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自由討議
自由討議
安藤博(東海大学平和戦略研究所 教授)
ありがとうございました。江橋さんから的確な質問が出されましたので、順番にお願いいたします。
愛知和男(自民党 憲法調査会 常任顧問)
天皇と国民主権のどちらが先かという話は、昨日の自民党の憲法調査会でも議論に出ました。そこでも二つにわかれてかなりはげしいやり取りがあって結論を出す場ではなかったということもあって、結論はでませんでした。
私は、わざわざ今の憲法の第1章にある天皇の順番を変えるというのは、天皇制を軽視するということになってしまうと思います。日本にとっての天皇制は、非常に重要であり、特徴です。戦後、とにかく混乱もなく今日までやってこられたという不思議な出来事には、天皇制の役割が非常に大きかった。これからも、天皇、天皇制は、国にとって大事だと考えますので、順番を変えることが、この大事さを軽視するというメッセージになってはいけないと思い、私案の順番としました。
とはいえ、国民主権は天皇制より軽いというわけではありません。私案の前文にもそういう趣旨は書いたつもりだし、統治権という条項も設けて国民主権を明記しています。
また、この点については、党内でもかなり激しい意見の相違・対立があることはご報告しておきます。
安藤博(東海大学平和戦略研究所 教授)
山本さんは、読売憲法試案の第1章を天皇ではなく国民主権にしたことについて、どうお考えでしょうか。
山本大二郎(読売新聞 憲法問題研究会キャップ)
わが社も象徴天皇制というものは大切だと思っていますし、大切にすべき国の基本的価値だと思います。
しかし、今の憲法の問題点は、第一条で天皇のことが書いてあって、天皇は象徴であって、この地位は主権の存する国民の総意に基づくとなっていますが、本文では、国民に主権があるというのはここにしか出てこない。しかも、前文を受けた形になっているのはおかしいのではないかと。
現行憲法には国民主権という章はありませんが、国民主権は一番大事なものですから、第一章に、独立させて国民主権をもってくるのは自然だと思います。
高坂節三(経済同友会 憲法問題懇談会 委員長)
非常に難しい問題ですが、イラクの問題をどう捉えるかに関わってきます。基本的に、日本で議論しているのは戦争に大義があったかどうかです。それが大事ではないとはいいませんが、イラクの人々からみて、あの進攻がよかったかといえば、少なくとも現時点での調査ではよかったという声が大きい。フセイン政権がやってきたことに対しては、ほとんどの人が不満に思っていた。ただアメリカの占領統治は嫌だという人が多いのも事実です。何度かにわたる国連決議や安保理での否決といった色々な経緯もあって、イラク戦争はやむを得なかったと思います。
私は、 91年の湾岸戦争の時にアメリカにおりまして、あの結末に多くのアメリカ人が不満をもっていたことを覚えています。今回のイラク戦争の中で、一番問題だったのは戦後のプランの作り方だったと思います。アメリカは、第二次大戦後のドイツや日本の占領では綿密な計画をたてていましたが、今回は、アフガニスタンでうまくいったこと、あるいはネオコンが力をもっていたということもあって、ブッシュ政権はイラクにおける戦後の計画をきわめて安易に考えていた。フセインさえ倒せば、みんな自分たちについてくるぐらいに思っていた。開戦前、エリック・シンセキという日系人の陸軍参謀総長が、戦後のイラクの安定化には30〜50万人の兵力が不可欠と上申して、ラムズフェルド国防長官から批判され、退役しました。戦後の占領統治への自信過剰が、裏目にでて、あせりがでてきた最中、国民が殺されて遺体をさらされたという事件があって、感情的な流れとして、アメリカの立場とすれば、ファルージャへの攻撃をせざるをえなかったのだと思います。このように、ある程度勢いがついてしまった結果、やられたらやり返すという暴力の連鎖がファルージャでは起きているのだと思います。
イラクにおける人質問題は人権違反でいけないことです。ただ日本は、さまざまな国の人が人質に取られた中で、日本人の人質の問題しか報道しない。これは、かねてから、海外で事故が起こったら日本人の安否しか報道しないという日本の習性のように、日本の島国根性でしか物事を考えていないということです。ここからも日本が世界からモノを買って生きているという認識の欠如がみてとれます。日本政府は、これは大変だと内閣に対策本部を設けましたが、他の国の人については、対策本部は何もしません。自国民が助かれば、よかったよかったとそこでピリオドを打ってしまう。こうした国のあり方を世界から見れば、日本はエゴイスティックな国と映るのでしょう。これは私たちの意識を変えていかなければならない問題だと思います。
鈴木寛(民主党 憲法調査会事務局次長)
ご質問に答える前に、まずイラクの問題で、高坂さんが先ほど国民はイラクへの自衛隊派遣を暗黙に支持したと言われました。確かに自民党は選挙に勝ったかもしれない。しかしながら、得票率でみれば、2000年6月から与野党は逆転しています。なぜ政権がとれないかというと、野党の候補者調整がうまくできない、選挙が下手だということはみとめます。政権をとれていないことについての負け惜しみを言うつもりはありませんが、国民の意思が、与党を勝たしているところをもって、国民が合意しているというのは少し違うのではないかと思います。つまり、一票の格差をはじめ、民主主義のプラットフォーム、インフラである民意がきちんと反映される仕組みをしっかり点検すべきではないかと思います。
参議院の憲法調査会が平和と9条の話について、この3月〜5月に参考人を招致し、自由由討議を行いました。私は、冒頭で、9条の議論も大切だが、内閣法制局が憲法解釈を一貫しておこなってきたことを直さない限り、憲法を進化させても、問題解決にはならないことを声高に主張しました。そして、参議院憲法調査会ですでに論点としてあげられていない問題を、アジェンダとして議論していこうと、少なくとも私と松井さんは頑張っているつもりです。ところが、どうしても既存の論点の中に埋没させられてしまう。私が今日みなさんとコラボレートしたいのは、まさにそこで、従来の論点以外に隠された論点がたくさんあります。そうした問題意識を喚起するために頑張っていきたいと思います。
それから、江橋さんの話の中で、まさに私が申し上げたかったことが、公務員試験、司法試験を通じた法曹・官僚志望者への刷り込みです。私の大学時代は、奥平先生とか小林直樹先生がまだいらっしゃって、その本を読みつつも、公務員試験の時は田中二郎説を書く(笑)。多少なりともリベラリズムを身につけた私の世代が、これから法制局の参事官になりますから、2、3年は法制局も改善すると思います。ところが、88年卒以降は、リベラルな先生が退官しているので、公務員試験も田中二郎を学び、授業も江橋さんのおっしゃる刷り込み教育を受けてそれがあたり前だと正しいと思っている。さらに、行政官は仕方ないとしても、裁判官の中に、そうした人が増えているということをより危ないと感じています。典型的な受験憲法対策だけがんばった人が合格して任官しているわけですが、最近の地裁の憲法解釈の判決文を見ると、きわめてパターン当てはめ的なものが多くなっていることを危惧します。
確かに民主的統制というのは難しい。というのは、議員内閣制の中では、国会の議論はどうしても限界があります。選挙のときはマニフェストで憲法解釈変更を争点に戦うというのも、民主的統制の一つのアイディアだと思います。では、選挙の争点にできなかったときに、議員内閣制の中で、与党が憲法解釈を変更できるのかどうか。これは、与党のディシプリンの問題でもあります。一方でご存知のように、日本の裁判所は憲法判断で事件性処分性を要求して誰も扱わないという構造があるので、ここは早急になんとかしないといけません。そのためには、ぜひ江橋さんにも側面支援をお願いしたいと思います。
安藤博(東海大学平和戦略研究所 教授)
ありがとうございます。高坂さん、補足をどうぞ。
高坂節三(経済同友会 憲法問題懇談会 委員長)
私は民主党にがんばって欲しいと思っていますが、戦術でもいいから政権交代の可能性を早くつくってほしい。同友会でも一票の格差の問題を真剣に考えており、訴訟を起こそうかとも相談をしています。しかし、一票の格差は是正すべき、内閣法制局はけしからんと、どれだけ同友会がいっても国会は動きません。われわれとしては、国会議員が積極的に動くことを切に希望します。
安藤博(東海大学平和戦略研究所 教授)
ありがとうございます。それでは、山本さんお願いいたします。
山本大二郎(読売新聞 憲法問題研究会 キャップ)
言論の自由の憲法構造といわれても難しくてよくわかりませんが、権利を獲得していった西洋の歴史の中心になったのが言論の自由の獲得です。200年、300年かけて出版の自由の権利を中心に獲得していったのが、権利獲得の歴史です。
今、表現の自由の中核として、言論・報道の自由があると思います。国が、メディアなり言論の自由を守らないといけないというのが前提です。ところが、最近では、新聞批判、テレビ批判にみられるように、民間の人が、メディアや言論の自由、メディアの横暴を批判をするという特徴があります。つまり、憲法上、国と民間の関係だったものが、民間対民間という構図になっているわけです。
江橋崇(平和フォーラム 代表)
ちなみに、週刊文春対田中真紀子をどうご覧になっていますか?言論の自由対国家の段階では、言論の自由を守れ、でよかったのが、プライバシー対言論の自由になった場合、どうお考えでしょうか。
山本大二郎(読売新聞 憲法問題研究会 キャップ)
文春の問題で言えば、あまり社会的意味のない記事で、重要な憲法判断を引き起こしたなという思いがあります。
文春問題を離れて、一般論として言えば、やはり、出版の自由の権利獲得から言論の自由にいたる長い歴史があるわけです。その間に弾圧もあって、簡単に獲得できたものではないので、それは非常に大切にしたい。確かに当事者にメディアの取材が殺到して二次被害を与えるメディアスクラムのようなメディアが引き起こす問題もありますが、新聞もテレビも自主規制をしているので、そうした点は徐々に改善されていくと思います。
表現の自由は、メディアの権利にとどまらず、民主主義社会を形成する上で不可欠の権利ですから、権利の中でも優位性があると考えられています。それだけ大切なものだから、何か現象だけをとらえて権力が法律で規制するというのではなくて、迷惑を受けている人がいるかもしれないが、言論・報道の自由は、新聞なりテレビなりが自主規制で対応して守っていかないと将来に禍根を残すことになると思います。
安藤博(東海大学平和戦略研究所 教授)
ありがとうございます。それでは、会場から質問があります。
廣瀬克哉(法政大学法学部 教授)
こういうフォーラムでテーブルを囲んで議論することの意味、そして議題の設定の仕方の意味について、根本的に腑に落ちない部分があります。これまで努力を重ねてこられたみなさんからの切々たる思いの伝わってくる訴えを前にして、こういう言い方をするのは非常に失礼だと思いますが、あえていわせていただければ、憲法論議は、関係者以外、誰からも見向きもされていないという厳然たる事実があると思います。
最近少しずつ関心が高まりつつあると主張されるかも知れませんが、憲法調査会が国会に設置され、継続的に審議をしていることが、どれほど注目を集めているのでしょうか。そこでの審議をめぐってデモ行進がおこるということも考えにくい。このほとんどの人が憲法論議に関心をもっていないという問題をどう受け止めておられるのか、特に憲法全体というスコープで改正の提案をされている江橋さん以外の4名の皆さんにおうかがいしたい。
さらに、憲法全体のスコープで論議することの必然性がどこにあると捉えてらっしゃるのでしょうか。それぞれの方のお話にあった財政権に関する内閣と国会の権限のあり方、平和保障、安全保障の将来のあり方についてどう考えるかは、非常に重要な問題だと思います。ですから、個々の問題として提起されるのであれば、その解決のために最適な改革の方法を具体的に論議できるし、関心を持つ人ももっと出てくるだろうと思います。ところが、憲法全体として、全ての条文構成にわたって総合的に提起される必然性が、まだ私には納得ができません。だから、かえって関心が盛り上がらないのではないかとも思います。それについてどうお考えかをうかがいたいと思います。
安藤博(東海大学平和戦略研究所 教授)
それでは、愛知さんからお願いします。
愛知和男(自民党 憲法調査会 常任顧問)
おっしゃるように、一般の国民の間に憲法改正についての認識が高まっているかというと、非常に低いと思います。憲法というのは、憲法に字句をどう書くかではなくて、基本的には国のあり方の問題で、その中で国民がどう生きていくのかという問題です。
だから、国民的な議論が巻き起こる必要があります。中身についての議論もさることながら、国民運動的にどう展開していくかが、非常に大きな課題だと認識しております。私はもう議員ではありませんが、何らかの形でそういう運動を起こしていきたい。
従来、日本は先進諸国に追いつくという目標がありました。その中で、日本の国民は生きてきたし、それぞれの立場で役割を果たしてきた。それが追いついて、どうしていいかわからずに右往左往しているのが、今の姿ではないでしょうか。役人には特にそういうところがあります。ですから、そうした将来をどうしていくのかというコンセンサスをつくりだすための材料として憲法がいいのではないかという意味でありまして、議論がなければ何の意味もないと強く思っています。
ついでに、鈴木さんに一言。法制局の問題は、ずばり総理大臣の問題だと思います。内閣法制局は内閣ですから、総理大臣が変えるといえばいい。だから次の選挙で、民主党が政権をとったら、法制局を自分のいうとおりにすると言えばいいだけだと思います。
高坂節三(経済同友会 憲法問題懇談会 委員長)
私も、今の内閣法制局の問題関しては、まったく同じ意見です。
さて、憲法についての国民的な議論が盛り上がってこないという問題は、その通りだと思います。しかし、国会に憲法調査会ができた当時と比べれば、憲法について議論しようというムードがかなりでてきているのではないでしょうか。それは、新聞の論調を見てもそう感じますし、小泉総理が自民党結党50周年には憲法試案をだすといい、民主党、今までは及び腰だった公明党も対案を出すといっています。つまり憲法改正の発議権がある国会議員のうち、主力政党3つが憲法改正を考え出しているというのは、やはり動きがある証拠だと思います。
もう一ついえば、結局、人というものは、今、直接影響のないものになるとあまり動かない。しかもお上頼みという日本の伝統が、国民の中にこの問題をあまり真剣にとらえさせていないのかもしれません。日本はある意味、非常に豊かになったので、国民は現状に安心しきっているのではないでしょうか。例えば、徴兵制という問題が争点として出てくれば、きっと議論になるでしょう。一部の人だけが議論しているという現状は、やはり日本人が島国のなかで安穏として、生活できている証拠かもしれません。それが生活できなくなったときは、みんな一生懸命に考えるでしょうし、日本人は案外器用ですから、またパッチワーク的に問題を解決できてしまうかもしれません。ですから、今の平和な生活が損なわれることのないように、多少は世論を喚起すべきだと思っています。
鈴木寛(民主党 憲法調査会 事務局次長)
私は、市民が生きていく上で、税金や政府がどう市民生活につながっているのかを示す市民教育が重要だと思っています。例えば教育基本法の8条に「政治教育」があります。この条項があるために、本来の政治の機能について教育と市民教育すら、こわがってできてこなかったということです。私が提起している憲法改正は、全体ではなく26条だけです。現在では、チャータースクールとかコミュニティスクールを市民がつくろうとすると、究極は、これは公権力の行使だといってだめだとなってしまいます。こうした問題を解決するために、地方教育行政法を直さねばならず、最後には憲法26条にたどり着くという一つのストーリーで、憲法改正の必要性を説明できると思います。こういうことをそれぞれのフィールドで積み重ねていくしかないと思います。
ただ、総体としていえば、昔は憲法改正などまったく議論できなかったことを思えば、ここまで議論ができるようになったということ自体、大きな変化だと感じています。市民生活と憲法、あるいは法律、税金の使い方がどう直結しているのかということについては、もっと噛み砕いて説明をする、議論をするという努力が私たちにはまだまだ欠けています。しかし、各フィールドでの動きを積み重ねていくという王道を歩むしかないと思います。
山本大二郎(読売新聞 憲法問題研究会 キャップ)
新聞社では世論調査をしていますから、憲法改正賛成という数字が高くなってきているし、それだけ見ると非常に関心が高いという風に思うのですが、日ごろ選挙民に接している政治家の話を聞くと、関心はあまり高くない。要するに受身の関心でしかない。世論調査で憲法改正に賛成か反対かを聞かれれば答えるだけで、本当の関心ではないと。関心がないという具体例として、国会の憲法調査会が行う地方公聴会があります。この公聴会での発言者は公募されますが、5人話すうちの3人は護憲派という状況です。世論調査で出る数字と公聴会の議論はまったく違う。このように、憲法についての関心はなかなか受身から脱していないと思います。その辺は変えていく必要があると思いますが、こうした皆さんの取り組みのように、少しずつ変わってきているという気もしています。
憲法をめぐる今の政党の動きは、非常に大事で好ましいと思います。私が一つ印象的に思うのは、政党ごとの意見の対立よりも、政党内の個人の意見の対立が目立つ点です。憲法という基本的な問題がリトマス試験紙になって、同じ政党にいながら意見の対立がこれだけあるということが浮き彫りにされる。これは非常に面白いし、メディアの立場からいえば、意見の対立を恐れずにどんどんやってほしいと思います。それがどういう方向にいくのかはわかりませんが、そうした対立を曖昧なまま糊塗されるのは望ましくないという感じがしています。
それから、憲法全体についてなぜ話すかということですが、もちろん憲法を一度に変えることはできないわけです。これだけは変えなければいけないという点だけを直して、後はそれほど問題がなければ解釈なり、慣行なり運用で対応すればいいという人もいます。
しかし、新聞社の立場としては、論議を起こしたいという気持ちがあります。読売新聞社として、全体像を出しているからといって、すべて一緒に改正できるとは現実問題として思っていません。しかしながら、これまで憲法改正はタブーだったために、何が論点かさえも、国民の間でははっきりしていない。何が論点かをはっきりさせるためにも、すべてを出した方がいいのではないかと思います。
鈴木寛(民主党 憲法調査会 事務局次長)
一つだけ最近の動きの中でけしからんと思っているのが消費税の税込み表示です。やはり税というのは、国民と国のあり方にとって非常に重要です。たとえば、日本の有権者の源泉徴収をやめるだけで、かなり日本は変わると思います。そういう問題が、実はとても重要だということだけ付け加えさせていただきます。
安藤博(東海大学平和戦略研究所 教授)
ありがとうございます。会場から愛知さんに質問です。Yes or Noで簡単にお答えいただきます。「天皇制と本当の民主主義は両立すると考えですか?」
愛知和男(自民党 憲法調査会 常任顧問)
はい。それはもちろん両立すると思いますし、両立させる方法があると思います。
安藤博(東海大学平和戦略研究所 教授)
ありがとうございました。次、杉田さんどうぞ。
杉田敦(法政大学法学部 教授)
憲法論議に関してタブーを設けないことには私も賛成です。しかし、日本の戦後体制においては、憲法と共に、あるいはそれ以上に、日米安保体制が大きな問題であり続けてきました。この問題についても、タブーなく議論すべきだと考えますがいかがでしょうか。
今後の日本の政治のあり方を構想する際に、アメリカとの関係、あるいはアジアとの関係をどうするかは、最も議論しなければならない点でしょう。ところが、「アメリカは強いのでどうしようもない」、といった形で思考停止になっている傾向があります。これはまずいと思うのですが、その点についてどなたかお答えください。
高坂節三(経済同友会 憲法問題懇談会 委員長)
私は、逆に憲法にある程度の自衛力と明記したほうが、アメリカに言うべきことをいえるのではないかと思います。小泉総理が自衛隊を派遣すると言ったときに、私は新聞のインタビューを受けて、小泉総理は早急にブッシュに会って、今までのやり方は悪かったから、今後、フランス、ドイツ、ロシアを巻き込んで、一緒にイラク復興に取り組もうと説得に行けと言いました。つまり、日本はやるべきことをやってから、その上でアメリカに言うべきことは言う必要があると考えています。もちろんアメリカの中には、ソフトパワーを重視する意見もあるわけだから、われわれとしてはそういったものを十分把握しながら、やるべきことをやり、そして日米安保体制を変えていく。
今までは島国根性で自分の国だけよければいいという姿勢で来ましたが、そのままでは意見を言いに行っても相手にされないと思います。
後藤敏彦(環境監査研究会 代表幹事)
愛知さんへの質問です。愛知私案を見ますと、きわめて中央集権的、間接民主制主体のように見えるのですが、地方分権と直接民主制をどうお考えでしょうか。
続けて、高坂さんへの質問です。自らの国益と権益を守る自立した日本をめざしてとあります。先ほど、8億トンの輸入というお話がありましたが、その事実を是とすることが問題で、自立した日本になるためには、こうした状況をやめなくてはいけない。アメリカは昨年10月にペンタゴンレポート(英文)を作成して、2010年以降に急激な北半球寒冷化が発生した場合、少なくともナショナル・セキュリティとして食料の禁輸を明確に打ち出しています。そうなると、アジアで仲良くしていかなくてはいけないのは事実ですが、経済界で考えるべきは8億トンという海外の資源への依存をやめるというシナリオをどう作るかが重要だと思いますが、その点はいかがでしょうか。
愛知和男(自民党 憲法調査会 常任顧問)
私もこれからは地方主権の方向に向かうのは明白だと思います。実は私の試案ではその点が不十分で、今後の課題だと思っていますが、その際に非常に大きな問題だと考えているのが課税権です。今、課税権は、国にしかありません。国にしか課税権のないまま、いくら地方分権といってみても、形だけのものになってしまう。課税権を地方に認めるというのは、これは国の仕組みを大きくかえることになります。連邦制のような話になるかもしれません。そこはまだ整理できていないのですが、中央集権は修正をして、地方が主権をもっていかなければならないと思っています。
ついでに、杉田さんの質問への私のコメントですが、結局は国民の覚悟の問題だと思います。覚悟がどの程度できているかで、言うべきことを言えるかが決まると思います。
高坂節三(経済同友会 憲法問題懇談会 委員長)
私は大量生産、大量消費、大量廃棄という現在のシステムは変えなければいけないと思います。ところが一番の問題は、国民がそれを本当には望んでいないという点です。みんな自分の車でドライブをして豊かな生活を享受しようとしている。コンビニも24時間開けさせている。確かに便利かもしれないが、これほどエネルギーを無駄遣いしている国は世界中にありません。ところが、そのエネルギーを輸入して無駄遣いしていることを国民みんなが意識しているのでしょうか。口でそう言っても、誰も実行していない。ですから、地球温暖化の問題に関して、二酸化炭素の排出を減らせと言いますが、産業界は一生懸命減らしてきています。実は、一番増やしているのは民生と運輸です。ということは、民生の人に意識をして減らす努力をしてもらわないと、なかなか目標は達成できない。
それから、食料自給率を上げなければいけないのも事実です。ただ、官が悪いのかもしれませんが、農民も儲からない従来どおりのシステムで農業・農政をやっている。そういうシステムから、もっと自給率を増やす体制へと変えていく必要がある。そういう国の仕組みも含めて、みんなで議論していかなければならない。それがすべて憲法につながるとは言いませんが、20世紀のあり方では世界はやっていけないということを、頭ではわかっているけれども実行しない。そうするとイースター島のようになるわけです。
三宅弘(自由人権協会 理事)
一つ一つの個別の法律や基本法を直そうと思うと、全体的なバランスが変わってしまいます。内閣法制局の問題を議論すると、国会議員と選ばれた裁判官の何名かが憲法裁判所(韓国の憲法裁判所を参考に考えてみてください)で憲法の総合的解釈をするようなシステムがいいのか、それとも個別の具体的問題について最高裁判所だけで独自に判断できるシステムにするのか、内閣をいじると裁判所をいじらなくてはならない。人権をいじると人権を保障するための制度として裁判所のあり方も直さなければならない。つまり、今日の議論を善解すれば、市民立憲フォーラムとして議論する意味は、全体の法体系のバランスをどう調整するかということを見直すということにあるかもしれないと思います。
ただ、個別の話をするにしても、憲法の条文だけを取り上げていては議論になりません。安全保障でいえば、駐留米軍を抜きにしては今の自衛隊で完全に防衛できるとは思えません。本当に自主防衛をするのであれば、もっと自衛力を増強しなければいけないし、徴兵制の問題だって絶対出てくると思います。経済同友会で憲法9条の議論をする前に、安全保障の基本的な施策で何が不十分なのかを明確に出してほしいです。これを出さなさいと、国民から見ると条文をいじるだけの憲法議論ではないかと思います。
それから鈴木さんの議論でも、憲法の人権規定の構造を変えるという話がありましたが、それはおそらく人権基本法――しかもアジア人権憲章との関係を明確にして、もう少し具体的に出さないと、全体的なバランスや今の憲法で解釈が定着しているものとの関連をどうするかという議論が不足しています。おそらく今日お話になったのは、ほとんど基本的な法律をつめないとまともな議論にならないような気がします。そうした作業がないまま憲法論議に入ると、安易な改憲論議へと流れていくような気がします。
読売新聞の山本さんのお話をきいていて、読売にもこんなに頭の柔らかい方がいるんだと今日は思いましたが、外から見ていると条文だけでわれわれをどこかに引きずっていくのではという警戒心が先にたってしまいます。今の憲法には付属の関連諸法制があるわけですが、その憲法を変えるとしたら、関連諸法制をどう変えるのかという点や基本法の枠組みをどう変えるのかというところまで含めて憲法の提案をしていただくことで、はじめて憲法構造全部を議論して実りあるものになると思います。
ブレーキだけを踏もうという気はありません。ただ、現状が、ブレーキとアクセルを両方踏まなければいけない時代状況で、よりよい憲法にするのには、非常に舵取りが難しいと思いますけれども、ぜひその辺を議論できればと思いました。そこでは、憲法改正ではなく、基本法の改正でほとんどの問題を解決できるのではないでしょうか。
愛知和男(自民党 憲法調査会 常任顧問)
今までの憲法の話は、改憲か護憲かという入り口の話で、中身の話ではありませんでした。ようやく中身の議論に入れたわけですから、その議論をしていくために、何か材料が必要です。その意味で、私は読売新聞の試案を高く評価しています。材料があれば、賛成か反対か、どこに関心をもつかという議論が沸きあがってくるわけで、それで引きずられるというのは、少し危惧しすぎではないかと思います。
高坂節三(経済同友会 憲法問題懇談会 委員長)
安全保障を先に勉強する必要があるというご指摘がありましたが、同友会では90年から安全保障に関する提言を出してきております。今回、憲法問題を討議してきたのは、国会が憲法調査会をつくったから、それに対応して勉強しようという理由であって、安全保障に関する考え方はすでに議論しております。そういうことをやった上で、あくまで国会の議論に対応するために勉強を始めたということを補足させていただきます。
鈴木寛(民主党 憲法調査会 事務局次長)
おそらくここにお座りの皆さんは、憲法付属法としての基本法ないし周辺法と憲法成文をパッケージで議論しなければいけないという点では意見が一致していると思います。たとえば、われわれでも教育分野においては、学校教育法、地方教育行政法、教育基本法そして憲法ということで、私も責任もって考えているつもりですし、安全保障については前原誠司がやっていますし、統治機構については松井孝治が国会法、省庁設置法を全部洗いなおして、国会法のどこを直すかという検証を終えています。しかし、なおかつ、やはり憲法のここを直さないといけないという議論はしております。ただ、おっしゃる点には賛同いたします。
山本大二郎(読売新聞 憲法問題研究会 キャップ)
わが社では、憲法改正がすぐ実現するわけでもないので、安全保障問題では、十年ほど前から、安全保障基本法の制定を言っています。また、憲法改正の後の議論としても、憲法でがちがちに制約してしまうと、何が起こるかわからない現実に対応できない恐れがあります。柔軟な憲法があって、その下にやはり安全保障の基本法なり、国際平和協力のための一般法なりがあって、どういうような方針でやるのかということを書く必要があるのではないか。そういう法体系を考えていく必要があると思います。
もう一つは、憲法の条文の見直しの前に、きちんとした日本としての安全保障や平和戦略などを考えるべきというのは、おっしゃるとおりだと思います。まず憲法の条文をどういじるとかいう前に、まずどのような安全保障・平和戦略をもつべきなのかと。わが社は、94年に憲法改正試案、95年に総合安全保障政策大綱を出していますが、その中ですでに実現されたものもありますが、そういう基本的な考え方のところから論議していかなくてはならない。
もう一つ言いたいのは、政党と国会の論議に任せっ放しではダメだと思います。政党の相違より個々の議員の間の相違が大きいわけですから、そこで本当の議論ができるのかは疑問です。国民の憲法ですから、国民のレベルで議論を活発にさせていかないと本当の議論にならないのではないかと思います。
江橋崇(平和フォーラム 代表)
今日この場で、活発な議論ができ、また憲法の話をするときには珍しいほどの若さと女性の多さで話ができて大変うれしく思っています。
最後に1984年生まれの人が今20歳です。1984年生まれの人にとっては日本国憲法ができたのは、生まれる37年前。盧溝橋事件が起きたのは47年前、明治憲法ができたのが95年前です。そこで皆さん、自分の生年から37年、47年、95年を引いてみてください。
私は1942年生まれですので、今20歳の若者にとって日本国憲法ができた年は、私にとっては日露戦争が起きた年にあたります。まして、盧溝橋事件は日清戦争、明治憲法ができたのは、黒船以前となります。ですから、若者にとっては、それぐらい時代的な間隔がある問題を議論しているわけです。
年老いた世代が現役でがんがん議論しているのにお付き合いいただいた若い世代の皆様ありがとうございました。今後とも、常に若返りということを念頭におきつつ、憲法の議論に参加させていただきたいと思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。
安藤博(東海大学平和戦略研究所 教授)
パネリストの皆さん、参加者のみなさん、長時間にわたりありがとうございました。これで終わりにいたします。
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