準備会の記録 > 第3回 市民立憲フォーラム準備会記録

第3回 市民立憲フォーラム準備会記録

「中国から見た日本の改憲論議」

金煕徳(中国社会科学院日本研究所 研究員・教授)

(注)<>内は金教授に対し予め提示された質問

<日本における憲法改正論議を、中国側ではどのように理解しているか?>

 中国側が日本の憲法論議を見るときの視点にはいくつかある。そのなかの一つは、日本研究者が見る論議であり、日本の内政・外交安保両面から見る見方である。内政面に関しては、日本の政治勢力の再編過程として見る。90年代半ば頃からの日本を、中国では「総保守化」と見ている。これは、日本の政界を見るときの、中国での一般的な見方である。日本は、55年体制が崩壊した後、村山政権以降、「総保守化」したといえる。現在の日本の政治は、「保革」という争点がなくなっている。「穏健な保守」と「急進的な保守」というような違いしかない。民主党も含めて、「穏健な保守」勢力が「急進的な保守」勢力に押されつつある。

 日本は、「普通の国」になろうとしている。経済大国の日本が、普通に軍事力を持つ普通の国となる時には、対外的には単なる軍事大国となる。世界第二位の経済大国が、その経済力に見合った軍事力を持てば、「普通の国」ではなく、「軍事大国」となる。

 第三国から見ると、憲法改正には二つの側面がある。法的側面と東アジア国際政治的側面である。法的な側面においては、基本的には内政問題である。日本の判断であり、干渉できないし、する必要もない。しかし、国際政治の側面から見ると、単なる内政問題とはいえない。日本は、今まで軍事的に「安心できる」国であった。しかし憲法改正が行われ、軍事大国化していくことは、東アジアにおける政治・軍事的安全保障の形が変わるということである。少なくとも、中国、韓国は、その日本の軍事力に対応するために、軍備拡張を迫られる。日本の側だけで、「普通の国の普通の軍事力」といっても、それは必然的に北東アジアの安全保障関係の変化をもたらすのである。

 このような国際関係を踏まえれば、日本の憲法改正問題は、結局、「日米安保」と「日本とアジアとの関係」の問題である。戦後日本は、安保面では、アメリカとアジア双方との関係において中間をとった。対米的には日米安保、アジアに対しては専守防衛を掲げることで均衡を保ってきた。

 今後日本が、日米安保に重点を置き、集団的自衛権の行使を前面に押し出すのであれば、アジアとの関係を考え直さなければならない。反対に、現在の東アジア地域情勢から「今の軍事力で十分だ」とし、むしろ「日米関係を見直す」、「アジアの共同体をつくる」ということになれば、全く違った方向へと向かうことになる。現在日本は、非常に重要な政治的外交的な転換点にあるといえる。

 上記を基本として、私の問題提起を行いたい。現在の日中関係を分析すると、プラスとマイナスの要因が挙げられる。マイナスの要因は、歴史問題と台湾問題である。歴史問題はまだ解決していない。台湾問題と日米同盟は一体のものである。中国にとっては、台湾問題があるから、日米同盟が懸念の対象となる。台湾問題がなければ、日本が軍事大国化してもあまり問題ではない。アメリカは、日米安保を台湾問題介入への最大のカードとしている。

 歴史問題も、日米安保、台湾問題が関係している。安全保障問題において、日中間である種の合意が出来て自衛隊と解放軍の交流がなされ、軍事技術も協力するほどに日中間の関係性がよければ、歴史問題は解決しているはずである。しかし、日本には日米安保に基づき中国を仮想敵として規定し続けるという構図がある。日米対中国という構図がある。アメリカは中国を、21世紀最大のライバルだと規定している。歴史問題は、歴史だけでなく、現在の問題である。

 中国にとって、日本が軍事大国化するということは、対アメリカとともに対日本も考えなければならなくなる。中国にとっては非常に脅威である。憲法改正は、日本の内政問題である以上に、国際的な政治問題なのである。

 日中関係の問題点は、中国側にもある。中国は今まで、指導部が国民をコントロールできた。国民は、何も知らされなかったし、何も発言できなかった。しかし、現在は、インターネット等と通じて民意が前面に現れるようになっている。現在は8000万人、世界第2位のインターネット人口だが、将来的にはこれが2億、3億となる。3億人というものすごい民意の存在を指導部は意識しなければならなくなってくる。

 日本人観光客による売春事件や西安の演劇騒動なども重なり、現在中国人の対日感情は非常に悪化している。尖閣問題でも、中国人の一部が、日本の右翼のような行動を行なうようになっている。かつては、指導部が意見をコントロールできた。しかし、政府の抑制が効かなくなっている。しかし、それは日本や他国も同じことであろう。

 中国政府や研究者は、外交問題を非常に冷静に見ている。靖国問題についても、考え方が変わったわけではなく、冷静に対応しているだけである。国民はすぐさま感情的に反応する面もある。一部の人間が感情的に世論を動かすのは日本と同様だろう。しかし、中国政府や研究者は非常に冷静に一定の考えのもとで、日中関係を見ている。

  憲法問題については、結局は9条問題である。9条以外の「どこをどう改正する」については関心がない。環境問題、地方自治など様々言われることがあるが、それに関しては中国は全く興味を持っていない。しかし、9条以外を変えることが、なし崩し的に9条変えることにつながると考えている。憲法論議の焦点は間違いなく9条問題である。

 現在、日中関係は「政冷経熱」の状態である。政治的な日中関係は非常に悪い。しかし、経済関係は非常に良好である。2003年の日中貿易額は、1300億円となっている。日米貿易は1700億円だが、近いうちに貿易の中心は日中間となる。日本と中国大陸、香港、台湾との貿易額合計で、日米貿易額を既に超えている。現在、日中間では毎年100億から200億ずつ増えている。経済関係は非常に良いのである。

 この「経熱」という状況が、日中の政治関係悪化の歯止めになっている。中国も日本もお互いに「離れられない」ことを知っている。中国にとっても日本の投資が必要であり、日本の景気回復も中国に頼っている。対中貿易・対中投資がそれを支えている。日中お互いに相手を必要としているのである。

<改憲は、中国に対し、また日中関係に対しどのような影響を与えるだろうか?>

 こうした状況のなかで、日本が憲法改正に踏み切るとどうなるか。一つは、中国世論で、対日脅威論が高まる。

 二つ目に、日中関係において(日本側が)「歴史問題」「台湾問題」に対して強硬な態度にでる可能性が高い。昨年、日本は、中国に何の説明もなく、台湾で72年の国交正常化以来31年ぶりに天皇誕生日を行った。同じ時期、森前総理が台湾訪問を行っている。今日既にこのように中国の主権を完全に無視したような行動を行っている以上、憲法を改正し、大きな軍事力を持てば(日本側が)さらに高圧的な態度に出ることが予想される。

 このような強硬な態度は、日中関係においてかつてない事態である。(国交回復を機とする)72年体制というのは、歴史問題と台湾問題で合意したことによって成り立っている。この二つを合意することによって、初めて国交正常化が成り立っているのである。日中関係は、この約束を守ることで、30年間維持されてきた。今になって「そのような約束を結ぶべきではなかった」といった強硬論が(日本側に)出ている。日中間の諸問題に関しては、(中国側は)中国が譲歩したと思っている。しかし、最近では(日本側が)日本が譲歩したのだと言い出している。30年前に議論を戻そうとするこのような議論は、中国側にとっては到底納得できることではない。

 三つ目は、現在、中国政府は、民間が騒いでも比較的冷静に対処している。しかしこのような日本の対応にいつまで冷静に対処できるか分からない。すでに中国国民は感情的に反発している。

 四つ目は、日米主導による武力行為が行われる可能性は十分にありえるということである。日本は、その準備を着々と行っている。米軍に協力できるように様々な法整備を行っている。中米間で起こった武力衝突のときに、軍事的に米軍へ協力するために、今急いでいるのである。

<日本と韓国などアジア近隣諸国との関係に対してはどのような影響があるだろうか?>

 韓国については、ほぼ中国と同じ見方はである。政府国民ともに言えるであろう。東南アジアは、直接的に軍事的衝突の可能性がある東北アジアと距離的に離れている。東南アジアは、日本、中国、アメリカと政治的なバランスをとっている。東南アジアにとっては、日本と同様、中国も脅威である。日中両国が軍事大国化することに懸念しているのである。 

<日本国憲法で謳っている「戦争の放棄」「戦力の不保持」(日本国憲法9条)は、現時点においても、中国、韓国などアジア諸国と日本との関係に対して重要な意味を持っていると考えるか?あるいは、周辺事態法、有事立法などの”戦争法規”や自衛隊のイラク派遣決定などの積み重ねによって、この憲法規範は既に有名無実化しているのだから、たとえ「自衛力・自衛戦争を認知」するような改憲がおこなわれても、日中関係などに実質的影響を及ぼすものではない、と考えるか?>

 中国から見れば、まだまだ憲法9条は重要である。決定的に日本の政治的外交政策の歯止めになっているし、周辺諸国に安心感を与えている。

 「すでに海外派兵までしているではないか」という議論は成り立つが、やはり9条は重要である。たとえばイラク派遣についても、9条があるから「復興支援」しか出来ない。もし9条がなければ、何の議論もなく堂々と派兵しているだろう。この歯止めがなくなれば、どうなるか分からない。

 日本の政府を、戦前と区別できるのは、9条があることである。状況は、戦前と同じようなことになっている。政治家の一部は、太平洋戦争を「自衛戦争」だといい、またそうした一部の政治家は有力な政治勢力となっている。その意味で、そのような戦前回帰的な発想の政治家たちが多数存在する政府に対して、9条は未だ非常に大きな役割を果たしている。

 民主党もすでに改憲派である。民主党は憲法9条に関して明確な表明を行っていないが、将来はどうなるかは分からない。現在は、改憲派にとっては、有利な状況にある。

 改憲論議の核心は、対米協調であり、集団的自衛権の問題である。現在の改憲派は、対米協調しかない。米国が軍事力に頼らなくなるか、東アジアの安全保障が非常に良くなり、しっかりと安定して米国主導の「安全」ではなく東アジア主導で地域が安定すれば、改憲、集団的安全保障の議論は必要なくなる。

<日本における憲法の在り方を、そもそもどう見るか?即ち、(憲法に限らず)日本では法があっても法として十分には機能しておらず、「法の支配(法治主義)」が空洞化しているのではないか?「法治」ではなく人間関係・権力関係、ないしは政治権力者・官僚による裁量的支配がまかり通る「人治」の政治体制であるといえないか?そして、この空洞化傾向が、近年、特に小泉政権下で、軍事・安全保障政策に関してますます顕著になっているとはいえないか?したがって、改憲の動きも、憲法の条文自体をどう変えるかということより、憲法の有名無実化を、より徹底していくことといえるのではないか?>

 憲法の法的な解釈について、個人的な、中国人の一日本研究者としての意見では、自衛隊は憲法違反である。しかし、自衛隊は存在している。政府はなんとか自衛隊が憲法違反でないことを説明しなければならない。現在でも自衛隊を軍隊であるとは言えないのである。その意味でも憲法の規制が生きているといえる。そして現在、集団的自衛権は行使できない。9条はしっかりと機能している。「海外では武力行使はしない」こと、これは確実に機能しているのである。

 日本の憲法問題は、他の国と安易に比較できない。日米関係、占領政策、冷戦等々、超法規的前提がさまざまにあった。戦後、日本の独立はアメリカに握られていた。主権というのはそもそもなかった。法治主義も人治主義の議論も成り立たないのである。そのような議論を超えたところに日米関係がある。悪く言えば、日本はまだアメリカから独立していない。安保条約がある以上、アメリカには従わざるをえないのである。

 現在も、憲法の上に「日米安保」が存在している状況にある。日米関係は、憲法問題よりも大きな問題となっている。日本自身がまず日米関係を考え直さなくてはならない。法治・人治の議論の前に、日米安保問題を解決せねばならない。日米安保が錦の御旗となって、それを片手になんでもまかり通ってしまう。憲法の議論をする前に、日米問題を解決しなければならないのである。

 この根本的な問題で、民主党は自民党に対抗できない。日米問題は解決できないのである。自衛隊を軍隊であると言われて、何も反論できない。周辺事態法も曖昧である。イラクへのアメリカの先制攻撃を支持することに何もいえない。核武装論も堂々と出てき始めている。イラク特措法についても同様。国連決議なしの武力行使を容認し、「国際社会」への貢献をアメリカへの肩入れと同一視している。国際社会が分裂しているのに、「国際貢献」だという。日本でしか通用しない「非戦闘地域」を語り、テロへの反撃は武力行使ではないという。すべての問題は、日米安保へと帰着しているのである。

 憲法9条は、日米安保条約とかかわる問題である。憲法が空文化している、いないの問題ではない。その意味で、憲法改正は、国際問題においては大きな問題でもある。

 戦後日本外交の強みは、平和路線・専守防衛である。日本外交で誇れるのは、平和路線とODAであった。その点を強調することができた。それがあるから中国にたいしても批判ができる。中国が核実験を行ったとき、日本は抗議し、ODAを削減した。中国は、理論的な反論はできなかった。しかし現在、ODAは削減され、平和路線を放棄しようとしている。

 日本外交の弱点は、歴史問題と対米追従である。アジア諸国と歴史問題において解決していない。外交問題においては、常にアメリカと一体となっている。日本は国際的に独自のファクターとみなされない。日本が国連の常任理事国になれないのは何故か。日本が入ってもアメリカの票が増えるだけだと国際社会からみられているからある。国際社会はそのことに意義を見出さない。日本を独自の国際的ファクターとはみなしていないのである。

<「法治」より「人治」にもとづく日本の政治の実態を、中国と比較するとどうか?どちらの国が、「法」が「法」としてよりよく機能していると言えるだろうか?>

 中国は、他の先進諸国と比べると、現在はまだまだ発展途上にある。中国には、確固とした法体制が整っていない。中国は、現在国作りに没頭している。不正を告発し、国民参加型の法律がどんどん整備されている。まだまだ、法的には、日本その他の先進国には及ばない。しかし、確実に成長している。

 90年代から現在に至るまで、中国と日本の戦略・国のあり方は、正反対を向いている。日本は、軍事大国を目指し、中国は、経済大国を目指している。戦後日本が行ったように、中国は今、経済発展を望んでいる。そのために、中国は、市場開放を目指している。日本は、閉鎖的な発想に陥っている。日本は、海外派兵が国際貢献だとしているが、中国はとにかく経済発展を目指している。そのために中国は、軍事的側面を極力押さえようとしている。軍事的対抗を避け、「平和台頭」を掲げている。

 歴史的には、軍事的に挑戦しようとすると、必ず敗れている。ソ連、ドイツ、日本などなど。中国は軍事的に目立たないように国際社会に台頭しようとしているのである。

 比べてみると、日本は、トップが法律を守らず、国民は法律を守る。中国は、トップが法律を守り、国民が法律を守らない。

 結局憲法9条問題は、内政問題であると同時に、国際関係問題である。少なくとも周辺諸国はそう見ている。日本の政治が「総保守化」している現在、政治がバランスを崩し、国民の選択の余地が狭くなっている。そのことが、国民が憲法議論に参加しにくい原因となっている。

質疑応答

安藤 「憲法の上に日米安保条約がある」ということは、日本の憲法学者なども指摘してきたことである。安保条約については締結当初から、「何を守るのか」について二面性があった。即ち、「日本を(共産圏諸国から)守る」ことと、「(侵略を受けた)周辺アジア諸国を日本から守る)」ことである。米国は、アジア諸国に対しては、後者を強調してきた。

 金さんは、日本における憲法論議に関連して「対米追随」を指摘され、日本が米国との協調関係に引っ張られ過ぎているという考えを示された。しかし、改憲論は必ずしも対米追随、あるいは米国との協調関係の中から出ているわけではない。特に日本の右翼勢力は、むしろ「対米追従からの脱却」をいいつつ改憲を唱えている。

 金さんは、「日米関係を考え直すことが、日本の対外関係を考える上でも、憲法を考える上でも重要である」と話されたが、日米同盟の一つの側面である「日本から守る」ということに関連していうと、「対米追随を止める」ということは、端的に言えば日本の軍事面の独立であり、さらにそれは、現代の軍事技術と軍事費負担の合理性からして日本の核武装につながることになる。よく知られているように、日米安保の実質は、「日本非核武装条約」なのである。

 金さんは、日本の核武装を容認されるのか?

 現在日本の改憲派は、様々な意見が合流して成り立っている。日米安保を理想的と捉える「親米国際派」もいる。日米安保に頼り、憲法9条を守り、アジアに安心感を与える国に留まるという意見の「親米平和論者」もいる。これが、戦後日本の基本的な政策である。これは、改憲派ではなく、現状維持派である。これならば、中国その他の国は安心できる。

 「対米追随」も一様ではない。上記のような現状維持型の対米追随であれば、中国・韓国には、現在以上の懸念は生まれない。しかし、現在なされている議論のなかには、「対米追従しながら憲法を改正する」との主張がある。これは、中国側にとっては非常に懸念すべきことである。

 もし、日本が本当に「脱米」し独立武装する、アメリカから独立した日本が独自の軍事力を持つということであれば、核武装は別として、一定の理解はできる。日中韓の関係でも受け入れられる。その権利は日本にもあるし、他国が文句を言うことではない。しかし、現在の流れはそうではない。対米追随のまま改憲しようとしているのが問題である。

 アメリカは、アジアにおける日本の立場について、全く関心がない。対米追従の原則がある以上、日本の改憲は、アメリカにとっては何の影響もないのである。日米安保の「ビンのふた」論は、90年代前半までは存在していた。しかし、1996年の日米安保再定義において、「ビンのふた」が外されてはじめている。現在アメリカは、憲法改正、日本の軍事化、核武装化を容認している。

 民族派・右翼が唱える「反米・改憲」については、「脱米」ということでは、アジア諸国同士での冷静な国家間の話し合いができるかもしれない。しかし、反米を唱える連中は、中国を初めアジアと協力するつもりは毛頭ない。彼等は、「反米」と同時に「反中国」でもあるのである。

 中国が望む選択肢は、二つある。一つは、「現状維持」である。「あいまい」「対米追従」という批判もあるが、少なくとも「専守防衛」が存在している。アメリカと一体であっても、「戦争を行わない」という前提があれば、一定の安心感は与えられる。

 しかし、より望ましい選択は、日米同盟を冷静に合理的に解決しながら、アジア諸国との関係を外交的努力によって改善することである。現在、アジアとの関係改善への努力を全くしようとしていないのである。

小塚 二つ質問をします。一つは、特に朝日新聞が取り上げているのだが、中国のジャーナリストなどから、「歴史問題にこだわるな」、冷静に「中日友好」の議論をすべきである、「過去を忘れろ」というような意見が出ていた。これについてどのように考えるか。

 もう一つは、中国のアメリカに対しての見方について。金さんは、アメリカに対して批判的でありましたが、中国にとってアメリカは、日本とは逆に、歴史的に同盟関係にあった。アメリカは一度も中国本土へ攻め込んだことはなかった。その点では、中国国民はアメリカに対して、日本よりも、親近感が強いのではないか。

 日中関係における歴史問題に関する政策論議は、何度も波があった。50年代、日本と国交正常化する前、毛沢東政権は、「歴史問題をある程度抑えて」戦争賠償の放棄を決めていた。冷静で前向きな考え方である。72年、国交正常化の際に、日本が反省・謝罪の意思表明を行えば、賠償問題を放棄するとした。その考え方は基本的に変わっていない。

 しかし、日中政治関係が悪くなると、その問題が蒸し返されてきた。教科書問題(82年、86年)、中曽根靖国参拝問題(85年)、閣僚の失言問題が起こった時に、このような事態に対して、日中間でどのように対処するのかルールが決められていなかった。中国側での考え方は変わっていないが、日本の態度に対しては、その都度対応するしかなかった。

 中国では、99年あたりで、「歴史問題に関しては、対日反応を最小限に抑える」という国内的・政策的な合意が出来た。その後、人民日報評論員(2002年末当時)馬立誠さんなどが、歴史問題を「最小限」、ではなく「ゼロ」にする、「歴史問題を無くす」ことを「対日新思考」だとして提案した。しかしこの提案は受け入れられなかった。2003年夏ごろまでにいわゆる「対日新思考」をめぐる論議は決着している。歴史問題は、「最小限」であるべきであるが、「ゼロ」には出来ないということに落ち着いているのである。

 中国の対米認識は非常に複雑である。中米関係の要因は、経済、戦略、体制の三つが上げられる。

 端的にいえば、経済関係は非常に良い。日中の経済関係も良いが、それ以上に中米の経済関係はさらに良い。アメリカからの長期的直接投資が本格的に行われている。アメリカ、欧米は、着実に中国に入ってきている。

 中米関係が、ギクシャクしながらも一定のところで安定しているのは、経済関係が良好であるからである。最近、日本の経済界は、利益団体として政治に物を言わない。日中国交正常化のときは、日本の経済界は、「国交正常化すべきだ」と政治に決断を迫った。最近は、日中関係が悪くなっても、経済界はなにも言わなくなった。靖国問題でも何も発言しない。日中関係が悪くなるから「ヤメロ」と言わない。一方アメリカでは経済界が、中米関係を悪化させないために、どんどん政治に圧力をかけている。アメリカの軍需産業は中国を叩きたいかもしれない。しかし、他の経済団体が中米関係の重要性を良く分かっているのである。

 北京―上海間の新幹線建設で、日本が受注できないでいるのは政治がからんだ問題だからである。ドイツやフランスの大統領・首相は、直接何度も中国を訪れている。技術は日本がいい。しかし、政治関係が悪化しているから、中国の政府はいま日本と契約することは出来ない。国内世論が反発するからである。新幹線の問題は確実に日本の政治家が足を引っ張っているのである。

 中米関係における「戦略」の問題は、アメリカで揺れている。中国を仮想敵として見なすか、中国と手を結ぼうとするのか。経済関係の結びつきから、現在「中米友好」の方向へ傾いている。「ネオコン」的発想ではなく、穏健派が力をもつことになっている。アメリカは、日本と中国を一緒に見る。日本の景気がよければ、日本と手を結び、中国の景気が良くなれば、中国と手を結ぶのである。つまり、将来アジアで有望な国と戦略協力をしていく。

 「体制問題」に関しては、唯一残った社会主義体制として、米国は中国を敵と見なしていた。しかし、ソ連・東欧のように社会主義体制がそう簡単に崩壊しそうにないことが分かってきた。アメリカは、非常に合理的で現実的な国である。抑えようのない大国中国とは、手を結ぶのである。近年、アメリカは中国の人権問題を余り指摘しなくなった。米中関係を重視するようになったのである。

 端的にいって、中国人はアメリカが大好きである。しかし、政治的に反発することもある。日米安保再定義の時、中米関係は非常に悪くなった。アメリカは日本とともに台湾問題で攻め込んでくると考えた。ユーゴスラビア空爆の際は、中国大使館を爆撃した。空軍の接触事件も起こった。しかし、9・11以降も、中国国民の対米感情は良いものである。

須田 日本は、アメリカと一緒の方が脅威であるとして、独自の政策と独自の軍事力を持った方が良いという点を詳しく、また、その時、潜在的脅威としての「最小限軍事力」という概念があるかについて伺いたい。

 もう一つ、戦後平和憲法が制定された後も、中国の方は、9条があったとしても「日本は必ず侵略するに違いない」と述べている。つまり、基本的に日本は信用されていない。それを踏まえて、現在世界で第何番目かの軍事力・自衛隊を持っている。それでも「憲法9条が歯止めになっている」という。これはかなり精神的なものではないか。

 最後に、インターネット普及に触れられていたが、そのことで、台湾の人々や、周辺地域の人々が、「自分たちの地域を治める」ことを求めるかもしれない。それについてもお願いしたい。

 結論から言うと、私は日米同盟よりは「脱米入亜」した日本が望ましいと思ってる。その場合、日本が独自の外交戦略を持ち、独自の軍事力を持つ方がよいと思う。しかし、現状を議論する時には、今や日本は「日米同盟強化」へ傾いている。つまり「日本独自の外交・安保政策を持つ」という議論が、そもそも現実味を持たないのである。日米は常に一体となっている。先ずは、アメリカと距離を置く政権が成り立たねばならない。自主独立を語るならば、まず「脱米」を語らなければならない。とりあえず独立、独自の軍隊をというのは話にならない。その意味では、「現状維持の方がマシである」と考えてしまう。

 「最小限の軍事力」については、日本の国の問題であるから、何ともいえない。外国からすれば、脅威を与えない程度であるべきだとするのは当然である。

 現在中国は日本を脅威だとは思っていない。中国にとって脅威はアメリカである。強大な軍事力を持つアメリカに、日本が協力することを警戒しているのである。周辺事態法の「周辺」とは、台湾である。中国からすれば、日本がアメリカと世界中で軍事行動を共にしても、台湾以外ならば問題ではない。日本が、台湾問題に関しては中立であるならば、全く警戒はしない。しかし、日本は台湾問題でアメリカと共同で軍事行動を行うことを宣言している。これが、問題であって、日本が徹底的に台湾問題で中立であることを宣言すれば、中国および中国国民にとっても脅威とはならない。しかし、現実的には決してそうはならない。

 台湾問題については、現在の状況を変えるべきではないと思っている。グローバル化のなかで、国境の意味はなくなりつつある。政治家である以上、業績を残したいと考える。陳水扁は、それを政治的に利用しようとしている感がある。台湾の人々をはじめ、中国、韓国、日本、アメリカすべての周辺諸国は、現状維持を望んでいる。将来的には、地域的統合もありえるし、現在なにか変化を起こす必要はない。

黒河内 アジアにおける地域的統合について、中国の政府や研究者の中でどのような議論がなされているのか、についてお聞かせいただきたい。

 加えて、わたくしのほうから、先ほど金さんが、「日本は『総保守化』している」と指摘されたことに対して、若干の反論というか意見を述べたい。

 日本の改憲論は様々あるが、一番良識のある一般的な「保守派」(私もそこに属すると思っているが)は、「自衛隊が、他の国と同じように国連の平和維持軍に参加でき、自己防衛のための最低限の武器使用も認める。他国の軍隊のお世話にならずに、自分の身を守ることができるようにしたい」というのが、素朴な一般的、常識的な改憲論ではないかと思う。

 集団的自衛権の行使が可能かどうかということに関しては、憲法問題ではなく、解釈の問題であり、憲法問題とは切り離して考えた方が良いと思う。

 地域安保体制問題に関して、中国の考え方は変わってきている。内部での政策論争も激しく、中国は急速に変わっている。地域政策についても、97年の金融危機以後、中国は、二国間主義から地域主義へと転換した。これは、「地域のために」ということではなく、地域主義こそが中国に有利であると認識しているからである。地域主義は、経済関係を指していたが、現在は安保問題についても含めて考えるようになっている。将来的には、中国が、アメリカ、日本と一緒になって、東アジアでの安保体制を確立することに賛成である。今回の朝鮮問題・六者協議を継続しようとしている。継続的な協議を続けていくことには、非常に重要な意義がある。

 中国は、中国に不利な形でなければ、東アジアでの安保体制の確立に抵抗はない。中国は「対等性」を強調している。あらゆる国(アメリカも含む)との「対等性」が存在すれば、東アジアでの安保体制への協力は可能である。

安藤 前の「総保守化」に関するコメントに上乗せするかたちでお聞きしたい。日本における憲法改正論議は、すべて「悪」、「合理的な議論は存在しない」とお考えなのか?

 日本が「普通の国家」になろうとしていることに理解している。このことは問題ない。健全な形での改憲はありえることである。

 中国の利益からすれば、日本が対米追従的な集団的自衛権を否定して軍事力を持つことには、理解ができる。

後藤仁 私は、日米同盟にはそれなりに根拠があると考えているので、文化的、経済的、政治的、軍事的に日本は日米同盟から離脱できないと考えている。しかし、もし「離脱」があるとしたら、米中で戦争が起こった時であろう。「列島(日本)無事」で「両岸(中国・台湾)有事」の時に、日本は、米国と同盟関係だからといって、中国に攻め込めるかというと、日本の近い歴史の教訓から、簡単には攻め込めないと思われる。そのときには、日米同盟を放棄するしかなくなるのである。

 結局、「対米協調」がいけないのではなく、米中戦争が起こった時に、日米同盟に従って、日本は中国と戦ってはいけないということになるのではないか。ここで歯止めがかかっていれば、つまり米中関係が有事にならなければ、日米同盟と日中友好は両立するということではないか。

 全くその通りだと思う。中米関係は、冷戦崩壊後、まだ戦略的な危機を乗り越えられていないのである。問題なのは、中米関係であって、日本を懸念する必要はない。中国からすれば、日本の憲法問題は、米中の国際関係の中でしか考えられない問題なのである。この点を理解しないと、日本の政策に対する中国側の反応というものが全く理解できなくなってしまう。

江橋 金さんは、中国が経済的な地域主義に加えて、政治的な地域主義も考えているという。しかし、それは可能なことであろうか。例えば、フランスの核兵器開発には、ドイツが相当資金を出している。だから、フランスの核兵器は、ドイツとフランスの共同管理にある。中国が自分の金で独自に開発してきた核兵器において、核兵器不使用や地域における共同管理といったことに、果たして踏み切れるのだろうか。軍事的な面を考えると、アジアにおいては経済的な地域化が進んでいき、政治的に多元的であり続けるであろう。それに対応するために、政治的には、「いかにその摩擦をなくしていくか」ということしか考えられないのではないか。

 アジアでは、歴史的に、文化的に、共同の「対等な立場における地域主義」というのは成り立たないのではないだろうか。

 「成り立つ、成り立たない」の問題ではなく、「中国の姿勢が変わってきた」ということを指摘しているだけである。現実的に、本質的に、「中国の中身がどこまで変わったか」ということを議論しているわけではない。東アジアの地域化が、すぐさま可能かといえば、それは不可能である。百年かかるかもしれない。そうではなくて、中国が、そのような方向性へと考え方が変わってきたということである。かつて中国は地域主義を否定していた。中国にとって不利になると考えた。しかし、現在、少なくとも「どのような発展が可能か」という議論を、「国際的・地域的にやっていこう」、それが中国の国益になると認識していることは確かなのである。

以上

(2004年1月30日@行革国民会議事務所)

ページの先頭へ

 
 
 
 
 
 
 
Copyright (C) 2004 市民立憲フォーラム All Rights Reserved
市民立憲フォーラム 発足にあたって 設立記念討論会 憲法調査会の動き リンク集 トップページ
市民立憲フォーラム 発足にあたって 設立記念討論会 憲法調査会の動き リンク集 トップページ