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第18回 市民立憲フォーラム 第2部

最近の国会の憲法改正論議について

江田五月(参議院議員/民主党憲法調査会顧問)

  

  皆さんこんばんは。本日は「最近の国会の憲法改正論議について」をテーマにお話をとのことだが、一昨年の暮れに、衆参の憲法調査会が5年の議論を経て、それぞれ報告書を出した。報告書を出すことに反対した政党もあったが、内容についてはそれほどとげとげしい議論はなく、おおよそ常識的なものとなっているのではないかと思う。特に参議院については私もかかわっていたが、国民主権、基本的人権、平和主義といったものが定着しているという、きわめて常識的な報告書としてまとまったのではないか。

 では、その後どうするかということで、憲法を変えるかどうかは別にして、現在の段階で国民投票の手続法がないというのは、やはりいけないのではないか。それをつくらないのが護憲の知恵だとする説もあるが、やはり国民投票法はつくらなければならない。そのために衆議院では、憲法調査会を憲法特別委員会に変え、法案の審査をできるようにした。しかし参議院の方はまだ調査会のままで、特別委員会にしようという声が、底流の方ではあるが、現在の段階で議院運営委員会にあがってきてはいないという状態。

 国民投票法制については、超党派の憲法議連などが案を作ったりしているが、こういった形でやっていてもしょうがない。自民党がこの問題でかなり「はやっている」「あせっている」状態なので、民主党もあまりそっぽを向いていると、残念ながら衆議院では3分の2、参議院でも過半数をとられているので法律になってしまうということで、民主党の憲法調査会の中で、国民投票法の大綱をまとめた。この大綱は、選挙運動・投票運動は極力自由化する、マスコミ報道なども極力制限しない、投票権は18歳など、これについては江橋教授も異論があるかとは思うが、そういった内容でまとめている。この問題においては自民党の方もかなり民主党によってきている状態なので、もし成立することになるとだいたいそういった内容になるかと思うが、参議院の方にはまだ議案を扱うシステムを作れていない状態。もちろん衆議院で強引に通過させて参議院に持ってくるということになれば、どこかで参議院でもやらなければならないことになる。そうなると内閣委員会かどこかでということになるかと思うが、それではだめだということで、国民投票法も現在ストップしている段階である。

 国民投票法について与党と野党の違いは、一つは投票権者の問題。もう一つは憲法改正についての国民投票だけなのか、それともその他にも適用できる国民投票通則法なのか、ということで、民主党は後者である。しかし、その辺の問題だけで中身についての違いはそれほどない。最近の新聞報道では、与野党が衆議院の段階で国民投票法を作ろうとなっているのに、参議院に話を持っていったら、参議院民主党が蹴飛ばしたという報道があったが、実際には参議院にそういった話は持ち込まれていないので、蹴飛ばしようがない。もし衆参で違いがあるとすると、与党とりわけ自民党の方の温度差が大きい。衆議院では中山太郎会長がどんどん走ることについて、参議院の方はあまりいい気がしない。特に自民党の憲法改正案をまとめる段階で、参議院無用論・一院制論を、参議院になんの相談もなく打ち出したということに、参議院自民党が相当腹を立てて覆したという経緯があり、そちらの方の温度差を、民主党の温度差にすりかえて報道しているのではないかという印象を受ける。いずれにしても、参議院では、そういった提案を受けていないので、蹴飛ばしようがないというのが現状。

 民主党としては国民投票法には、憲法を改正するときの予行演習というような意味合いもあるので、憲法改正も衆参両議院3分の2で発議しなければならないので、国民投票法も通常の法律のように衆議院で可決し、参議院で否決されても、衆議院3分の2の再議決でといった過程で成立させるものと種類が違う。むしろ衆参で国民投票法をつくろうという人々が集まり、内容を固めながら作っていく。そういった実質をつくりながらすすめていくべきものであろうと考えており、そういう意味でも、衆議院だけの話ではなく、衆議院の自民党が参議院の自民党に言い、参議院の自民党が参議院の民主党に話を持ちかけ、それから皆でやりましょうとテーブルについて議論する、といった手順を踏まなければできるものではない。こういったことを最近も申し合わせたところである。

 憲法の中身については、ご承知のとおり、自民党は結党50周年を記念して憲法改正草案をまとめた。印象としては、これがかなり、できが悪いのではないかという感じがする。いろんな人にとって満足できるものとなっていない。中曽根氏にとっても自分が格調高くしようと書いた前文が全く相手にもされず、継ぎはぎだらけのものに変えられたと。いろいろな人が、あの草案に不満がある。草案をもう一度書き換えるといった話まで出てきている。舛添要一さんでは、ヤマタノオロチのような自民党をまとめあげるのは大変であろうかと思う。そういうことで、ドラフトをつくったことで、かえって微妙な嫌気が差すような空気をつくってしまったような気もするが、こういったことも含みながら、憲法論議というものは前に進んでいくのであろうとも思っている。

 民主党の方は、前原代表となり、草案とまではいかないが箇条書き程度にといった指示が出たとかいう話もあったが、そういったつもりは毛頭なく、昨年まとめた憲法提言、これは箇条書きではなく文章で長々と書いてあるものだが、これについて、まだ全党的な議論は何もしていない状態なので、今年は少なくとも前半ぐらいまでは、これで全国的な討論集会を開こう、と。「こう」と言っている段階で、まだ具体的に決まっていないが、これはやらなければならないことでもある。

 公明党は、小泉首相が大連立などと言い出し、民主党にはその気はないが、やはり大連立だと最初にはずされるのは自分たちだという意識があるのか、間合いの取り方がなかなか難しくなっているかと思う。しかし公明党のいわゆる加憲も、なかなかよいのではないかという雰囲気も出てきている気もする。たとえば、九条関係。安保・防衛関係については、確か太田さんだったか、「いまの日本の安保・防衛体制をそのまま認めればいいのだ」と。それに何も足さない、何も引かない、「等身大」というような言い方をしていた。そうすると、九条一項、二項にさらに何かを加えて、自衛権プラス自衛隊を認めると。当然、集団的自衛権は内閣でさえ認めていないわけなので認めない。何も足さずにそのままである、ということになる。そういう方法もひとつ考えられるような気もする。

 もうひとつ、九条の会が相当な広がりを持ってきている感じを受けている。民主党の憲法調査会の役員会でも、一言指摘したが、日本中から九条の会のような動きがなくなるというのは、やはりおかしな状態だともいえる。九条や現憲法ができた経過、第二次大戦とその敗北、そしてその反省を元に不戦の誓いを高く掲げて、という考え方は、いわゆる日本の歴史やアジアの歴史にとっても非常に重要なことなので、それを大切にしたいという人々が、日本からいなくなるというのは奇妙な話であり、こういった人々とも、しっかりと議論し、思いを受け止めながら、安全保障関係についての議論をしてゆかなければならない。その間合いの取り方は難しいのかもしれないが、そういったことも考えていかねばならない。今の民主党の執行部の方向性とだいぶ違うような気もするが、幅の広い政党であるということで、議論できれば良いのであろうと思っている。

 ちなみに現在私は、民主党の憲法調査会の顧問となっている。私と仙石さんが顧問で、会長が枝野さん、会長代理が簗瀬進さん、事務局長が古川さんということになっている。顧問になる前は、憲法調査会ができて以来事務局長をやっていた。参議院の憲法調査会では、当初は幹事、会長代理をやっていたが、その後は一委員としてかかわってきた。参議院の憲法調査会に、はじめから報告書を出す最後まで終止かかわったのは、私と共産党の吉川春子さんの二人だけということになる。とりあえず、以上で。

◆ディスカッション

須田 先ほど前半で議論にもなったが、国民投票法の内容について。与党と野党の間にそれほどの違いはないとのことだが、個別承認型か一括承認型かということについてはどうなっているか。また、どういった形でやっていくのかといった技術的なところまで一致しているのか。

江田 細かく議論しているわけではないが、与党の方で、民主党にすりよらなければできないという雰囲気が強くなりつつあるので、民主党が強く言えば、与党側は乗ってくるのではないか。民主党の方も一般的なすべてに通用する国民投票法をつくるという作業は、大変なものになるので、落とし所として、とりあえずは憲法改正についての国民投票法ということになるかと思う。

須田 それはイニシアティブ法にするかどうかという議論だとして、憲法改正については、憲法改正法案一本でいくのか、九条などテーマごとに個別的におこなうのか。

江田 まだそこまでは詰まってはいない。当然条文ごとにはできないが、せめて項目ごと、安全保障や人権、あるいは人権をもう少し分けるなど意見はあるが、そこまで議論は煮詰まっている段階ではない。
  民主党は、いくつかのグループに分けるとしている。自民党は一本でやると。一本の方が国民投票で賛成を得にくいのではないかという説もある。一箇所でも気に食わない箇所があれば「反対」となるということで。民主党は、国民の選択を広げるためにグループごとに分けるということだが、これが果たしてよいのかどうかはまだわからない。これから議論していくことになる。

江橋 先ほども話したが、国民投票を「国民主権の直接的発動だ」としてきらきらと輝いているかのように言い出したのは日本の憲法学者たち。GHQは決してそういうつもりでつくったわけではない。ここで実質的な意味の置き換えがなされており、昔否定されていたことが今になって復活するという解釈改憲はしばしばおこなわれているが、また混乱するのではないか。国民投票法とイニシアティブ法を一緒につくろうということになると、憲法第96条が考えていなかったということで、解釈改憲ということにならないか。自民党はイニシアティブ法まで乗るだろうか。

江田 そこまで自民党が乗るとは思わない。やはり、今の憲法が、地方自治法のイニシアティブのようなものを国政で認めているかという点にも相当な議論の幅があるので、ここでイニシアティブ法も合わせてということには、無理がある気はする。

後藤敏彦 突飛な質問になるかと思うが、政治家として見て、憲法改正はいつごろになりそうか。

江田 先日も海外からの取材において、憲法改正にどのくらいかかるかと聞かれ、3、4年と答えている。私の任期の残りが4年と少しなので、残りの任期をすべてかければできるかできないかぐらいのものではないかと直感的に考えているが、これも流れがあるのでわからない。現在は、雰囲気として少し温度が下がっている状態。今年の通常国会で国民投票法ができるかどうかというのも疑わしい。やはり潮の満ち引きがある。さらに、今国会は3点セットということで荒れることになる。そういう状況の中で、国民投票法をつくろうという雰囲気にはなりにくい。しかも自民党の中も、次期総裁が誰かということで、皆がそわそわしている状態。そういった状況で、じっくりと落ちついて国民投票法を議論しようという声は上がってこないだろう。

安藤 憲法改正に対する国会内の空気についての質問。江橋さんは憲法改正についての三次元の対立として、護憲対改憲ということをまず挙げており、それは国民的なレベルではすでに終わっていると指摘しているが、国会内において、そういったいわゆる護憲対改憲という対立はどうなっているか。つまり雰囲気として、いつ、どういった内容でということは別にして、憲法を改正しようという流れ、基本的に憲法は改正するものであるというように変わっていると理解してよいか。

江田 これも先ほどと同様に満ち引きがあるので、即断はできないが、少なくとも与党は、公明党も含め、どういった形にするかは別にすれば改憲。野党も、民主党については議論もあるが、いわゆる護憲ではない。衆議院ではもちろん、参議院でも圧倒的多数が、憲法に手を触れることあり得べし、というところまで来ていると言える。つまり憲法神棚論というのは、非常に少なくなっている状態で、憲法に手を触れると戦争への道を突っ走ることになるから、少々おかしいところはあっても、目をつぶって憲法を守り抜こう、という主張は、ほぼないと言えると思う。ただ、やはり中身の議論というのはまだまだこれからの話。
  実は、今日ここに来る前に出席した「国立追悼施設を考える会」というところで、高橋哲哉さんが話をされていて、「国立追悼施設をつくったとしても、靖国神社の二の舞になってはいけない」として、よく考えなければならないと指摘していた。つまり、これは私も代表質問である程度の覚悟を決めて言ったことだが、戦争へと国民精神を動員した宗教施設である靖国神社というものは、戦争責任を分有しているのだと。ここに国家の指導者がお参りをするというのは、そもそもA級戦犯が合祀されていようがいまいが、ふさわしくない。つまり国立の追悼施設を作っても、その施設が、先に逝ったものに続けと国民精神を国家への忠誠へと動員する施設になってはならない。こういった議論を積み重ねながら、憲法の議論もできればよいのだが、最近はどうも、与党にもそれから残念ながら野党にも、そういったことを忘れて憲法について議論している気配があり、それに対してブレーキをかけなければならないといった観があり、そのあたりで現在、潮が引いているのではないかという感じがする。逆に言えば、民主党が今の前原代表のままで憲法改正に近づくかというとそうではなく、むしろ理性的にいろいろなことをしっかりと考えながら憲法について議論する方が、憲法を国民のものにする、憲法改正に近いのであろうと考えている。護憲か改憲かという意味での護憲派が、国会内の少数派になっていることは事実で、これは国民世論の分布よりも、国会内の方が小さくなっているかもしれない。

江橋 前原代表は、護憲派に感謝されているとも言われている。前原さんが何かを話すたびに、護憲派が勢いづいてきているので。
  小泉首相が靖国神社にこだわるのは、イラクなどで、今後、自衛隊員が戦死する可能性、つまり新たな戦死者に備えるためだという説はどうか。過去を見ているのではなく、未来を見ているのだと。

江田 そういうことであれば、むしろ国立追悼施設の方が、都合が良いのではないか。追悼施設は、明治維新以来、未来永劫国家のために命を落とした人を追悼する施設。靖国よりもむしろこちらの方が備えられる。国家のために命をささげた人を追悼する。本日の高橋哲哉さんの議論は、そうではなく1937年から1945年の間、としっかりと区切るべきだと指摘していた。

江橋 国立追悼施設には中国人も入るのか。

江田 高橋さんの考えはわからないが、有識者会議は戦没者であれば誰でも入る。中国人なども。

江橋 私はそちらの方が良くて、中国の艦隊が東京湾にやってきて、海兵隊が敬礼していくというようなあり方のほうがいいと思っている。ヨーロッパなどはだいたいそういう形で、ドイツの軍艦がイギリスに行くとロンドンで敬礼する。日本の自衛隊も上海で、というようになったほうがいい。そういった意味でも、中国人も入っていたほうがいい。

江田 そういう意味では、いっそのこと全人類のために、国連かどこかにつくればいいのではないか。

安藤 いわゆる憲法改正は、もともと九条の話であったが、話が広がって旧仮名遣いを直すことや前文が日本語として変だから直そう、私学助成や情報公開などが出てきた。伺いたいのは、国会内では憲法改正といったときに、全体の感じとしては、やはり九条の問題なのかどうか。九条のことは議論になるとしても、それ以外の論点も含めての話となるのか、あるいはもっぱら九条のことを頭に置きながら議論しているのか、つまり九条以外にどのくらいのウェイトがおかれているのかを伺いたい。

江田 5年間の衆参憲法調査会の議論では、外交安全保障の問題はなるべく後で議論をしようとしていた。まずは入りやすい総論を議論し、統治機構、裁判所、地方分権、基本的人権と話をして、4年目にしてようやく外交安全保障の問題に入った。外交安全保障の議論も大事だが、実際に憲法改正を議論するときにはそれ以外にも大事なことがたくさんあるということで議論してきている。
  しかし、ここに来て九条の問題が出てきて、それを避けないという選択をするということになれば、やはり九条の議論となるような気がする。今がまさにそのときだと思う。そういう時期に、前原代表が集団的自衛権だとかなんだとかいい出したので、たちまちそういった議論が盛り上がってきたということもある。
  前原代表も独特の論争感覚があり、はじめに打ち上げてから、その後に真意はこうで、とならしていくという方法をとっている。中国脅威論もそう。中国に対抗するため、日本国民も中国に負けるなということを言いたいのではなく、中国の軍事費がどんどん増えていたり、透明性が低いといった現実を遡上に載せながら議論をしようと軌道修正している。集団的自衛権についても、日本に関係のないところでアメリカが戦争をするときに日本も駆けつけるといったことを言っているわけではない。日本の安全にとって必要な限度で、外国との共同行動をとるのだと、専守防衛だと。つまり個別的自衛権で対応できるところを、集団的自衛権の行使を認めるということで、少しやりやすくするといった程度でしかないことであった。
  前原氏が、もう少し政治的に練達であれば、ここまでぐちゃぐちゃにならずに、自分の考えていることを前に進めることはできたと思うのだが。

須田 前原氏の発言で、レフトをがら空きにしてしまった。センターさえ怪しい。うまい方法ではない。

江田 かといってライトが「前原すばらしい」となるかというとそうではない。

須田 参議院があるかぎり、参議院は廃止できないのだろうか。日本の国民は、九条は廃止できても参議院は廃止できないことになるのか。

江田 これは難しい問題。しかし参議院議員の職場を残しながら、参議院を廃止する方法は、ある。それは衆参統合。国会の中に衆議院部会と参議院部会を設け、それぞれに役割を分担する、と。これはプロセスを追わなければできない問題。東京地方裁判所では、刑事部会と民事部会とそれぞれで裁判官会議をやっており、全体は年一回だ。

江橋 衆参両院合同会議に期待しているのだが。なかなか進まない。

江田 年金問題がなかなか進まないから、合同会議は宙ぶらりんとなったままだ。これがうまくいけば、合同会議が一つの有効な手段として成り立つのだが。

  明日、衆議院の厚生労働委員会でハンセン病を立法的に解決する法案が国会を通過する。これは東京地裁が、台湾で認めて、韓国を認めないといった判決になったからだが、地裁で両者を認めていたら、国が控訴して高裁でということになり、両者が棄却されていれば、原告が控訴してこれまた高裁でということになっていた。判決が分かれた以上、これは政治決着しかない。原告の年齢的にも立法的解決しかなかった。

江橋 人権救済に関しては、また裁判所が失敗して、政治的に解決されるという結果となった。憲法の研究者としては、裁判所がもう少しがんばって、司法的に人権が救済されることになってほしいのだが、またしても政治的な決着ということになった。

安藤 あの法律ではこういった判決しか出せないということをアピールする内容ではなかったということか。

江田 法律を作ったときには、すべからく救済するというのが私たちの立法意思。すべからく。国が設置した療養所に入れられた人々、強制収用政策によって被害を受けた人すべてを救済するという内容の法律。韓国・台湾にも収容所があることはわかっていたが、実態がつかめていなかっただけで、排除するとはどこにも書いていない。当然、救済に値する。台湾の判決のほうが、立法趣旨に合致する、と私は思う。

江橋 今回のヒューザーの問題もそうだが、裁判所に解決を求める声が一向に上がらない。結局は司法よりも政治的な解決、政治・行政が解決することを望んでいるのであろうか。損害賠償や瑕疵担保責任を追及しようとする動きは出てこない。もと裁判官として、こういった雰囲気をどう思うか。

江田 ヒューザーの問題は、司法解決を求めて、確定判決を取ったとしても、執行ができないといった事態となることがわかりきっていただからではないか。
  世論的には、裁判所で解決するまで待てというのか、なぜもっとはやく行政がやらないのかということになってしまう。

後藤敏彦 裁判官の数は増して、裁判のスピードを上げることはできないのか。

江田 裁判官を増やす必要はあると思う。実際に少しずつだが増えている。しかし、裁判官も必要だが、裁判所の施設をもっと増やして、補助職員、書記官その他を増やしたほうが、もっと能率、スピードは速くなるように思う。

安藤 時間も迫ってきましたので、この辺で終わりにします。江田さん、ありがとうございました。

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