張、立証する必要があった。各地の弁護士や当事者から、どの学者に鑑定証人になってもらうべきなのか相談を受け、何人かを推薦した。だが、多くの憲法学者が、理由はあれこれ違ったが、証人になることを拒んだ。当時、困難な闘いを熱心に支援して証言してくれた中に、奥平康弘教授や横田耕一教授がいる。だから私は、両教授の人権に関する主張にはいつも敬意を払って聞いてきた。
その後、地方参政権の裁判でも、多くの学者に協力を仰いだ。それは困難であるとして拒否する学者が増えた。なかには、「江橋教授は国民主権がまるで分かっていない、外国人地方参政権は国民主権原理に反して憲法違反なのだ」と、違憲論を唱えて冷笑する学者もいた。だから、その後、指紋押捺強制は人権侵害になる危険性があるといういくつもの判例が出て、あるいは、在日の地方参政権は許容されうるという最高裁判例が出て、同じ憲法学者がいつの間にか熱心に外国人の人権を説いているとき、複雑な感慨に襲われるのである。
私は、市民運動を推し進めてきた人びとに、自分たちの運動の中から見えてきた平和や人権の価値について、もっと発言してもらいたいと考えている。憲法に関する発言は、けっして、隅から隅までの全面的な意見の展開である必要はない。むしろ、市民の生活、市民の運動から見えてきた点を中心に、一点でいいから語ってもらいたい。憲法のここを維持して欲しい。ここを変えてほしい。あるいは、憲法のここを増補してほしい。当事者市民の発言こそが、日本の市民社会で生まれ育った立憲主義の中身なのだと思っている。増補型改憲は、多くの市民が、市民のポジションから発言する、多元的な憲法の議論を呼び起こす方式でもあると思う。
5 増補型改憲と国民投票のあり方
最近にわかに盛り上がってきた国民投票法の議論について、私は、増補型改憲論の立場からいろいろと言いたいことがある。別稿を用意したいので、ここでは扱わない。
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