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第18回 市民立憲フォーラム 第1部

国民投票法制度の誕生に関する疑問

江橋崇(平和フォーラム代表)

  

 次回の市民立憲フォーラムで国民投票法について高見勝利先生のお話が予定されていますので、今回私は、国民投票法についての考え方についてお話したい。
  高見先生のお話については、国会図書館のHPに、憲法改正についての文章を二つ掲載しているので、それを参考していただければと思う。

1.国民投票制度とは何か 憲法制定過程に関する大きな議論

  日本国憲法で「国民投票制度をつくった」ということについて、国民主権の立場からの説明が少し美しくなりすぎているのではないか、というのが私の考えである。憲法改正を国民投票にかけるという考え方は君主制でもありえないではない。現に、美濃部達吉博士や川村又介博士は天皇主権の大日本帝国憲法においても国民投票がありうるという主張をしている。こうしてみると、日本国憲法の国民投票も、当時の主権論との関係で、もう少しリアルに物事を考えた方がいいのではないかと思える。レジュメでは大きな議論、小さな議論が必要だと書いているが、私も元マルクスボーイの唯物論者だったので、大きく社会関係を考えて、国民主権の国民投票と言う考え方を支える現実的な社会的な根拠がないのであれば、いかに国民主権にあこがれようとも、ありえないことはありえないと思っている。これが大きな議論といっているものだ。
  まず始めに、GHQが憲法改正に手をつけたとき、どの程度各国の憲法を知っていたのかということを考えたい。つまり、もともと憲法に関する知識が限られていた軍人集団であれば、比較憲法的に見て妥当な正しい判断などができないことになる。つまり軍人さんが憲法のことを知っていたのかという大きな枠組みの問題がある。
  今日では有名な話だが、GHQのベアテ・シロタが、憲法改正作業に参加せよと言われたときに、最初に東京帝国大学図書館等の都内の図書館を回り、各国の憲法を集め、それがGHQ民政局では大変評判で引っ張りだこになり、皆がそれを参考にして憲法草案つくりの作業が進められたというのが逸話となっている。これは、当時の関係者によるGHQ内部の有様の直接の目撃証言であるので、ここから考えていくことにする。(参照:ベアテ・シロタ・ゴードン『1945年のクリスマス』(柏書房、1995年))
彼女がはじめに集めた憲法は、アメリカ憲法だったそうだ。東大であろう、都内の図書館から持ってきたものの筆頭が、アメリカ憲法であったといっている。アメリカ憲法は自分がGHQに持ち込んだ憲法だということになっている。アメリカ憲法に気づいて図書館から没収してきた彼女は偉いが、GHQは、日本を占領したときにアメリカ憲法も持っていなかったということになる。アメリカ憲法ももたないで日本を占領したGHQとはいったい何なのか。こういう人々に日本の憲法をいじくる資格があったのか。ベアテ・シロタは、自慢をしたためにGHQの名誉を大きく傷つけている。
 続いて、マグナカルタに始まるイギリスの一連の憲法ももってきたと述べている。イギリスには憲法典がないので、「イギリスの一連の憲法」が何を指しているのかはわからない。実際に持ってこなかったものを自慢話で話してしまったのだとしたら、こういう間違いは起きるけど、イギリスの憲法を本気で探したのであれば、それがないことを知ることになるから、こういう間違いは起こさない。つまり、ベアテ・シロタは本当にイギリス憲法を探したのかが疑わしいと思う。実際には、もっと単純に、書庫に並んでいる憲法の本を手当たり次第に持ってきただけなのではないか。
 そしてワイマール憲法、フランス憲法、スカンジナビア諸国の憲法、およびソビエトの憲法がある。これらが、GHQが当時見ることのできた憲法のすべて、ということになる。このベアテの集めた憲法典のほかに、GHQに憲法について特に知識のある人がいて、各国憲法をそらんじていたとも思えないので、おそらくこれだけの憲法を参考にして日本国憲法を起草したのだろう。
  では次に、当時これらの国の憲法のうち、どの国の憲法が憲法改正の手続きにおいて国民投票制度をとっていたのだろうか。高見先生の議論は1970年代ぐらいまで期間を延長して各国の国民投票制度について議論しているが、ベアテ・シロタらが見ていた資料は、1946年当時の資料である。この当時において、どの国の憲法に国民投票制度があったのか。さらに言うと、日本には戦争中には情報が入っていなかったので、1930年代のいわゆる戦間期ヨーロッパの憲法までしか手に入っていなかった。そうすると、1930年代までの各国の憲法で、どこが国民投票制度を採用していたのか。
  もちろん、アメリカ憲法には国民投票の規定はない。イギリスには憲法典がない。ワイマール憲法にもソ連の憲法にもない。スカンジナビアの憲法にもない。国民投票の制度があるのはフランスの第三共和国憲法だけである。結局、日本が参考にできた憲法では、国民投票制がなかったのだ。
当時、このことがどのように理解されていたのか。これがわかったのは、芦部先生や高見先生も関わって編集した『日本国憲法制定資料全集』(信山社)が公刊されたからである。これには当時、日本側で憲法改正にあたった作業の資料が復元されている。その中に入江俊郎という法制局官僚が持っていた資料が載っており、それによると昭和20年12月ごろ内閣の憲法調査会がこの問題について調べている。そして若き憲法研究者の佐藤功教授たちが、君主制の国の憲法改正手続きの一覧表をつくっている。ベルギー、旧プロイセン、イタリー、オランダ、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、旧トルコ、ユーゴスラビア、バイエルン、旧ロシアが検討されているが、国民投票制度を採用している国はない。また、彼らは、勢いあまって、君主制ではなくなった時期の、メキシコ、エストニア、ユーゴスラビア、ポーランド、ラトヴィア、ルーマニア、トルコ、チリー、アルバニア、ギリシャ、リトアニア、エクアドル、スペイン、ヴェネズエラ、ポルトガル、オーストリア、ソ連、アイルランドなども研究したが、ここでも国民投票制度を採用しているのは数カ国に過ぎなかったつまり日本側は、いろいろな国々の憲法改正手続きがどうなっていたか、そこに国民投票が採用されているのは数カ国であることをよく知っていたのである。
 一方、占領軍は、こういう事情を知らなかったと思われる。その知らなかった占領軍が国民投票制のある憲法をつくった。日本側がつくった資料を見ればすぐにわかるが、国民投票制度を伴う憲法改正手続きをとっていた国はごくわずかである。フランス第三共和制や戦間期のヨーロッパ、ラトビアやリトアニア、ギリシャでは憲法改正に国民投票をつけている例があるが、伝統的な国、とくに北欧を含めた君主制の国ではそうした国民投票の手続きはない。
 ではGHQは、国民投票制度というものをどこの憲法を参考にして持ってきたのであろうか。つまり、主要国が憲法改正における国民投票を想定していなかったにもかかわらず、GHP憲法草案にはそれが入っているという、何とも不思議なことがなぜおきているか。私は、それが、フィリピンの1935年憲法だと考えている。このフィリピン1935年憲法こそ、議会の特別多数決プラス国民投票と言う、当時の世界ではごく珍しかった憲法改正手続きを採用している憲法であったからである。
 この憲法は、アメリカの植民地だったフィリピンを独立させるために、アメリカ議会が制定したアメリカの国内法である。この憲法は、1941年末の日本軍の侵略によって停止され、第二次大戦後は新憲法に変わったが、GHQの高官には、元フィリピン総督の息子で、フィリピン事情に精通しているマッカーサー元帥がおり、その部下には、元マニラ市で弁護士業務をしてきたホイットニー准将など、第二次大戦をマッカーサー司令部の幕僚で過ごしてきた、いわゆる「バターン・ボーイズ」という、フィリピン事情に明るいフィリピン通のスタッフが多数いた。彼らにとって、1935年のフィリピン憲法は、アメリカ議会を通過したということで、アメリカの憲法論の水準を確保していることが証明された、良いモデルであったろうと思う。こういう憲法を記憶していたか、あるいは、飛行機では数時間の距離であるから、何かの折に取り寄せたということは十分にありうるのである。
 ここで、憲法改正手続きのタイプについて整理してみたい。基本パターンとして考えてみると、まず始めに、議会の特別多数決で決めるというパターンが挙げられる。普通の法律よりは少し重く、三分の二や四分の三などの賛成が必要とされる。次に、議会不信の思想が強くて、憲法改正を議会だけに任せないで、議会の議決プラス国民投票を行うパターンがある。その際には、おおむね、憲法改正案についても普通の立法と同じく単純過半数で議会が決めたものについて国民投票でエンドースするというものが多い。三つめに、イタリアなどいくつかの国がそうだが、議会による憲法改正と、国民発案に基づく憲法改正という二種類の憲法改正手続きを並立させているパターンの手続きをもつ国がある。その場合、議会側がつくる憲法改正案は特別多数決で決まり、国民投票は必要ない。国民発案の場合は国民投票にかけられ、そこで可決されれば決まるという、日本の地方自治体で行われている条例制定のような改正手続きがある。四つめに、少しひねくれているが、憲法の全面改正には国民投票が必要となるが、部分改正の場合は議会の議決のみでよいと分けるパターンがある。そして五番目に、これが日本国憲法だが、いかなる場合も憲法の特別多数決に加えて国民投票を求めるというパターンがあり、これはほとんど例がないということになっている。
  これが憲法改正についての大きな議論である。いったいGHQは何をモデルとしたのか、何がモデルになりえたのか。憲法改正手続きの条文に関しては、それは、実はフィリピン憲法ではないかというのが私の推測である。そのことは江橋崇『市民主権からの憲法理論』(生活社、2005年)で展開した。もしそうでなければ、当時のGHQに、憲法について非常に深く考えて、独創的な案を考え出した軍人が存在したのだということになるが、それはちょっと信じられない話だと思う。GHQは軍人の集まりである。軍人が、こんなに憲法のことを一生懸命に考えているとは思えない。
  では次に、もうひとつ、大きな議論をしよう。当時のGHQのスタッフの中に、国民主権論者、あるいは直接民主制論者はいたのか、いたとすればそれは誰かということである。私の結論では、そんな人物はいなかった。憲法の前文は、「われらは議会において選挙された代表者を通じて以下のことを確定する」と、明らかに代議制民主主義論である。続いてリンカーンの「人民の人民による人民のための政治」が出てくる。しかし、ご承知の通りリンカーンは国民主権論者ではない。あくまでアメリカン・デモクラシーの議論であって、民主主義論者ではあっても、フランス憲法論のような主権論は言っていない。
 またこれも私がしばしば話してきたことだが、日本国憲法前文は、本来は国民の誓いの文章であり、その一番最後の部分も、自主独立の主権者国民が、主権者としての名誉として国際社会に向けて誓うという風になっていた。このGHQの原案を、日本側の官僚がすりかえ、「国家の名にかけて」誓ってしまった。よって日本国憲法の前文は、冒頭は「われら日本国民」ではじまっているのに、終わりは「日本国家」になるという締まりの悪い文章になっている。
  GHQは、こういった日本側の改変、つまり国民主権を国家主権にすりかえたことを分かっていたにもかかわらず、異論を唱えなかった。もし、きびきびとした国民主権論者なり直接民主制論者がいたならば、必ず文句を言ってくるはずのところを、まあいいか、という態度であったということになる。
  もう一つ、日本国憲法について、日本側の担当者であった内閣は憲法第一条を「君民共治」と理解してしまった。つまり、天皇を含む日本国民全体が主権者だと理解した。これに対してもGHQはOKだった。ところが、これが発表され、帝国議会での審議となったときに、共産党系の民間人やソ連等々から文句がでた。これではおかしい、天皇主権を否定せよということになり、議論の末、「至高の総意」が「国民主権」という言葉に変わった。GHQは、ソ連や日本の左翼にせっつかれて初めて「君民共治」ではいけない、「国民主権」でなければならないとしたが、それまでは知っていても容認していた。つまり終始一貫して熱心に国民主権としたかったわけではないということなのである。
  このように、当時のGHQを大きな議論の文脈で見てみれば、国民主権が大事で、それの直接的な表現として憲法改正の国民投票制を導入しようとしたというのは、どうも、事態を国民主権の側から美しく描きすぎているのではないか、と言う疑問が残るのである。

2.国民投票とは何か 憲法改正に関する小さな議論

  次に、小さな議論、つまり、1946年当時に実際に起きたであろうことを、当時の資料から推測してみる作業に移ろう。
 GHQが日本国憲法において国民投票をつくったときに何を考えたのか。はじめGHQの当初案は、憲法制定後10年間は憲法改正を禁止するという案だった。それはさすがに変ではないか、いまの国民に将来の国民を拘束する力はあるのかという議論がおこり、これは止めようということになった。しかしこの、10年間は憲法改正禁止と言う案のモデルがよくわからない。ポルトガルの憲法は10年に1度改正せよ、ということになっているが、ベアテ・シロタが集めた憲法にはポルトガル憲法は入っていないので、どこから出てきたかはわからない。担当者の思いつきかもしれない。
 次にでてきた第二次案は、人権条項の部分にのみ、憲法改正時に国民投票するというものだった。国会や内閣、裁判所などの部分は、国の統治機関のありかたに関する問題だから国民投票は必要ないけど、人権条項は国民に直接に作用する問題だから国民投票にかける。このように、憲法条文の対象者の同意を求めるというのは、古典的民主主義論である。「同意無くして課税なし」はマグナカルタ以来の立憲主義の大原則で、近代の憲法もここから始まった。対象者から同意を得るというのはとても大事な原則だが、国民主権とは限らない。君主主権だって、いや、君主主権であればそれだけ強く、「被治者の同意」が必要なのである。日本国憲法でも、憲法第31条で、国民の権利義務にかかわる規制については法律の形式、つまり、国民の代表者が構成する議会の同意がなければならないという法の支配を言っている。そのほかにも租税民主主義ということで、国民、議会の同意無くしては課税できない。第95条ではその地域の住民の過半数の同意がなければ一定の地域に適用する特別法はつくれない。
 これらは、いずれも対象者の同意を得ながら政治を行うという考えで、これからすると、憲法第96条で憲法を改正して人権に触れるときには、国民投票で、その人権の相手方である日本国民の支持、同意を確認しよう。つまり国民の同意がなければ憲法の人権保障は変えないというのは、他の国の憲法と比べてもバランスのとれた話である。つまりGHQの第二次案とは、国民主権による国民投票ではなく、古典的民主主義からの国民投票であったということを忘れてはいけない。
 それがある日突然にひっくり返り、憲法全体に国民投票を、という話になってしまった。しかし、マグナカルタ以来の古典的民主主義論を、これではだめだからと国民主権原理にあえて切り替えたのかというと、どうも疑わしい。あまり議論を詰めずになんとなくそうなっただけではないか、というのが私の理解である。軍人の考えることはこの程度だと思う。
 憲法でもう一つ変なのは、GHQが改正案を出してきたときは一院制であったのに、それが途中で、日本側の要求で二院制に変わったということである。このこと自体は別に変ではないのだが、二院制に変わったときに、憲法改正手続きも一院制の手続きから二院制の議会での改正手続きに変えたのかが疑問である。そういう議論の記録は一切ない。それどころか、憲法改正についての当時の解説書では、憲法の中身の説明は地方自治の章までで終わっているものが多い。つまり、一院制の議会の憲法改正手続きと二院制の議会の手続きとの異同についてという議論は、実はなされていなかったのではないか、と思われるのである。
 実際に生じた事態は、GHQ草案が出され、日本側に渡された後に二院制の議会になったが、憲法改正手続きについては、一院制を予定していた当時の条文のままで、ただ、「議会」という部分を「両院」とか「両院の各々」と言うように表記を変えただけだったのではないか。GHQには、このことを考える能力がなかったのである。
以上、要するに、小さな議論で見てみても、GHQが、国民投票制に大きな価値を見出していたということを裏付けるものは少ないということなのである。 3.憲法はどのような国民投票を予定していたのか
 そうなると非常に困った問題がいくつか出てくる。まず、一つめは、憲法改正が国民主権の現れだとしたら、なぜ国民投票で行われることが、ラティフィケーション(批准・承認)というなさけない表現になっているのか。できあがった憲法に対して、「イエス」だという結果になれば承認(ラティフィケーション)されたということなのである。帝国議会の憲法制定委員会で、ある人が、「偉そうにレファレンダムなどと言ってはいるが、結局のところこれはピープルズ・ベトー(拒否権)ではないか」と発言し、金森国務大臣も「その通り」などと答えている。要するに、「イエス」か「ノー」かを問い、「ノー」となったら憲法改正案は駄目だという「拒否権」であって、憲法をつくっていくという作業ではない。
 憲法を制定する権限と、別の場所で作られた憲法を承認する権限とは違う。決定的に違うのは、憲法改正案の中身について、事前に意見を述べて、積極的にかかわることができるのか、それとも、よそでできたものを承認するだけなのかという違いである。これと似たものとしては、条約を考えてみればよく分かる。条約を締結するのは内閣の権限で、議会は、ただそれについてイエスかノーかをいうだけである。それが、国会による「条約の承認」の権限である。
 国民主権ということからすれば、他国の憲法にときにあるように、まず憲法改正の要否について国民投票で意思を聞き、イエスになったら、この国民の意思に添って憲法制定議会で草案を作り、場合によっては成案についてもう一度国民投票をするという手続きがありうる。日本国憲法には国民が自ら憲法改正案を決める国民発案という制度もない。日本国憲法の国民投票の制度は、他の国の国民投票の制度に比べて矮小である。
  二つめもややこしい言い方だが、議会制民主主義で選挙をするというのは、国民の代表として政治を行う人を選ぶという作業であるのに対して、直接民主制で投票するというのは、政治の事柄を決める作業だという違いが問題である。議会の議員の選挙のときに憲法改正の国民投票をするということは、人を決めるつもりで投票場にきた人に、政策マターについても決めさせることである。よく、選挙について「政策で選ぶか、人で選ぶか」という議論があるが、人を選ぶマターと政策を選ぶマターを一度に有権者に聞き、一度に答えさせるというのは、とても変な制度である。
 一般的には議会の議員の選挙の際に憲法改正の国民投票を行うことは良くないといわれている。慎重な国では、憲法改正をする際に、まず改正の手続きについての国民投票をして、改正しても良いとなったら、議会の選挙を行って新たな議員に憲法改正の作業を任せるか、あるいは、できあがった成案について、それをもう一度国民投票にかけるといった丁寧な手続きをとる。議員の選挙と国民投票とは分けて実施するのが立憲主義のマナーだが、日本国憲法の場合はそれらを一緒にやれとしている。国民投票が、国民主権とは関係なく、たんに便宜のために議員の選挙とともに行うというのであれば話はわかるが、これを国民主権で説明しようとすると良くわからなくなってしまう。つまり、日本国憲法の憲法改正の国民投票は、国民主権的な説明に適合しない手続きになっているのである。
 三つめに、国民投票への参加権者を日本国籍保有者の有権者に限るかという問題がある。これは憲法学者がかつて議論したことがない問題である。未成年者は、あるいは外国籍市民はどこまで国政に参加していいのかという議論では、今は、一般的には、未成年者についてはすべて駄目で、外国籍保持者については、地方参政権はいいが国政選挙はだめだということになっている。では、未成年者や外国人が国政選挙の投票権を持ってはならないのであれば、自動的に憲法改正の国民投票の投票権も持ってはいけないのか。これまでの議論では、例外なく「あたりまえだ」と言われているが、本当にそうなのか。
 市町村合併に関する住民投票で、未成年者や外国人住民にも投票権を認める例が増えているからである。こういう事態をどう説明することが必要なのであろうか。私は、こう考える。仮に、議員という人を選ぶときには、「北朝鮮の言うことをきくやつはだめだ」として外国人に被選挙権も選挙権も認めないとしても、人を選ぶのではなく、制度をつくるときには「人を選ぶ力の無い人でも」あるいは、「立場が偏っている人」でも関われるのではないか。例えば会社で新たな支店をつくろうという場合、「支店をつくる」という決定を下すことと、あの人は人事管理がうまいなど「支店長を誰にするか」を決定することでは、その内容が違うのではないか。支店長を誰にするかという決定権がなければ、支店をつくった方がよいかどうかという議論に関われないのか。
 人を選ぶ作業と、事柄を選ぶ作業は違うのである。同じように国政参政権をもたない外国人も、憲法改正、つまり制度を選ぶ作業には関わっても良いのではないか。つまり、憲法改正の国民投票に参加できる資格について、今、民主党案でも18歳以上の国民にも国民投票をさせようといったことが議論され、あるいは地方自治体、市町村合併の直接住民投票のように、外国人や12歳以上の住民に参政権を与えるという議論がある。それらは、すべて事柄を選択できる能力と人を選ぶ能力とは違うという前提があるから、公職選挙法上の人を選ぶ選挙の有権者は20歳以上だが、住民投票における事項を選ぶ投票は12歳以上、などとなっている。
 さらにひねくれた言い方をすれば、公民権停止中の者は、憲法改正の国民投票に参加できないのか。選挙違反をして公民権が停止されたのであれば、憲法改正について口を挿んではいけないのかという問題もある。公民権停止、つまり、議員と言う人を選ぶシステムにおいて不正をした人は、事柄を決定することについても文句を言ってはいけないのか、という問題である。
 また、これはすでに議論されているが、不正投票が行われたらどうするのかという問題がある。国民投票で不正投票が起きた場合、どこで誰が裁くのか。またそれが確定するまでの間、憲法そのものはどうなるのか。憲法に基づきつくられる最高裁が、憲法について決めていいのかといった問題が起きてくる。 4.日本国憲法は国民主権的に制定されていないが、その憲法が、なぜ、国民主権の国民投票を要求できるのか。
 憲法改正の国民投票は国民主権の発露であるとすると、こうした変な問題が出てくることになる。その根底には、実は日本国憲法自体が国民投票を経ていないという事情、つまり、国民主権的に制定されていないという事情がある。そうであるとすれば、日本国憲法は、自らができなかったことを憲法改正に求めていることになる。たとえていうなら「自分ができない禁酒の誓いを息子にさせる親父」ということになる。
 日本国憲法は、自らが憲法改正の国民投票をしなかった国民主権の憲法だということになる。しかし国民主権の憲法であるから、改正には国民投票をしなければいけないというのである。これは、憲法のあり方としては理論的におかしい。これで、もし、憲法改正をして国民投票をしたならば、国民投票を経ていないもとの条文と、国民投票を経た新しい条文が縞馬のように混じってしまうことになる。法律として美しくないと思う。
 憲法制定のときに革命を起こして国民投票をしたとか、そういった歴史的な事情があれば、国民投票を求める憲法だというようにあとでも語れるが、それもない。日本側の議論で、とりあえず憲法改正草案を出して、1947年4月に衆議院選挙をした。当時は、そこで選ばれた議員に、憲法をつくらせよう。そして憲法改正案ができたら、もう一度国会を解散して、その憲法改正案を国民に問おう、という案もあった。確かに、当時の他の国でも、憲法改正案ができたら、解散して国民の民意を問うという国が、いくつかあった。だからそれでいこうという話もあったのだが、結局できなかった。
 日本国憲法の制定時には、国民に諮られたのは、通常の議会選挙の直前に、要綱が示されただけで、改正案すらでていなかったのである。「ひとつ何々とす」、「ひとつ何々とす」というレベルで説明しただけで世論の同意を取り付けた形を作り、日本国憲法をつくってしまった。その程度でつくられた憲法が、なぜ細かな条文の改正に至るまで、例外なく国民投票を求めるのか。「てにをは」を直すこととか、「思ふ」を「思う」に変えるといったことまで国民投票が必要だとしているわけである。なぜこういうことまでやらなければいけないのか。結局、憲法改正の国民投票というときには、それが何を意味しているのか、どういう手続きで行えばいいのかが、細かく考えるとわからないということである。だが、こうして国民主権の国民投票と言う考え方を批判するばかりだと、ただけちをつけているだけなので、最後に私がどのように理解するのかを述べたい。
 日本国憲法ができた当時、もうひとつの大きな問題は、選挙権は権利とは考えられていなかったという問題である。選挙権とは国の公務員を選定する集団的行為であり、誰が議員にふさわしいかと言うことを決める行為である。古い憲法理論では、国家には、有権者団という国家組織があり、そこが議会の議員を選定する権限、選挙権を持っている。そして、この有権者団のメンバーになる権利というのが、国民にある。これが選挙権というものである。こういわれていた。
 選挙権が権利だというのは、有権者団のメンバーになる権利である。多額の納税をすれば有権者団に入れる。昭和初期の普通選挙制の議論でいえば、男であれば、納税していなくとも選挙人になれる権利がある、ということになる。そして、選挙という行為そのものは、権利ではなくて有権者団のメンバーとしての公務の遂行である。つまり有権者団のメンバーが集合的に議員を選ぶという公務だ、と。
 これになぞらえると、憲法改正というのは、憲法改正国民投票に誰でも参加できるという限りにおいては権利であるが、国民投票という行為そのものは有権者団という国家組織の集合的な意思決定であり、これは人権でもなんでもない。つまりちょうど、国民主権でなくても選挙権があったように、国民主権ではなくても、憲法改正の国民投票、国民の参加ということはありえる話だということなのである。
 このようにフラットに考えると、こうなる。芦部教授なども戦後そういったことを議論していたが、政治的文脈では国民主権だとしても、法律的な議論をつめていくと、これはやはり有権者団、もっとわかりやすく言うと主権者団という団体に参加する権利にとどまるのである。国民投票の参加権を国民主権的に考えればこういうことになる。国民投票制度に対して、国民主権として期待するという過剰なイメージを投与しないで、もっとさらっと考えた方が良いのではないか、というのが私の考え方である。

ディスカッション

安藤 国民投票をする時の形式について。一条一条ごとに判断することになるのか、あるいはひとつにまとまった憲法改正案一本について判断することになるのか。また、それは国民投票法のつくり方の問題なのか、憲法改正案のつくり方の問題なのかという点について。

江橋 投票法の問題にもなるが、憲法改正案そのものは、国会の発議で一本のひとつにまとまった改正案ということになる。そもそも、国会にかけられる議案は一本で、議会の議決も一回、一本。条文ごとに議決をするわけではない。
 比較憲法的に見ても、改正案をいくつかに分割して国民投票にかけるなど、本当にやる気があるのかどうか疑わしいようなやり方を採用する例などほとんどない。民主党の考えは、憲法改正をサボタージュしようと言うのなら分かるが、それならそれでもっと正々堂々と反対すればいいのであって、こういう姑息な案を考える理由がよく理解できない。

安藤 それは、すでにどこかで決まっていることなのか。

江橋 今のところ、決まっていないが、現実のところでは、そうなるであろうということだ。憲法改正をしようと言う人々が、半分しか通らないかもしれないというような投票制度を採用するはずがない。憲法改正案は、衆参両院でおのおの三分の二以上の賛成を得て行われるのである。これが実際にどのように迫力ある数字であるのかは明らかで、この力をもってすれば、自分たちに都合のいい国民投票法は一日で制定できることを忘れてはいけない。

安藤 憲法九条の改正と、人権の問題、たとえば国民の義務などを決めるといったこと、をまるめて一本、ひとつの改正案で判断するというわけにはいかないのではないか。それぞれがまるで別個の問題で、きわめて重要な問題のような気がするが。

後藤敏彦 まず、議案がだされ、それが議論を経て修正されて、ひとつのものとして議決されるという、普通の法律と同じような過程となるのではないか。

安藤 となるとやはり、改正案のつくり方の問題ということになるか。何条分の改正であろうが、国民投票にかけるときには一本の改正案という形になり、それは国民投票法をどうつくるかとは関係ない問題であるということか。

江橋 常識的にはそうだ。現在、個別課題・項目ごとに投票を行なう方式をとっている国は、スイスとほかに二、三の例しかない。おおよそ憲法改正の国民投票というのは、ひとつの改正案について、イエスかノーかという形をとることがほとんどである。
  それと、今回の日本国憲法に関しては、まだ国民投票をしていないということで、最初の憲法改正の機会に一度すべてをひとまとめにした形で国民投票をした方がいいという特別の事情がある。
  さらに言うと、今「てにをは」を直し、現代風にわかりやすくしようという字句の改正案も出てきている。「思ふ」を「思う」に変えるなどである。これをやると70か条以上の条文の改正ということになってしまう。まとめて一本にせざるを得ない。
  また、自民党の憲法改正案では、桝添さんたちが、憲法の各条文ごとに見出しをつけてしまった。今の憲法の条文には見出しはついていなくて、六法全書の日本国憲法についている見出しは出版社の読者サービスである。だから、同じ憲法でも、有斐閣の六法全書の見出しと、岩波書店のそれとは違う。この自民党の改正案の場合は、現憲法103条すべての改正ということになる。実際に、桝添さんたちは、憲法改正より新日本国憲法の制定だといっていることもある。
  現実的に考えれば、70数条を現代の日本語表記に沿って変える一挙改正か、自民党草案のように全面改正する新日本国憲法の制定ということになる。私は、内容的には多少のものを増補するべきだと思っているが、形の上では、「てにをは」を直し、見出しもつける形で、日本国憲法の全面改正、新日本国憲法の制定ということになると思える。
  こうした日本国憲法の特別の事情を考えても、個別課題・項目ごとに投票する個別承認方式は、実現が難しいのではないか。現在は、この個別承認方式の議論もなんとなく有力で、高見先生などもその方がいいと言っている。しかし、結局現実的に一本、一括承認方式になってしまうだろう。そうなったときに、憲法学者はなんと言うか。改憲手続きが違憲なので成立した新憲法は違憲無効だというのだろうか。実は、戦前からの右翼の憲法学者で、日本国憲法は占領軍の押し付けで無効であるとして、憲法の授業でずっと後まで大日本帝国憲法を教え続けていた人がいる。皮肉なことに、そういうことが許されたのも、日本国憲法で学問の自由と大学の自治が保障されていたからであるが。
 今の憲法学界にはそんなに勇気ある人はいなくて、大体の風向に従う人ばかりだから、改憲作業でいくつかのブロックに分けようとしたところ、たまたまひとつにまとまったのであって、一本、一括承認方式でも、個別承認方式と矛盾しないというような詭弁を作り出すだけであろうと思う。本気で国民主権を信じているのでもないし、本気で国民主権を実現しようと言う政治闘争の決意もない人たちなのだから。

安藤 しかし現実問題として、たとえば「憲法九条の改正には賛成だが、憲法三一条の改正には反対」という人は、どうすればいいのだろうか。足して2で割れない、それぞれ重要な話だが、結局実際に投票する段階では、ひとつの改正案全体について賛成か反対かという投票しかできないことになる。

江橋 それは、最終的には賛成か反対のどちらかに決めてもらうしかない。つまり、議案の段階で、いろいろな意見を出したり修正を求めたりしても、それが否決されてしまった場合には、否決され他部分を含めてトータルに見て、賛成か反対かのどちらか、と。

鬼柳 最近EU憲法などをめぐり否決されたりしたが、そのときの国民投票のあり方は、どうだったのだろうか。

江橋 あれも○×方式で、つまり改正案全体についての判断である。フランスでも、いわゆる国民投票で否決されたのは、EU憲法案全体である。

後藤仁 EUでは、国民投票をやったところと、やっていないところもあった。

安藤 投票権者の問題や棄権の取り扱いなどはどうなっているか。こうした問題は、国民投票法の内容の問題なのか。

江橋 それは今検討している段階だが、国民投票をピープルズ・ベトー、国民の拒否権だという言い方をすると、「×」票が過半数にならない限り、OKだということになる。今の最高裁判所の裁判官の国民審査はこういう趣旨の拒否権の発動、解職の要求と考えられている。しかし、国民投票は良くわからない制度であって、国民主権だからという理屈で硬直的に考えるのでなければ、工夫次第ではいろいろに変化できる。フラットに、はじめからすべてを決めるという発想はおかしい。
  これは予算の議論と同じで、日本国憲法ができた当初の時期には、議会は「政府の提出した予算を、まるごと呑むか呑まないのか」という決定ができるだけだとされていたが、減額修正はいいとか、緊急的には増額修正も可能だとか、予算の同一性を害しない範囲内での修正が可能だ、と少しずつ議会の修正権が認められる方向に変わっていった。国民投票についても徐々に議論が深まるのだと思う。

須田 国民投票を個別承認型、課題や項目ごとに投票することを求める人々、たとえば九条は九条について投票し、その他はその他で、という制度を訴えている人々は具体的にどのように実施するつもりなのか。

江橋 今は、どちらかというとそういった考え方の方が多い状態だと思う。民主党の枝野さんなどもそういった考え方だ。つまりある程度まとまった項目ごとに投票しようというのである。実際に、今の国会周辺で、具体的な投票方法のあり方まで議論が進んでいるのか、この後の江田さんのお話にお聞きしたい。
  今、私が困った状態だと考えるのは、この個別承認方式が国民投票法のひとつの有力な案だとされていることである。実際に話しあいが進み、議論を詰めていくと、それは現実的には成り立たない方式なのだから、どこかで潰れると思っている。それなのに、「個別承認方式で国民投票を」ということで議論を引っ張っていると、それが潰えたときに一気に議論の水準が下がってしまうのではないかと心配している。現実的に考えて不可能であることは、不可能であると考えて議論したほうがいいのではないか。
  個別承認型という議論は有力ではあるが、どうも正式なものではないのではないか、という印象を受ける。個別承認といっても条文ごとではなく、ある程度まとまった項目ごと、九条なら九条、人権であれば人権、議会であれば議会といった程度の個別ということになる。その方式については、スイス以外に採用している国はあまりない。

須田 たとえベトーの問題だとしても、最高裁判官の方式で、項目別に「○×」投票をするということはありえるのではないか。それぞれ項目ごとに、現代仮名遣いに直すことに賛成か、九条の改正についてはどうか、二十五条の改正については、という形式で項目ごとに「○×」投票をすることは考えられなくもない。

江橋 ただそうすると、たとえば九条のところだけ「×」が多く、否決されたが、それ以外についてだけ改正ということになる。憲法改正のあり方として美しくない。

須田 しかし、そういった方式をとらない限り、江橋さんが前から言っている「国民投票をお祭りに」ということが実現しない。ひとつの憲法改正案全体について賛成か反対かということでは、喧嘩にしかならない。

後藤敏彦 確かに、普通に考えて、でてきた憲法改正案の全体に賛成か反対か、といわれるよりも、それぞれが個別的に「これには賛成」、「これには反対」という方式の方が、議論は盛り上がり、お祭りになりやすいかもしれない。

後藤仁 江橋風の加憲論の場合はどうなるか。

江橋 今回ははじめての国民投票になるので、今回に限り、全体でひとつの加憲案で一本ということになる。

後藤敏彦 ちなみに、一回目の国民投票で、全部改正案が否決された場合は、どうなるのか。

江橋 改正案が否決され、元の憲法が残るということになる。重ねて言うことになるが、一回目の改正は「てにをは」を直したりといった末梢の改正の方がいいのではないか。つまり内容については、あまり意見が対立するドギツイ議論が起こらない内容、今とあまり変わらない内容で、改正の形としては加憲、新日本憲法の制定ということになるのではないか。

須田 第九条の改正がある限り、マイルドな改正ということはありえない。つまり内容は一切変えずに、現代風に直したということであれば、「あまり変わらない」改正ということになるかもしれないが、それにどういった意味があるのかもわからないし、九条を変えない憲法改正には、改憲派はいい気がしない。たとえ民主党が九条改正に賛成し、議会内では九条改正が多数派になったとしても、国民の間での価値観は、二つに分かれることになる。これでは、けんかにしかならない。

安藤 けんかだとしても、にぎやかで活発な祭りともいえよう。

江橋 私は、最近書いた安藤さん編集の『東アジアに共同体はできるか』という本の中で、日本国憲法の改正を、東アジアの人々が見ている、劇場型のショーにしたいと書いた。東アジアの人々にアピールするようなものにするためには、日本国民が総出演し、70%ぐらいが賛成という形で演出しないと、アジアの人々も感銘はしない。

安藤 アジアの人々に「てにをは」をといってもわからない。やはり九条の問題を議論しないと。

江橋 アジアの人々に見せるのであれば九条改正を言ってはだめだ。アジアの人々に見せるのだといった瞬間、九条には触れられないということになる。

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