第6回 市民立憲フォーラム 基調報告
憲法解釈の「枠」−創造的・建設的護憲論の提言
三宅弘(自由人権協会理事/弁護士)
昨年3月イラク戦争の開戦を米国南部の小市でむかえたが(拙稿「米国アーカンソー州にて思う」自由と正義2003年10月号)、本年2月に「今年はリセットして自由な時間に充電を」との選択を与えられた。11月には、米国一といわれるアメリカン大学のリーガル・クリニック・プログラムの調査のため再び渡米する機会があり、米国大統領選当日を首都ワシントンDCでむかえた。来年からロースクールで憲法・行政法の演習の一部を担当することとなり、「自由な時間」は、その準備のために、憲法・行政法の教科書、判例を読み直し、過去20余年にわたる行政訴訟の自らの足跡を整理することにも費やした。ここで、改めて、憲法改正の「問題」を考えた。とりわけ、伊藤正己『憲法(第三版)』(弘文堂)の言説に改めて注目した。
「国家構造の基本を定めている規範の総体という意味での憲法によって構成される社会秩序は、決して停滞することなく、成文憲法典が同一のままであっても、常に新しい時代の要請を受け入れつつ発展していく。」「法文の文章に過度に拘泥することなく、立法部の立法、裁判所の判例、行政上の実務慣例などをも総合的に考察しつつ、憲法の幅の広い一般的な枠の中でそれを解釈運用し、憲法政治の円滑な運営をはからなければならない。」−これらの行では、他の成文法よりも広く憲法解釈には「枠」があることを改めて確認させられた。この「枠」は枠の内外において憲法解釈の限界を画するものであるが、「枠」の中においては複数の解釈が成り立つことを示唆しているようである。
「一般的にいって、頻繁に改正手続によって成文に手を加える憲法よりも、むしろ正式の改正以外の方法によって憲法を時代の要求に合致させる憲法体制の方が、国民のうちに生きた憲法を作り出すことが多い。」−この行では、正式の改正が本当に必要かを問いかけているようでもある。アメリカ合衆国憲法の研究者らしい示唆である。
「日本国憲法のもとでは、裁判所が具体的な争訟を通じて憲法を解釈運用する権能をもっており、この判例、特に最高裁判所の判例によって憲法の意味が明らかにされるとともに、それが社会と乖離することを防ぐことができる。」−日本国憲法の採用した違憲立法審査権の意義を要約した行ではあるが、法律上の具体的な争訟を通じてしか判断できないことや統治行為論や部分社会論など「訴訟法の留保」(棟居快行北海道大学教授)によって、裁判所、特に最高裁判所は機能していないのではないか。司法消極主義を克服するために、憲法裁判所は必要か。この行では、司法改革の到達点と課題を検証する必要もありそうだ。
本稿では、これらの問いかけに、弁護士としてどう向き合うか、創造的・建設的な護憲論の立場から概説してみたい。
憲法規範の変質
憲法変遷論にも結びつくが、たしかに、形式上の憲法規範である文言が変更されないままであるのに、その実質的な内容が変化すること−場合によっては単なる解釈の変化として処理する枠を超える、いわゆる憲法規範の変質はある(あえて憲法変遷論とは区別する)。
私も20余年、その制定にかかわった情報公開法は、憲法規範の変質を伴っていた。憲法21条は、もともとは消極的自由権、国家権力からの自由を意味したが、さらに「知る権利」を含むとし、政府に対する情報公開の請求権を根拠づける規範へと変質した。情報公開法1条の「説明責務」は、今日では、これを具体化した、行政法上の原理としても取り扱われている。
また、憲法13条の幸福追求権は、もともとは宣言的規定と理解されていたが、現在では包括的人権の根拠規定として新しい人権(プライバシーの権利や環境権)をこれによって基礎づける規範となったのは、周知のとおりである。この分野でも、個人情報保護法3条が「人格尊重の理念の下」、個人情報の適正な取扱いを求めていることは、変質した憲法規範の具体化でもある。
憲法14条の平等原則も、自由主義的国家における形式的平等、機会の平等の保障から、社会国家の理念をもち込み、実質的平等、結果の平等をも要求するものへと変質し、男女雇用機会均等法などに具体化されているものと理解できるであろう。
このような個別法の制定に伴う憲法規範の変質という現象については、さらに、伊藤・元最高裁判事が述べるとおり、憲法の条項の文言は同一であるが、これに違反し矛盾する事実状況が長期に継続して存在し、この事実が国民の意識一般によって支持されることによって規範性を取得することになり、実際上その憲法の条項が改廃されたと同じ結果を生ずるとき、憲法の変遷があったとされる立場を導くことにもなる。しかし、憲法の解釈運用を弾力的に行うことができるとする立場をとると、憲法の変遷という現象の生ずることはほとんど考えられないとも、述べられている。
憲法9条と解釈運用の「枠」
弾力的な憲法解釈の立場に立つと、前記著書が述べるとおり、憲法9条と自衛隊の関係にしても、立法者の意思や制定当初の解釈とは離れた解釈のもとに事実状況が定着していったとしても、これは解釈の変動ではあっても、それを憲法の変遷としてとらえて実質上憲法が改廃されたとみるべきまではない、という理解に至る。
憲法9条は、制定当初の国際情勢と占領統治下において、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は」放棄し(9条1項)、「陸海空軍その他の戦力は」保持しない(9条2項)と規定するが、自衛権については沈黙を保っていた。国防保安法等の廃止の後に新しい法律が直ちに制定されたわけではない。9条解釈を歴史的に振り返っても、いわゆる冷戦の時代に、非政権政党が理想として掲げた自衛隊違憲・非武装中立論を一方の極としつつ、各政党がそれぞれの9条論を展開し、最高裁判所が終局的な判断を回避していることから、9条の解釈運用の「枠」は相当に広かった。その枠の中で、政府は、自衛隊は9条に違反しないという、「有権的解釈」を採用した。非政権政党も政権につくや、突然に、一旦は自衛隊違憲・非武装中立論を捨てて、この「有権的解釈」に従った。ここでいう「有権的解釈」とは、前記著書では、「国民の意思とつながりをもつ国会、それを基礎とする内閣(そのもとにある行政部)による憲法の解釈運用である」と説明されている。
もっとも、自衛隊法3条は、「わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当る」と規定するだけで、海外派遣を明定していない。イラク特措法による派遣は、国際協調主義の具体化についても沈黙を保っていた憲法の解釈運用の問題であるともいえよう。
また、この「有権的解釈」は、自衛力の細部までも検証したものではない。9条の文言をとっても、「戦力」と「自衛力」とは異なるのか、国民にわかりやすい説明がなされたことは私の知る限りほとんどない。私も市の訴訟代理人であった那覇市情報公開訴訟では、対潜水艦作戦センターの抗たん性(攻撃に耐えうる能力)が明らかになるかが争われたが、その経験からいえば、防衛庁はできる限り「戦力」とはなりにくい「自衛力」の整備に努めているようである。自衛隊がイラクに持ち込む銃も、日本本土の防衛用とは、殺傷能力に格別の相違がある。一般国民には、このようなことはほとんど知らされないままで、毎年、国会が防衛予算と関連法規が制定されていることに問題があるように思う。
「集団的自衛権の行使」と「武力の行使」とは異なるか。日米安全保障条約を前提とし、日米の同盟関係を重視してこれを遵守しようとすると、この条約が太平洋とアジア全域に展開する米軍をパートナーとするだけに区別は困難になる。この「有権的解釈」に関しては、内閣法制局は、今までのところ、9条が「集団的自衛権の行使」は認めていないとの立場をとっている。
しかも、以上のような問題について、司法は判断権を放棄し、そのすべてを国会を内閣の「有権的解釈」に委ねている。砂川訴訟では、外国の軍隊は「戦力」に該当しないと判断され、長沼訴訟では、自衛隊の存在についての統治行為論を展開した。わずかに厚木基地公害訴訟などが騒音による過去の損害賠償請求を認めるのみである。司法は、この点において埒外である。
結局、国会と内閣における政権党の「有権的解釈」が実務を動かしている。しかし、イラク特措法によってさえ、海外派遣された自衛隊がオランダ国軍による治安維持の下で活動し「武力の行使」をできないことに、依然として憲法9条の「枠」の意義を認めるべきか。憲法改正論議で最も問われるのは、この点であろう。
裁判所は、その判断を放棄しているのであるから、政権党の「有権的解釈」に対し、基本的人権の擁護の観点から弁護士会が市民に宛てて「枠」にある憲法解釈を提示し、市民の判断の素材とすることは求められよう。伊藤・元最高裁判事の前記著書においても、有権的な解釈による事実の累積も、それが仮に学説の多数によって違憲と評価されるものであっても、公権力はそれを合憲と考えており、その判断のもとに事実状況が生成される、たとえ少数説であっても、そのうちの一つの解釈と考えられるものを基盤として事実や実例がくり返されることで規範力をもつこととなる、と指摘されている。しかし、規範力をもつことが、直ちに人々が理想的と思う解釈とはならない。それゆえ、「有権的解釈」にとどまらない憲法解釈を提示することは重要である。市民が提案する「枠」にある憲法解釈を、平和基本法として具体化させる方策もあろう。
付属法による「有権的解釈」の具体化とその改正
憲法についての政府の「有権的解釈」と市民が解釈する憲法論を考察するうえで、付属法の検討を避けることはできない。憲法の成立と付属法による「有権的解釈」の確立の歴史は、別表のとおりである。
ポツダム宣言の受諾から日本国憲法の公布までを概観しても、明治の自由民権派憲法草案の流れをくんだ憲法研究会草案などの存在や、憲法改正草案をも争点とする衆議院議員総選挙を経たうえでの憲法制定の過程は、必ずしも占領軍押しつけの憲法とは言い切れないのではないか。敗戦を機に、国民主権主義、平和主義、基本的人権の尊重が国民に浸透し、定着していく過程は、国是とする「自由と民主主義」を強大な軍事力を背景として他国にも広めようとする新保守主義の米国に対しては、これらの憲法原則が日本の独自の文化として根付いていく過程とみることもできよう。明治初年に米欧十二か国を歴訪した岩倉使節団の報告書『米欧回覧実記』に示された「小国主義」は、不法な政府に対する武力抵抗権まで認めた植木枝盛の憲法草案や、『三粋人経綸問答』に代表される中江兆民の評論、大正デモクラシーの最前線で「大日本主義の幻想」を論じた石橋湛山等に受け継がれ、日本国憲法として実現したものともいえる。また、太平洋戦争の敗戦にいたる十五年戦争での300万人を超える日本人の死者、さらにそれを超える近隣諸国の死者の犠牲のうえの、憲法原則であったともいえよう。
もっとも、憲法制定を前提とする付属法は、「枠」にある憲法解釈の一つを政治的部門の「有権的解釈」として定着させたが、制定当初の憲法の理念は付属法によって完全に実現されたとは必ずしもいいきれない。行政行為に対する司法審査が及びにくいところが、その一つであり、行政手続法、情報公開法、個人情報保護法、行政事件訴訟法改正にいたっても、未だに不十分である。このため、憲法上の基本的人権の規定も、裁判規範としてはあまり有効に機能していない。
憲法改正法案が提案されてはいるが、憲法の条文をいじれば事態が変わるという問題は少ないようで、むしろ、市民の解釈する憲法論に基づいて憲法の規定の「枠」の内実を充分なものにすることが求められているのではないか。
この点を、創造的・建設的な護憲の立場から、概観すると、以下のとおりである。
憲法解釈の「枠」にこだわる創造的・建設的護憲論
@ 国民主権と天皇の地位との関係(1条)を論点とする必要はあるか。
皇室典範の改正による女性天皇の可否が焦点ではないか。
A プライバシー権を憲法上明記することよりも、情報プライバシーについての「個人情報保護法」の例にみるように、個別具体化した立法による権利の実体化、裁判規範化が必要ではないか。京都府学連事件最高最判決が認めた肖像権も、私も立案に関与した、「杉並区防犯カメラの設置及び利用に関する条例」などの立法化により、きめ細かい保障が実現するのであって、憲法の条文に肖像権を規定するだけでは不十分である。また、遺伝子情報などは、個人情報保護法に基づくガイドラインによる保護が検討されており、これで不十分な場合には、個別法が制定されることとなる。
B 環境権については、環境基本法で具体化されてはいるが、未だに不十分である。これも、環境や街づくりの情報の公開訴訟で経験したことであるが、さらに、ミクロ的には、行政手続法上の計画策定手続の制度化や、代替アセスメントの法制化などがない限り個別具体的な環境保全は実現されない。
C 実質的平等(14条)というだけでは、「合理的差別」を克服できない。自由人権協会が既に立案し、本年10月の日弁連人権大会でも提言された差別禁止法の具体化が必要ではないか。
D 表現の自由(21条)の派生原理としての「知る権利」(抽象的権利)は、情報公開法によって具体化されたが、より一層の公開を求めての充実した司法判断のために、裁判官が不開示文書を現実に見聞するインカメラ審理と項目ごとの不開示理由の明示を求めるヴォ−ン・インデックス命令の制度化などのための法改正が必要である。憲法に「知る権利」を明記するだけでは、これらの手続は実現しない。また、情報公開法制定の際、政権党は、「知る権利」の請求権的性格が不明確であるとして、条文化に強く反対した。それが今、憲法改正案では「知る権利」を明記するという。どのような性格を有する権利として提案するのであろうか。
E 適正手続の保障(31条)は、現行の行政手続法では十分ではない。法制定の際につみ残しの課題とされた計画策定手続や規制制定手続の法制化が必要であろう。
F 裁判を受ける権利の保障(31条)は、総合法律支援法と行政事件訴訟法改正など一連の司法改革関連法で十分か。多数の弁護士の法科大学院を通じての養成は、公設事務所や総合法律支援センターを主体的に担う人材の育成に必要不可欠であろう。また、「行政諸法制改革会議」(日弁連提言)による継続的な行政法の制度改革(団体訴訟制導入、訴訟対象の拡大、裁量審査の在り方、訴え提起手数料の合理化、納税者訴訟、行政訴訟への参・陪審の採用、さらに行政手続・不服審査の改革、個別実体法の改革など)なども必要ではないか。後者のためにも、日弁連と同様、第二東京弁護士会にも、行政訴訟を担う弁護士の情報交換の場として行政訴訟についてのセンターや研究会を設立し、運営していく必要がある。
G 人権保障規定が裁判規範となるためには、国連の自由権規約などの選択議定書の批准や国内法の制定等による具体化も必要であるが、さらに、ヨーロッパ人権裁判所のように、アジア諸国を対象とするアジア人権条約の制定とアジア人権裁判所の創設も求められる。憲法改正を通じて強固な国民国家を構想するのではなく、多文化共生のゆるやかな国家連合としてのアジア連合と、そこで適用されるアジア人権条約の制定こそ、人権の国際化のための重要な課題である。
H 裁判員の参加する刑事裁判に関する法律(裁判員法)による裁判員制度で刑事司法は変わるか。さらに全面的証拠開示と取調べの可視化を実現できるか。この点についても、韓国や台湾での運用をも参考として、遅れている日本の取調の実態を明らかにし、国際人権規約の基準の具体化を求めることが有意義ではないか。改正された刑事訴訟手続を担う弁護士の養成も、必要である。
I 行政事件訴訟法の改正で違憲立法審査権(81条)は積極的に行使されるようになるか。現状では、大野正男・元最高裁判事も『弁護士から裁判官へ』で指摘するとおり、少なくとも、最高裁判所の構成(裁判官出身8:その他7)を当初の構成(裁判官5:弁護士5:学識経験者:5)に戻さなければ、積極的に行使されないとも考えられるが、その構成に変化がなければ、果して憲法裁判所が必要か。しかし、誰が選任する憲法裁判所裁判官がどのような争いについて判断するのか、議論は収斂されていない。今回の司法制度改革においても踏み込まなかった課題である。現行憲法の違憲立法審査権が行訴法改正等により積極的に行使されるようになるか等を、実証的に検討することが先の課題ではないか。また、裁判所法を改正して、知財高裁特別部の設立を参考に、憲法裁判特別部を創ることも一案ではないか。もちろん、そこでは、最高裁調査官や同事務総局の周辺のキャリア裁判官のうちのエリート裁判官たちにとどまらない、審査権を積極的に行使しうる人材育成も必要であろう。大野・元判事は、裁判官以外の者が最高裁調査官になることも提言しているが、具体化のきざしは全くない。司法権の独立の名下に、かえって司法官僚制は強固なものとなっている。新しい弁護士養成の延長上に、人権訴訟を経験した弁護士の任官を大きな流れとし、司法判断を内から変える方法も求められているのではないか。
J 地方自治の本旨(92条)は自治基本条例の制度化によって、はかられるべきであろう。自治体の条例制定権が憲法解釈を基本的に改めさせたという意味で「条例つくりは憲法作り」というのが、江橋崇法政大学教授の提言であるが、情報公開条例の制定から始まり「憲法革命」(清水英夫青山学院大学名誉教授)とまで言われた法制定に至る情報公開法立法運動の経験を参考として、自治基本条例の普及は、弁護士会でも取り組むべき課題である。私は、さらに特別法(95条、国会法67条、地自法261、262条)としての自治基本法(条例より強い効力を持つ地域限定の法律)も提言したい。憲法改正よりは、より地域に根ざした基本条例や基本法の制定手続の過程で、市民による基本法制定の関心も高められるべきであろう。その動きは、構造改革特区や道州制の動きをにらみつつではあるが、道州制をとるとしても憲法改正は必要ない。
K 未制定で今日に至っている、憲法改正のための国民投票に関する法律案の、政権党内での検討も無視することはできない。上記の課題は、そのほとんどが、個別法・条例による具体化で足りると解されるが、仮に憲法改正として発案されるのであれば、その一つ一つの改正案に対し、果して憲法改正が必要なのか、さらに、どのような内容の付属法が提案されているのか。これらにおいて、国民の意思が十分に反映されるものでなければならない。そのためには、一括した改正案の賛否を問う方法ではなく、個々の改正案に国民が一つ一つ賛否を表明できる方法であることが必要不可欠であろう。
むすびに代えて
11年前、クリントン大統領の新政権下で、情報自由法についての大統領と司法長官のメモランダムが出される直前に、アメリカへ調査に行った。行政情報の裁量開示を積極的に認めるメモランダムは、その後、日本の情報公開法7条の裁量開示規定化などに影響を与えた。当時は、アメリカン・デモクラシーの光の部分を積極的に学ぼうと、貪欲だった。ラルフ・ネーダーが創設したNPOである、パブリック・シティズンの訴訟グループのような法律事務所を作りたいと考え、大ロー・ファームとは異なる、公益訴訟を扱う日本型のそれなりの事務所も見えてきた。情報公開法の制定に伴い、情報交換の場として、NPO法人情報公開クリアリングハウスも立ち上げた。1993年当時のアメリカには、ポスト冷戦の時代に、平和・自由・民主主義のために、どのような政策を発案してくれるのか、興味深かった。
その後、日本の行政改革、とりわけ情報公開法制定にかかりきりとなり、アメリカに行く機会もなかった。その制定後、行政改革の延長上に、行政を監視することも視野に入れた司法の改革が始まった。当初は実現不可能と思われた法科大学院が実現することとなった。弁護士増員の是非をめぐり、弁護士会内は割れた。その渦中にあって、法科大学院で法曹養成にもたずさわることとなった。
獨協大学法科大学院では、本年6月、法廷メモ事件の原告として著名な、ローレンス・レペタ大宮法科大学院教授の講演「アメリカにおけるロースクール・クリニックの社会的役割」を催した。レペタ教授は、ロースクール・クリニックと重要な非営利団体とのつながりを示す例として、ジョージタウン・ロー・センターのディビット・ブラディック教授の例を紹介した。同教授は、2002年に彼が専任教授としてジョージタウンに加わる前の25年以上の間を、パブリック・シティズンの訴訟グループで、環境、消費者、情報公開等の公益訴訟の代理人として活動していた。同教授は、ジョージタウン大学では、「公的代理機関」の名称をもつクリニックで、情報通信法、環境法、雇用差別と身体障害者の権利を含む一般公益法の具体的事件を学生に振り分け、実際の事件処理を通じて学生を教育しているということであった。
また、獨協大学では、7月にも、アメリカン大学ロースクールのジェフリー・ラバース教授の講演「アメリカ合衆国における法学教育」を催した。同教授とは、11年前、情報自由法調査の際、行政法についての政策提言をする、アメリカ合衆国行政会議の調査部長としてお会いしたことがある(その後、同教授は、9月には、日弁連行政訴訟センター設立記念シンポジウムの記念講演のために再来日している)。同教授は、米国一といわれるアメリカン大学のリーガル・クリニック・プログラムを紹介した。民事実務クリニック、地域経済発展法クリニック、刑事裁判クリニック、ドスティック・バイオレンス・クリニック、知的財産法クリニック、国際人権法クリニック、連邦税クリニック、女性と法クリニックの8コースが準備されており、ほとんどの学生が受講する。そのコースのそれぞれで、学生がモデルケースと実際の事件とを取り扱い、ディスカバリー、インタビュー、法律文書作成、事実認定、示談交渉、尋問準備、口頭弁論等の手続を実際に経験する。そのために学生が利用するスペースは、まるで実際の法律事務所のようである。また、学生が依頼者から事情を聴取する様子は、ビデオシステムを通じて教授の研究室で写し出され、個別指導のために利用される。クリニック設備も充実していた。獨協大学でも、これから3年の間に自治体やNPO法人とも協働して「子どもの救済・支援リーガルセンター」を立ち上げるが、ワシントンDCの地域でのリーガル・クリニックは大いに参考となろう。以上を、11月の米国調査で実際に確認した。
情報公開法と条例、個人情報保護法と条例、それぞれの法制化にかかわりながら、制定された法律と条例に基づいて裁判をし、最高裁判所には憲法違反を理由に上告する。この方法で日本の憲法訴訟を少しずつ切り開いてきた。最近勝訴した最高裁判所裁判官会議議事録の公開に関する訴訟の東京地裁判決では、「知る権利」に開示請求権的要素を読み込んでいる。20年にわたるそのノウハウを、次世代の法律家にどのように伝えていくか、これまで、もう一つ具体的なイメージがつかめなかったところ、今回のリーガル・クリニック・プログラムの調査で道筋が見えてきた。「社会生活上の医師」として一般市民の生活感覚を大切にした「町の法律家」であると同時に、国際化に伴うグローバルな視野を有した法曹の育成。この教育理念を充実したリーガル・クリニック・プログラムで実践することは、司法制度改革を通じて「法の支配」の実現をはぐくむことにも通じ、ひいては、創造的・建設的護憲論にも結びつくようにも思われた。
米国大統領選挙では、共和党のブッシュ大統領が再選を果たしたが、内にこもりながら自らの生活の安寧を願う南部の人々を中心とした得票率51パーセントの支持者がすべて、新保守主義を全面的に支持したとはとても思えない。しかし、あと4年(4 more year−大統領選の結果が確定するとワシントンDCの新聞では、一様にこのような見出しが出た)、私たちは、自国の自由と民主主義のモデルを軍事力をもってしても他国に伝道しようとする新保守主義者とおつきあいをしなければならない。強固な日米同盟の維持に傾りすぎると、現行憲法の基本原則である平和主義や基本的人権の尊重の定着、具体化よりも、同盟関係のゆえに、無用な紛争に巻き込まれかねないし、異なる基本原則も強調されかねない。アメリカン・デモクラシーの陰の部分にも警戒すべきではなかろうか。ここは慎重に、現行憲法の各条項の解釈運用の「枠」を検討し、司法制度改革の具体化による「法の支配」の実現の過程において、果して憲法改正が必要不可欠なのかも個別具体的に検証することが求められるように思われる。来年は、一体となって、この「問題」に取り組む弁護士会であってほしい。
別表 憲法の制定と付属法による「有権的解釈」の確立
1945年
7月26日 ポツダム宣言
「民主主義的傾向の復活強化」、「言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重」、「平和的傾向を有しかつ責任ある政府」
8月14日 同宣言受諾−民主、自由、平和の方向に向けての改革−国防保安法、軍機保護法、軍用資源秘密保護法、国家総動員法、要塞地帯法等の廃止へ。連合国総司令部は、憲法の大幅な改正の意向。政党や各種団体が改正試案を公表へ(憲法研究会案など)。
10月12日 言論出版集会結社等臨時取締法廃止
10月15日 治安維持法廃止
10月25日 政府に憲法問題調査委員会(いわゆる松本委員会)設置。
12月17日 衆議院議員選挙法の改正−婦人参政権の実現
12月26日 憲法研究会が草案を発表−国民主権、天皇はもっぱら国家的儀礼を司ること、社会権など明記。
1946年
2月13日 総司令部が、天皇の地位、戦争放棄、封建制の廃止の総司令部案を日本政府に手交。
2月26日 国民主権、象徴天皇制、戦争の放棄などを含む総司令部案を起訴として憲法改正を行うことを閣議決定。
3月 6日 憲法改正草案要綱の発表
4月10日 衆議院議員総選挙−憲法改正も争点
4月17日 憲法草案の公表
6月 8日 枢密院が憲法草案を可決
10月 6日 貴族院が憲法改正案の修正案を可決
10月 7日 衆議院が憲法改正案の修正案を可決
10月29日 枢密院が同修正案を可決
11月 3日 日本国憲法公布
1947年
1月16日 皇室典範の制定
1月16日 内閣法の制定
3月13日 請願法の制定
3月31日 教育基本法の制定
3月31日 財政法の制定
3月31日 会計法の制定
4月16日 裁判所法の制定
4月17日 地方自治法の制定
4月30日 国会法の制定
5月 3日 日本国憲法施行
10月21日 国家公務員法の制定
10月27日 国家賠償法の制定
11月20日 最高裁判所裁判官国民審査法の制定
11月20日 裁判官弾劾法の制定
1948年
7月1日 行政事件訴訟特例法の制定−行政事件は形式上、通常裁判所での判断となる。
7月10日 国家行政組織法の制定
1962年
5月16日 行政事件訴訟法の制定
9月15日 行政不服審査法の制定
(いわゆる連立の時代に入り、有権的解釈に変化のきざし)
1993年11月12日 行政手続法の制定
1999年 5月 行政機関情報公開法の制定
2003年 5月 個人情報保護法の制定
2004年 5月 行政事件訴訟法の改正
未制定 憲法改正のための国民投票に関する法律
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