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ディスカッション「私たちの考える憲法素案」

 愛知和男(自民党憲法調査会 常任顧問) 

当日配布資料(PDF)平成憲法【愛知私案】(第四次改訂)

 私は、24年ほど、国会議員を務め、その間、ほとんど「与党」におりました。その間、政治活動を行うにあたって感じたことがベースとなっています。

 要旨冒頭に、「私は憲法書き直し論者」だと書きました。今、憲法の軸を「ここを変えたほうが良い」と細かな議論をしていても始まらないほど、世の中(世界との関係おける日本の立場)が変わってしまいました。そうした中で、日本の国あり方、国民は何を目指すべきかを考える際には、「今の憲法のどこをいじるか」を考えるのではとても追いつかない。全く新しく「憲法を書き直す」という気持ちで取り組むということが大事ではないかという意味です。誤解のないように言うと、「今の憲法を全部否定する」ということではありません。現在の憲法の良いところ、大きな役割を果たしてきたことは、当然ありますので、それはそれで認めながら、新しい憲法を考えてみてはどうかということを発想の原点としています。

 次に、「国家の基本理念」が必要ではないか、あった方が良いのではないかと思います。ここに、アメリカの例を出していますが、アメリカという国は、「自由を求めて」ヨーロッパからわたってきた人々が作った国ですから、国民にとって「自由」は、非常に重要なものです。アメリカの「国家理念」は何かと問われれば、直ちに「自由」と答える。様々な機会で、大統領をはじめアメリカの人々が「自由」を語るのは、その生い立ちからして当然なわけです。これに相当するものが、日本にもあった方が良いのではないでしょうか。しかし、何か「一言」で、日本という国家の理念を挙げるのは、国の歴史が長いこともあり、非常に難しい。そういったことを発想の前提として、様々な言い方で「前文」に書いています。

 さて、私は長く国会議員を務めながら、「果たして日本は民主主義の国なのか」という疑念を最後まで払拭できませんでした。形は民主主義でありますが、日本の実態は、「官僚支配の国ではないか」ということであります。いろいろ考えた結果、「その一番の大元は、憲法にある」と考えるにいたりました。

 そこで、日本を、本当の意味での「民主主義国家」にするには、どうすれば良いのかということを原点において、いくつか私なりのアイデアを出しています。時間が限られていますので、ここでは、―要旨4)F)―「現憲法では国家予算案の編成権、国会への提案権は内閣にしか認められていないので、議員立法で予算を必要とする法律を成立させても、その法律を執行するための予算は、自動的には確保されない。このことが議員立法が少ない現状の原因のひとつになっている」ということに触れたいと思います。

 今の憲法86条では、「内閣は毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。」と規定されています。つまり、予算を編成し、それを国会に提出する権利を内閣にしか認めていません。よって、国会議員が予算を必要とする法律を成立させても、その法律を執行する予算は「自動的」にはつかない。内閣が、国会に提出する予算案の中に盛り込んでもらわないと、予算はつかない。確かに、国会法の規定により、予算をともなう法案でも、衆議院が50名以上、参議院は20名以上の賛同者があれば、議員立法で「予算をともなう法律を出す」提案権はあります。しかし、法案を成立させたとしても、場合によっては「絵に描いた餅」となる可能性もある。

 予算委員会で、内閣が提出した予算案を、「修正」して議決できるかというと、それはできません。「修正する」ということは「提案する」ということになる。こういう事態があるが故に、国会議員は、何かと役所に陳情しに行くことになるわけです。国会議員は、官僚に「頭を下げて、是非予算をつけてくれ」と頼まなければならない。この現実をそのままにしておくと、いつまでたっても官僚支配からは抜け出せない。議員がいくら頑張っても、制度的にダメなわけです。これを突破しなければならない。アメリカの場合には、予算の編成権・提案権は、すべて議会が持っている。アメリカの国会議員は、日本とは違い、大きな力を持っている。日本の国会議員はよく批判されるが、制度が全く違うので、議員は「なんともしようがない」ところがあるわけです。

 アメリカのように、「予算の提案権から編成権までを国会が」といっても難しいかもれません。しかし、少なくとも議員立法で予算をともなう法律を通したら、それに必要な予算は、補正予算・次年度の予算になるかもしれませんが、「予算の中に盛り込まなければならない」ということを、憲法に明記すべきというのが、私の提案です。

 こういうと、「国会議員は選挙での票が欲しいから、予算が必要な法律ばかり提案して、財政がパンクする」という批判が多くの人からあります。現実として、そういうことは「いえる」とは思いますが、だから「官僚にやらせる」というのは、本末転倒な話であります。まずは、国会議員にやらせてみて、それに対して国会議員がどのような行動をとるのか、「歳出をただただ膨らませるような法律ばかりを作る国会議員」であるならば、どんどん選挙で落とせば良い。そういう中で、本当の民主主義というものが、醸成されるのではないかと思っています。細かいことのようでありますが、大変大事なことではないかということで提案させていただきます。

 日本は、まだまだ「お上意識」から抜け出せていないところがあります。今回のイラクでの人質事件に関しても「自己責任」が言われていますが、結局最後には「お上」意識が残っていて、「自己責任」で出かけても、そこで何か起これば「政府が救い出すことはあたりまえではないか」という議論があります。再びアメリカの例を出して恐縮ですが、アメリカの市民がどこかに出かけていって、災難に会った場合、アメリカの政府が乗り出していって、彼らを救うかといえば、それはしません。アメリカは、政府の命令で出かけた者が災難にあえば、アメリカ政府は助けます。しかし、一般の民間人が出かけていって災難にあっても、政府は絶対に手を出さない。今回の日本のように、政府が対策本部を作るということは、アメリカではありえない話です。しかし、極端な例ではありますが、これが本当の民主主義かもしれないと感じています。今回の「自己責任」の話も、日本が本当の民主主義の国となる上で、自ずと解決できる問題ではないかと思っています。

 最後に、先ほどから憲法9条や戦争、平和の話が出てきました。「9条がなくなったら、歯止めが利かなくなる」という議論がありますが、現実的には、「9条があってもどんどん先へ進んでいっている」という事実があります。私は、戦争・平和に関しての、最終的な歯止めは民主主義というものにあると思っています。民主主義が機能していれば、国家がとんでもない方向へ進んでいってしまうということは、100%ではないかもしれませんが、かなりの部分で防げる。そういう意味で、民主主義の大切さを思い直し、それを実現するためにはどうすれば良いかと考える上でも、憲法問題を考えざるを得ないと思っております。


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